第七章 死兆星 肆 かく叱りき
「祖父が臥せる随分前に、ご自身の体調が悪くなってご家族に引き取られたんです。その後は、連絡はまったくありません。彼女のことで私の家も随分、荒れました……」
じいちゃんはある期間、女性と同居をしていた。
カルチャーセンターのある講座で出会った言っていたその女性は、じいちゃんより10歳も若かった。
とはいっても、会ったときには既に70歳を越えていたのであろう。
四角い顔でお世辞にも器量がイイとはいえないその老女は、キヨと名乗った。
***
私がキヨさんとはじめて会ったのは、年に一度の親族が集まる食事会だった。
みなとみらいの夜景が一望できるそのレストランが毎回の会場。
はじめて来たときは、食事よりも夜景に、水面に映る船の明かりに、心を奪われたことを覚えている。
「んなぁことは、絶っ対に認めない! 何よりも母さんのことはどうなるんだよ! いい年して、そんな品のない話をするんじゃあないよ!」
英叔父さんが大声で吠える。この人もいい年齢だろうに。
こういう場で大声を張り上げることの方が、品が無いことをわかっていないのではないだろうか。
その横でうちの親父は、次のビールを注文している。
まったく親も親なら、子も子だ。
そんな冷ややかな目で、家族会での爆弾発表を私は聞いていた。
奥まったテーブル席。
食事をしながら、ここから海と夜景が楽しめる。
だが、今日は海も、私たちの顔を見ず、じいちゃんの横で申し訳なさそうにキヨさんは俯いていた。
「……だからな。お前たちも、孫たちも大きくなったし、私だって少し、ゆっくりしたいんだよ。料理教室で知り合ったキヨさんじゃ。
彼女も早くに連れ合いを亡くして、お子さんやお孫さんも既に手から離れている。少しの間でも一緒に暮らそうという話になったんだが……。お前たちは、どう思う?」
先ほどじいちゃんは申し訳なさそうに話を切り出した。
そのキヨと名乗る女性を隣に座らせ、家族に自分の今後を問うたのだ。
それを聞いた英叔父さんの反応がこれだ。
じいちゃんに向かっての言葉ではない。
それに隣のテーブルの人だって、こっちを見ている。
勘弁してほしい。
料理を口に運ぶ手を止め、英叔父さんはさらに続ける。
力強くその手に握られるナイフとフォークは、一度置いた方がいいのではないだろうか?
「だから、絶っ対、反対だよ! どういう了見でも、父さんとその人が一緒に住むことは認めたくないね! 雄兄さんはどうなんだよ!?」
いきなり話を振られたうちの親父はビールにむせる。
ちゃんと話を聞いていろよ。
まったく、これでは英叔父さんと、どちらが兄だかわからない。
「んあ? いいんじゃないか? 父さんの好きにして。別に籍を入れるわけでもないんだし。それに父さんの人生だろ? 英や俺がとやかくいう問題じゃあないよ。
それよりもここの焼き蟹がおいしいみたいだから、早くもってきてもらおう。父さんも蟹はスキだろ? 燗酒を一本つけよう。二合でいいよな」
相変わらずの緩さだ。
親父はいつもと同じ調子。
まあ、そんなところに救われもするのだが。
しかし、これには英叔父さんも耐えきれず、怒りを加速させる。
「雄兄さんがどういったって、そんなこと認め……」
「英! 少し黙りなさい。父さんがそうしたいって言っているんだ。ガキみたいなことをいつまでもいうんじゃあない!」
親父がピシャリと話を終わらせる。
こういうところだ。
こういうところがやはり親子なのだと感じる。
じいちゃんは常に「しゃんと」しているのだが、父親はユルユルだ。
だが、締めるべきところでは、締める。
叱るべきタイミングでは、しっかりと叱る。
そのギャップが大きいからこそ、凄みが生まれるのだが。
英叔父さんはようやくその手からフォークとナイフを離し、手元のスパークリングワインを一気に煽る。
怒りが収まらない英叔父さんの眉間には、見たことが無いくらいの縦縞が刻まれていた。
はじめてみる父親が狼狽する姿に英叔父さんの娘たちは、動揺の色を隠せない。
「……だから、そんな品のない姿を人前で見せるものではないんだよ……」
と私は心の中でつぶやく。
向こう隣から蚊の鳴くような声が聞こえてくる。
「ごめんなさい。ごめんなさい……。皆さんには絶対に迷惑はおかけしませんから……。どうか、どうか少しの間でも構いません……。清さんと少しの間、一緒に居させてはもらえませんでしょうか……? 今生の……、今生のお願いです……」
キヨさんが目元を抑え、俯き、何度も何度もつぶやく。
この絵は一体なんであろうか?
気落ちする老女に対して、いい大人が叫び散らす。
傍から見れば、地獄絵図に他ならない。
だが、私は他人事にしたかった。
じいちゃんが大好きな私としては、思うところがなかったわけでもない。
ただ、じいちゃんの判断だから仕方がないと冷静になれるほど、私は十二分に反抗期の高校生だった。
(つづく)




