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聖女候補の面接で「志望動機は?」と聞かれました【連載版】  作者: あゆと
第二章 黒い聖水

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下の井戸

 コーデリアは、取っ手に手をかけたまま動かなかった。

 隣の地区代表の待機室から漏れた声は、もう続いていない。

 それでも、最後の一言だけが、ミナの耳に残っていた。


 コーデリア様なら、儀式の前に気づかれたかもしれませんわ。


 その声は、リィナの背中だけに向いていなかった。

 祭壇に立っていたミナの方にも、向いていた。


 ミナは言い返したかった。

 まだ、何も聞いていません。

 けれど、扉の外にはリィナがいる。

 今、声を返せば、リィナの名まで控え廊下へ広がる。


 コーデリアが、ミナを振り返った。


「ミナ様」

「はい」

「先に、リィナ様を中へお通しします」

「お願いします」


 コーデリアが扉を開けた。

 控え廊下には、神官が二人立っていた。

 その後ろに、リィナがいる。


 リィナは、北坂区から水を届けるために選ばれた地区代表だった。

 神殿の白い服ではなく、町の女たちが着る濃い色の上着を着ている。


 リィナの両手は、前で固く重ねられていた。

 口を開きかけたが、声より先に頭が下がる。


「申し訳ございません」

「椅子に座ってください」


 ミナは言った。

 リィナが目を上げる。


「でも、私は……」

「リィナさんのお話を聞きたいんです。謝ってもらうために呼んだんじゃありません」


 リィナは、すぐには動かなかった。

 コーデリアが一歩横へずれ、椅子を示す。


「リィナ様。こちらへ」


 リィナは何度も頭を下げてから、浅く椅子に座った。

 座ってからも、すぐに立てるような姿勢だった。


 控えの間の隅では、封をされた水差しが白布に包まれていた。

 その隣に、黒く濁った聖水の器も置かれている。

 コーデリアは、その前に立った。


「器と水差しは、私が見ます」


 コーデリアは神官たちを見た。


「封は切らず、このまま置いてください。触れる時は、私を呼ぶように」

「かしこまりました」


 神官たちが下がる。

 扉が閉まると、控え廊下のざわめきは少し遠くなった。


 リィナは、膝の上で両手を握っていた。

 ミナは、その前に座る。


「リィナさん」

「はい」

「謝る前に、何があったか聞かせてください」


 リィナは、すぐには話し出せなかった。

 ミナは急かさない。

 コーデリアも口を挟まない。

 封をされた水差しのそばに立ったまま、リィナを見ていた。


「夜明けの鐘のあとに、くみに行きました」


 リィナは、膝の上の手を見たまま言った。


「式に出す水だから、早く行きたくて。人が多くなる前に、澄んだところをくみました」

「坂の上の井戸ですね?」


 コーデリアが確認した。


「下の井戸ではなく?」

「はい。本当は、下の井戸からくむ予定でした」


 ミナは、リィナの手を見た。

 赤く荒れた指に、爪の間に落ちきらない黒い筋が残っている。


「下の井戸?」


 リィナは小さくうなずいた。


「北坂区には、共同井戸が二つあります。坂の下と、坂の上に」

「下の井戸は、いつも使う方ですか?」


 コーデリアが尋ねる。


「はい。下の方が近いので。でも、三日前から、少し濁るようになって」

「三日前からですね」


 コーデリアは、リィナの言葉を繰り返した。


「どのように濁りましたか?」

「朝はまだいいんです。でも昼を過ぎると、桶の底に黒い砂みたいなものが残ります」


 ミナは、リィナの指先へ目を戻した。


「その黒いものも、井戸の水で?」


 リィナは、自分の指を隠すように握った。


「たぶん……。でも、私だけではありません」

「ほかにもいるんですか?」


 ミナの声に、リィナはようやく顔を上げた。


「洗い場のリザさんも、手に黒い点がつくって言っていました」

「リザ様ですね」


 コーデリアが、リィナに向き直る。


「リィナ様。今うかがうのは、罪を決めるためのお名前ではありません。助けに行くためのお名前です」


 ミナはうなずいた。


「責めるためじゃありません。誰が困っているのか、知りたいんです」


 リィナは、膝の上の手をほどいた。

 ひとりずつ名を数えるように言う。


「パン屋のマーロさんのところの、トマです。まだ小さい子で……水を飲むとお腹が痛いって泣いていました」

「トマ様ですね」


 コーデリアが確認する。


「ほかには?」

「坂下のバルドおじいさんも、水のにおいが変だって」

「トマ様、リザ様、バルド様」


 コーデリアは三つの名を並べた。


「後ほど、直接お話を伺います」

「その人たちにも、ですか?」


 リィナは、ミナとコーデリアを交互に見た。


「はい」


 ミナは答えた。


「リィナさんだけに話してもらって終わりにはしません」


 リィナは、また頭を下げようとした。

 ミナは、その前に名前を呼んだ。


「リィナさん」

「はい」

「下の井戸が濁ったから、今日は坂の上の井戸からくんだんですね?」

「はい。上の井戸は、透明でした」

「でも、聖水に入れたら黒くなった」

「……はい」


 リィナは、膝の上で布の端を握った。


「私、何か間違えたのでしょうか。くむ前に、桶も洗いました。水差しも、昨日の夜から乾かしておきました。布で口も縛って……誰にも触らせないようにして……」


 リィナは言葉を切り、また頭を下げようとした。


「聖女様の式なのに、北坂区の水で……申し訳ございません。私が、代表なんかに選ばれたから」


「違います」


 リィナの動きが止まる。

 代表なんか。

 その言い方が、ミナは嫌だった。

 リィナが、自分の名前まで小さくしているように聞こえた。


「リィナさんは、聖女に失礼がないように水を選んでくれました」

「でも、黒く……」

「だから、確かめます」


 ミナは、リィナを見た。


「リィナさんが悪いって決めたいんじゃありません。違うなら、違うと分かるようにしたいんです」


 リィナは、すぐには返事をしなかった。

 それでも、初めて床ではなくミナを見た。


 コーデリアが、リィナへ向き直った。


「リィナ様。神殿へは、どのように伝えましたか?」

「一昨日、区長が願い書を持っていきました。私も一緒でした。井戸の水を見てほしいって」

「願い書を渡した場所は覚えていらっしゃいますか?」

「祈祷本殿の脇です。願い書を受け取っていた神官様へ渡しました」

「その神官様について、何か覚えていらっしゃいますか?」


 リィナは首を振った。


「名前は……分かりません。でも、白い羽の印を胸につけていました」

「白い羽、ですか」


 コーデリアの声が少し低くなった。


「リィナ様。その方は、井戸を見に行く担当ではありません」

「え……?」


「白い羽の印は、聖水を運ぶ者の印です。願い書を受け付け、井戸を確認する者ではありません」


 リィナが、慌てて顔を上げる。


「でも、そこでいいと言われました。水のことなら神殿へ、と区長が……」

「リィナ様を責めているのではありません」


 コーデリアはすぐに言った。


「その願い書を受け取った先を、私がたどります」


 リィナは、白い羽の印の意味を知らなかった。

 知らないまま、そこでいいと言われて、願い書を渡した。


 それでリィナを責めるのは、違う。


 リィナは、もう一度頭を下げた。

 今度は、謝るためではなかった。

 けれどミナには、それも謝っているように見えた。


 ミナは、さっきの大広間を思い出した。

 黒い水が出た時、人々は不吉だと言った。

 北坂区の水だと責めた。

 けれど、リィナの話の中には、すでに困っている人たちがいた。

 腹を押さえて泣く子ども。

 洗い場で手をこする人。

 水のにおいを確かめる老人。


 ミナは、三人の名前を心の中で繰り返した。


 トマ。

 リザ。

 バルド。


「コーデリア様」

「はい」


 ミナは、三人の名をもう一度心の中で言ってから、顔を上げた。


「井戸へ行きたいです」


「井戸だけではありませんね?」


 コーデリアがすぐに返した。

 ミナはうなずいた。


「トマさんにも、リザさんにも、バルドさんにも会いたいです」

「分かりました。外の方々には、私から話します」


 その時、扉の向こうで神官の声がした。


「コーデリア様。廊下の参列者が、聖女様のお言葉を求めております」


 ざわめきが大きくなる。


「黒い聖水の説明を」

「新聖女様のお言葉を」

「北坂区をどうなさるのか」


 リィナは、椅子から立ちかけていた。


「私、外へ出ます。私が謝れば」

「大丈夫です」


 リィナの動きが止まった。

 ミナは、リィナを見た。


「リィナさんが謝りに行かなくていいんです。私は、リィナさんを謝らせるために呼んだんじゃありません」


「承知しました」


 コーデリアが扉の前へ立った。


「外へ出るのは、リィナ様ではありません」


 白手袋の手が、扉の取っ手にかかる。


「まず、私が出ます」

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