第七章 死兆星 壱 ツインレイの喪失
カヲルさんの口元から紫煙が細く、長く吐き出される。
まるでそれは、魂を吐き出しているのではないだろうかと心配するほどに細く、長い。
私はウイスキーの入ったグラスに口をつけ、琥珀の液体を流し込む。
グラスの中で氷がカラリと小さな悲鳴を上げる。
緊張のためカラカラに乾いていた喉が、流れ込むそれで焼かれるように熱くなる。
すでにカヲルさん宅の訪問は三回目になっていた。
そして、じいちゃんとカヲルさんの仕事人としての人生に、私は驚愕していた。
戦後から仕事に至るまでを先週、そして今日に亘って聞いてきた。
それこそ波乱万丈と形容するのがふさわしい人生ではないだろうか。
戦後から高度経済成長の最中を駆け抜けた人生。
そんな姿をじいちゃんは、おくびにも見せなかった。
ただ「しゃんとしろ」といつも厳しく諭していただけだった。
そして何よりも有名な漫画家、作家と交渉し、世の中に作品を出していたとは。
だからこそ実家の書棚にはあんなにも多くの献本が並んでいたのか……。
「清さんは、仕事ではどんどん新しいことを開拓していったんだ。多くの作家や脚本家を生み出すことになった物語センターとのコラボからはじまり、
当時流行はじめた少年漫画を上手いこと取り込むため、漫画家の戸塚さんと交渉したり、少年アニメーションの『Article Fighter 頑駄無』で有名な豊野さんなどを取り込んだりして、事業を大きくしていったのさ。
更には、今でいうライトノベルの奔りである、夢布象、菊池秀幸、中田芳樹などのSF小説家を次々と引きこみ、当時の青少年たちの心を掴んでいったんだ。本当にその姿はまるでブルトーザーのようだったよ……。
会社も大ヒット作を多く輩出したことで、大きくなっていた。そんな時、君が生まれたんだよ」
遠い眼をしたカヲルさんはフウッと再度、紫煙を吐き出す。
食事を終え、ウイスキーを片手に煙草を喫するこの時間に、じいちゃんの話は心なしかマッチする。
そして静かに語るカヲルさんはまるで、セピア色の絵画から飛び出してきたのではないかと感じる。
「あの頃が、一番幸せだったのかもしれないな……。仕事にも、家庭にも充実していた清さんは、実年齢とはかけ離れているくらい、若く、輝いていたよ。そして、よほど嬉しかったのか、君のこともよく話してくれたんだ。
『我が家に星が舞い降りた!』といっては、『息子には伝えられなかったものを伝えるのだ』と酔うたびに話していたよ」
……じいちゃんは、私が生まれたことをそんなにも喜んでいてくれたのか……。
今さらながらに、心の中がジワリと静かに熱を帯びる。
「私も最近になって、『星』の理由を聞きました。なんでも、数十年に一日のとても珍しい日に私は生まれたって聞いています。だから『星』って呼んでいたのではないかって」
先日、久叔父さんから聞いた話を開示する。
すでにカヲルさんは、私の身内のように感じており、隠すことなど既になにもない。
だが……、私の言葉を聞いていたカヲルさんがきょとんとした顔をする。
私は何か変なことをいっただろうか?
「生まれの日? そんな珍しい日に君は生まれたのか? 清さんからは、そんなこと聞いたこと、なかったなぁ。清さんはいつも『我が家を導く星が生まれた!』と言っていたんだよ。珍しさとか、特別だとかはまったく言ってなかったよ。
まあ、君が心配したり、負担に思ったりする必要はないと思うよ。あくまで孫が可愛い想いで、いっていたと思うからね……」
生まれの日の希少性では、ない……?
まあ、もしかしたら私に対しての愛称のようなモノとして、じいちゃんが使っていたのかもしれない。
カヲルさんがいうように、そこまで気にする必要はないのかもしれない。
「でもね。そんな幸せの時間は長く続かなかったんだ……。あの、いつも太陽みたいにキラキラしていた照さんが亡くなるんだ……」
私もうっすら覚えている。
ばあちゃんの記憶を。
私の父親にそっくりの丸顔。
そして常に笑顔を絶やさない人だった。
甘い香りを常に纏い、その両腕に抱かれることが何よりも嬉しかったことを記憶している。
私が五歳にも満たない頃の記憶なので、それ自体も若干怪しいのではあるが……。
「照さんが亡くなった後の清さんといったらねぇ、本当に見ているこちらがツラくなるくらいに落ち込んでしまっていたよ。
そりゃあ、そうだよねえ。幼い頃からずっと一緒だったんだ……。いってみれば、自分の身体の一部が無くなってしまうような感覚だったろう。
照さんが亡くなった後の清さんは、まるで死人みたいでね……。私もレイも清さんをうちに誘っては、正体を失うまで一緒に酒を飲み、照さんの話をし、そして涙をこぼしたものだよ……。
そんなことを毎週のようにしていた……。みんな、心にぽっかりと穴が開いてしまったようだったよ……」
好々爺が俯き、グラスを口元へと運ぶ。
哀愁漂うというのはこのような情景なのではないかと、私は独り言ちる。
それから少し、私たちの間に空気の塊が横たわる。
静かにウイスキーを舐める私の顔を、それは、覆いかぶさるように覗き込む。
まるで「そこからはお前も知っているだろう」と。
私はそれから無理やりにでも目を逸らし、カヲルさんの顔を見る。
今は目の前にいるこの寂しげな老爺の声が聞きたい。
そして、その想いを受け止めたい。
私にはかけられるコトバがなかったとしても。
静かに頷くことしかできないとしても。
「そんなことが三カ月ほど続いたのち、君たちと同居することになったと、清さんから聞いたんだ。清さんは本当に嬉しそうだったよ……。仕事にもやる気を少し取り戻してくれてね。ようやく生きがいを取り戻した。という感じだった。
これまでの清さんの人生では、がむしゃらに働いていた印象だった。けれど、これをきっかけにして仕事は、ある程度にしているようだったよ。昼近くになって出勤、夕方早々には帰宅。うちの『星』が待っているってな……」
そうなのだ。
私の幼い頃の記憶では、じいちゃんは会社から帰ってくると、すぐに遊んでくれていた印象だった。
流行のおもちゃ、ケーキやまんじゅうなどを毎日のようにたくさん買ってきては、将棋、囲碁、花札などをして夕食を待った。
夕食後は一緒に風呂に入り、百を数えないと湯船から出してくれないなんてこともザラだった。
いつも傍にじいちゃんがいる。
そんな幼い毎日を送っていた。
そんな毎日が温かかった。
(つづく)




