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聖女候補の面接で「志望動機は?」と聞かれました【連載版】  作者: あゆと
第二章 黒い聖水

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落ちない黒い点

 北坂区の道は、神殿の白い床とは違っていた。

 石段が多い。家と家の間にも坂があり、水桶を抱えた人が、途中で足を止めている。


 リィナは、その道を迷わず進んだ。

「こちらです。坂の上の共同井戸は、この先にあります」


 ミナはリィナの背中を見ながら歩いた。コーデリアはミナの斜め後ろにいる。清水院の神官が一人、箱を抱えてついてきていた。


 坂の上には、小さな広場があった。

 中央に共同井戸があり、その横には石で囲まれた洗い場がある。


 井戸のそばにいた人たちが、リィナを見た。

 その次に、ミナを見た。


「リィナさん」

「神殿は、何て」

「聖女様まで来たのか」

「黒い聖水って、本当なの」


 人の声が少しずつ増えた。リィナは足を止め、口を開きかける。

 けれど、先にミナが前へ出た。


「誰かを叱りに来たんじゃありません」


 井戸のそばにいた人たちが、ミナを見る。


「水で困った人を探しています。井戸の水を、少し見せてください」


 年配の女が、桶を抱えたまま聞いた。

「私たちが、悪いことをしたんですか」

「違います」


 ミナはすぐに答えた。


「誰が悪いかを決めに来たんじゃありません。何が起きているのかを見に来ました」


 女はまだ不安そうだった。それでも、抱えていた桶を少し下ろした。

 コーデリアが一歩前に出る。


「清水院の神官が、井戸水を確認します。皆様は、少しだけ井戸から離れてください」


 人々は顔を見合わせた。

 リィナが井戸の方へ向き直る。


「お願いします。いつも使っている井戸です。見てもらった方がいいです」


 その言葉で、数人が井戸から下がった。


 清水院の神官は箱を開けた。中には白い皿と小さな瓶が並んでいる。

「井戸水を取ります」


 神官は、井戸のそばに置かれていた水桶を見た。

「これは、今朝くんだものですか」

「さっきです。まだ使っていません」

「では、少量をいただきます」


 神官は白い皿を石台の上に置き、桶から水をすくって皿へ移した。

 水は透明に見えた。


 リィナが小さく言う。

「神殿で見た時と、同じです」


 ミナにも、透明に見えた。

 清水院の神官は白い皿を見たまま言った。


「少し置きます」


 その時、リィナが洗い場の方を見た。

「リザさん」


 洗い場にいた女が顔を上げた。濡れた布を持っている。まだ若い女だった。濃い色の前掛けが、水で濡れている。


「リィナ……」


 リザはそう言ったあと、ミナたちを見た。

 そして、濡れた布を左手に持ち替え、右手を袖の中へ入れた。


 ミナは、それを見た。


「リザさん」


 リザは答えない。

 リィナが洗い場へ近づいた。


「リザさん、手、まだ……?」

「違うの。ただの汚れだから」


 リィナはそこで止まった。無理に近づかなかった。

 ミナは、リザの前に立つ。


「その手、見せてもらえますか」


 リザは袖の中の手を動かさない。

「怒られますか」

「怒りません」

「水仕事をしただけです」

「はい。だから、見せてください」


 リザは、少しだけ袖から右手を出した。


 指の腹に、黒い点が二つあった。爪の横にも、一つある。

 泥ではなかった。墨のようでもなかった。

 皮膚の上に、小さな黒い粒が残っているように見えた。


 リザは、すぐに手を引っ込めようとした。

「洗っても落ちないんです」


 周りにいた人たちの声が止まった。

 リザは手を見たまま続ける。


「最初は、桶の底の汚れだと思いました。井戸の桶を洗ったら、指についていて」

「いつからですか」

「昨日です。いえ、その前から少しありました。でも、昨日はっきり見えて」


 リザは指先をこすった。

「石けんで洗っても、砂でこすっても、残るんです」


 リィナがリザの手を見ていた。

「言ってくれればよかったのに」

「言ったら、井戸を使うなって言われると思った」


 リザは井戸の方を見た。

「でも、ここを使わないと、洗う水がないの」


 ミナは、リザの手を見た。

 トマ。リザ。バルド。

 リィナが話してくれた名前の一つが、目の前にいる。


「リザさんのせいにするためじゃありません」


 リザが、ミナを見る。


「同じ水を使った人を探すためです。名前を聞いてもいいですか」

「リザです」

「リザさんですね」

「洗い場で、布を洗っています」


 コーデリアが、すぐに手帳を開いた。

「リザ様。洗い場。右手の指に黒い点」


 リザが、コーデリアを見る。

「書くんですか」

「はい」


 コーデリアは筆を止めなかった。


「あとで、聞いていないと言わせないためです」


 リザは、右手を見た。

 今度は、袖の中に隠さなかった。


 清水院の神官が、白い皿のそばで声を上げた。

「出ました」


 ミナは振り向いた。


 白い皿の底に、小さな黒い粒が沈んでいた。

 神殿の確認室で見たものと同じだった。


 清水院の神官は、皿を動かさずに言った。

「同じ黒い粒です」


 リィナは井戸を見た。

「やっぱり、この井戸にも……」


 広場にいた人たちが、井戸から一歩離れた。


「今朝も使ったぞ」

「うちの水瓶にも入っているかもしれない」

「じゃあ、飲んだ水は」


 声が重なりかける。

 ミナは、井戸のそばへ戻った。


「この井戸の水を使った人の話を聞きます」


 住民たちは、まだ不安そうにしていた。

 けれど、さっきより逃げようとはしていなかった。


 リザが、黒い点のある右手を胸の前で握った。

「パン屋のマーロさんの家も、この井戸を使っています」


 ミナはリザを見る。

「トマさんの家ですか」

「はい。トマは、昨日からお腹が痛いって。今日は店の奥で寝ているって聞きました」


 リィナがすぐに言った。

「マーロさんの家は、坂の上の井戸の方が近いです」


 ミナは、白い皿の底を見た。

 黒い粒は、そこに残っている。

 そしてリザの手にも、落ちない黒い点が残っている。


「トマさんのところへ行きます」


 ミナが言うと、コーデリアはすぐに手帳を閉じた。

「先に、子どもです」


 清水院の神官は白い皿を布で囲った。

「井戸水は、このまま残します。持ち帰る分も取ります」

「お願いします」


 コーデリアはリザへ向き直った。

「リザ様。右手は、できればこれ以上こすらないでください。あとで薬の院にも見てもらいます」

「薬の院……」

「怖がらせるためではありません。手を傷つけないためです」


 リザは、黒い点の残った手を見た。

「分かりました」


 ミナはリザに言った。

「また来ます」

「トマを、見てあげてください」

「はい」


 リィナが道を示す。

「パン屋は、この坂を下りてすぐです」


 ミナたちは井戸を離れた。

 背中の後ろで、誰かが白い皿を見ている。誰かが、自分の桶の底をのぞいている。誰かが、手のひらを見ている。


 リィナは坂を下りながら、何度も後ろを振り返った。

 ミナは、その横に並ぶ。


「リィナさん」

「はい」

「案内してくれて、ありがとうございます」


 リィナは、前を見た。


「まだ、案内します」


 坂の下から、焼いたパンの匂いがした。

 次に向かうのは、トマのいるパン屋だった。

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