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偽りの姫は闇夜に微笑む  作者: 宵乃凪
四章

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第18話 夜を追う

 レオンハルトを招いた二度目の茶会以降、アリーシャとノルヴィスの夜の蛮行は加速の一途を辿っていた。


 今や一晩に殺められる悪官が一人であることの方が少なく、王城や城下町には夜間を不必要に出歩かぬよう令が出された。



 街の路地裏に入ってすぐのところで、アリーシャの耳は近付いてくる鎧の足音を捉えた。


 蛮行と主君とを結び付け得る痕跡を拭い去り、片腕をこちらへと伸ばしているノルヴィスのそばへと駆け寄る。腕を首に回されると同時に男の身体を両腕でしっかりと抱き締め返した。薄暗い中でも確かに真っ直ぐ向けられている鋭い視線に、アリーシャはくすりと笑い声を漏らした。


「ご安心を。私が側にある限り、貴方の尾を掴ませはしません」


 夜空を照らす細い月。その姿を流れる雲が覆い隠した。


 再び路地裏が仄かな月明かりに照らされた時、そこには既に生者の姿は残されてはいなかった。


 それからさほど間を置かず、鎧の重さを感じさせない動きで道の角から男が顔を出す。そこに漂う強い死臭と冷たい静けさにレオンハルトは悔しそうに唇を噛んだ。


 彼は現場に足を踏み入れ、血溜まりに沈む男の素性を確認する。帳簿に不正をはたらき、先週に袖の下で釈放されたばかりの男爵だ。レオンハルトはやがて追い付いてきた夜番の兵に後処理を任せると、王城の方角へと踵を返した。


 手には、先端が血に濡れた黒い羽が握られていた。


 ◇


 アリーシャが朝日の差し込む王城の廊下を進む。手にした書束を落とさぬよう軽く持ち直してから、一室の扉を反対の手で叩いた。


 入れ、という短い許可が返る。失礼します、とアリーシャは分厚い扉を押し開いた。


「夜番の兵より報告が上がりました。団長がご確認された件の他に、昨夜はあと三件。同様に路上で殺されていた者に加え、娼館で息絶えていた恐らくは客の男と主人の女、そちらも件の不審死の関連だろうという見立てです」


 そう告げながらレオンハルトの座る執務机へと歩み寄り、辿り着いたところでばさりと紙束を差し出す。


 レオンハルトは軽く眉を寄せながら報告書を受け取ると、内容を一瞥してさらに顔を顰めた。


「ああ、分かった。この後報告には上がるが、我々の夜番の頻度を高めるよう進言しようと思っている。このままでは後手だ。民が安心して眠れる夜のため、このようなことは即刻食い止めねばならない」


「承知致しました。団の者には私より先に軽く伝えておきましょう」


 表情を変えずにそう答えて、アリーシャはそこでようやくふっと薄く微笑んだ。


 レオンハルトがこちらを見たことを認識してから、手のひらを上向けて男の目の下の隈を指し示してみせる。


「お疲れの顔ですね。昨夜はよくお休みになられませんでしたか?」


「ああ、少しばかり仕事が立て込んで」


「いけませんよ。本日は王への謁見と、兵の指導も控えていらっしゃるでしょう。団長の剣筋が澱むようなことがあれば、それこそ兵たちはこの国の行く末を不安に思います」


「そのようなことにはならないさ。たとえ一睡もしない朝であろうと、私の剣が濁ることはない」


 これでも国一番の剣士を自負している、とレオンハルトは笑い、アリーシャは軽く肩を竦めて返した。


「さすがのご自信です」


「そうだろう。でなければ君たちの命を預かる資格はない」


「団長のような方に率いて頂けて我々も嬉しく思いますよ。先日亡くなられた前騎士団長は、とかく黒い噂が絶えぬお方でしたから」


「アリーシャ、私を持ち上げてくれることには礼を言うが、亡くなった人間に対してその言い方は不適切だ」


「失礼致しました、騎士らしからぬ発言でしたね。聞き流してください」


 そこで会話は終わり、アリーシャは座ったままのレオンハルトへと一礼する。扉の方へと身体を反転させた時、背後からもう一度名前を呼ばれ、顔だけを振り返らせた。


 本格的に日光の入り始めた室内で、いつの間にか男は立ち上がっている。窓の眩しさに一瞬目を細めたが、どうやら彼の口角は上がっているようだと、アリーシャはそのようなことを考えた。


「アリーシャ、今日はこの後謁見の前に少しだけ時間がある。手合わせを申し込んでもいいだろうか」


「私は構いませんが……王のもとへと上がる直前にそのように汗を流されるというのは、この国の騎士としてはどうなのでしょう」


「ああ、今日こそは謁見が躊躇われるほどに汗をかかせてくれると、そう期待していいんだな」


「……いっそ清々しいほどの自信ですね。嫌味にも聞こえないところがさすがです、団長」


 皮肉を込めてアリーシャが答える。


 レオンハルトはそれに対して否定も弁明もすることなく、からりとした笑い声を上げて返した。


 ◇


 王城内に設けられた訓練場で、アリーシャはいつもの位置へと立つ。対面する位置にはやはりいつも通りの立ち姿で男が剣を構えている。


 或いは昨夜の処理にでも人員が回されたのであろうか。普段と違うのは鬱陶しいほどの観客の姿がないことだった。


「いつでもいい」


 二人きりの訓練場でレオンハルトが短く告げた。これもいつものことであった。彼が団員や兵たちと訓練で剣を合わせる時、男はいつも初手を相手へと譲る。


 アリーシャが運良く男に膝をつかせることができた試合は、いずれもこの初手における絡め手が上手くいった時だった。


 今日はどうするか、とアリーシャが構えた剣の下で考える。意表を突いて一手目から体術を絡めるか、あえて懐深くまで潜り込んでやるか。


 ふう、と一つ息を吐くとアリーシャは手にした剣を軽く持ち直す。それと同時に訓練場の床を強く蹴った。


 次の瞬間、レオンハルトの喉元には白刃の切先が迫っていた。そのまま肌を貫くかと思われた刃は、男の剣によって弾き返される。


 初撃を外したことを意にも介さず、アリーシャは弾かれた剣を素早く切り返した。光を反射させる一撃がレオンハルトの目や首筋を狙っては防がれる。剣同士を打ち付ける音が響くたびに、骨まで届くのではないかという衝撃がアリーシャの手を痺れさせた。


 剛腕により振られた剣が白い前髪の先端を切ったことに、アリーシャは小さく舌打ちする。追撃を前に出ることで躱しながらさらに男へと打ち込んだ。ノルヴィスやニコラが学んだという剣、恐らくは発祥を前々騎士団長とするのであろうこれは、ただ攻めることに特化している。それが王族としての意識に由来するのか、単に相手との実力差によって受ける必要性がなかったのかは分からない。酷く傲慢で、尊大で、そして強者の立場に偏った剣だとアリーシャは思った。


「剣筋が乱れてきているぞ」


 意識の隙間からそんな声が聞こえたと思った瞬間には、アリーシャの足は下がらされていた。息つく間もなく剣戟が身を襲う。訓練用に潰されているはずの刃が上腕を薄く裂いた。


 致命の一撃を何とか紙一重で躱しながら、アリーシャは打たれて浮きかけた剣を握り直した。防戦となればニコラに教えている剣は何の役にも立たない。吹き飛ばされる勢いを利用して一度後方へと跳ぶと、壁を蹴って空中で身を捻った。こちらの顔を目掛けて振り上げられた剣を引き寄せた脛で受ける。服の下に鋼を仕込んでいるというのに、尚その下の骨が軋む音がした。


 アリーシャが男の剣を思い切り蹴り上げる。手から柄が離れることはなかったが、ほんの僅かに生じた隙間に落下する身を滑り込ませた。いつぞやに路地裏で人攫いを捕縛した時と似た動き。相手の背後へと絡み付くように回り、掴んだ腕を後方へと捻り上げる。


 そのまま外してやろうと力を込めるが、男の肩も肘も手首もびくともしない。逆に腕の力のみで薄鎧を纏った身体ごと持ち上げられた。


 人体の構造からして普通は不可能だ、とアリーシャは腕を掴み返されながらぼんやりと考えた。やがて男の顔が視界に入る。ここが王城の訓練場であるということを忘れさせるような、まるで戦場を思い起こさせる気迫。背筋を震わせる青く鋭い、冷たい眼光。


 普段の太陽のような笑顔ばかりを目にしている民衆に言ったところで果たして信じてはもらえないだろう。この男は、恵まれた体躯と鍛え上げた剣術で、相手の懐に入り込むことのできる天性の善性で、誰より容易に人を殺めることができる。


「……化け物が」


 そんな呟きが漏れ出たと同時に身体が風を切る感覚があり、次いで背中を強かに打ち付ける衝撃があった。軋む胸骨の隙間から意図しない息が押し出される。


 投げられて壁にぶつかったらしい。そう理解した瞬間には、白霞みしかけた視界の中で白刃が煌めいた。命を奪う冷たい光。まるで昨夜のノルヴィスの剣のようだと、どこか遠くそんなことを思った。


 音もなく振り下ろされた剣は、アリーシャの首を落とす寸前で止められていた。一瞬遅れて、斬られたらしい髪が首筋に落ちる感触があった。


 床に倒れたまま数度咳き込んでから、アリーシャはようやく整った呼吸の合間にため息を吐き出した。


「このまま断罪されるのかと思いましたが」


 上目遣いに男を見上げる。窓を背にした男の顔は逆光だった。


 レオンハルトは腰を曲げ、こちらに向かって手を差し出した。


「そのようなことはしない。君が言ったんだ。この剣をもって国を守れと」


「私のような者の言うことを真に受けるとは、象徴が聞いて呆れます」


「初めに言っただろう。私は王国騎士団を、ひいてはこの国を皆の力で良くしていきたい。仲間の言葉を聞けずして、何が騎士団長か」


 レオンハルトはさらに身を屈めて片膝をつくと、床に落ちたままのアリーシャの手を掬い取った。


「それに、私にとって君の言葉は特別だ」


「国一番の剣士にそのようなことを言われるとは。たまには真面目に研鑚に励むのも悪くないものです」


 そのような皮肉を返しながら、アリーシャはレオンハルトの手を支えにようやく立ち上がる。少し足元がふらつく。受け身はとったつもりだが頭を打ったか、或いは脛にヒビが入っているかもしれない。


 はあ、と疲れたような息を吐くと、アリーシャはそのまま身体を前方へと傾ける。角が鎧の胸の辺りに当たってカツンと硬い音を立てた。


 男に全身で寄り掛かるような体勢だったが、予想に反して背中に腕が回されないことにアリーシャは思わず小さな笑い声を漏らす。ついに忠言が響いたようだ、と顔を上げずに揶揄うと、そう言わないでくれ、と返答があった。


「『民が安心して眠れる夜のため』、ここで斬り捨てておくべきだったと。いつか後悔なされますよ」


「そうはならないさ。何故なら君も、今ここで私を殺さなかったのだから」


「私の剣でどうやって貴方を殺めれば良いのですか」


 それとも口付けて頼めば首を差し出してくれるのか。アリーシャはそう続けて重い首を上へと回す。


 レオンハルトは、揶揄わないでくれ、とそう言った後で少しだけ舌先を突き出してみせた。


「言っただろう。君の剣は止められても、私は君の言葉を押し留めることはできない」


 それが呪詛のことを指しているのだということは明らかだった。アリーシャはふいとまた視線をレオンハルトの顔から逸らし、男の胸に耳を当てた。鎧越しに拍動が聞こえる。以前に呪われかけた時とは違い音は正常で、少しだけ速いようにも感じる。


「……少しは善戦できたようで何よりです。謁見の前に汗を流された方が失礼がないのでは?」


 そう問いながらアリーシャはレオンハルトから身を離した。


 レオンハルトは笑いながら頷く。


「ああ、そうさせてもらおうと思う。今日はいい勝負ができて嬉しかった」


「お背中を流されたくなければ世辞はやめてください」


 差し伸ばされた握手の手を軽く叩いてアリーシャが床に落ちた剣を拾いに行く。


 二本の訓練剣を剣立てに戻したところで、レオンハルトが再び口を開いた。


「瘴気のことについて、また一つ新たな仮説が立ったんだ。良ければ昼食後にでも」


「承知致しました。目立たぬよう、時間をずらしてニコラ様のお部屋へと上がらせて頂きます」


 そう答えてアリーシャは深く腰を折って一礼した。

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