第六章 武曲星 伍 朝の陽光、照らすとき
どうやら方向転換はうまくいったようだ。
あの嵐の作品が世間では話題になっているらしく、豊野が言っていたアニメーションにもなるとの話だ。
発刊部数も毎週のように延び、増刷の頻度が短くなっていく。
新聞事業に比べ、出版事業は顕著に世の中に反応する。
世間に求められるモノに焦点を当て、出版し続けることで流行を作りだし、そして次なる人気作を作る。
カヲルもその流れを感じているらしく、しょっちゅう私との密談をせがむ。
「本来であれば、お前が考えるべき」と叱っているのだが、ちゃっかりしている。
そのカヲルが面白い話を持ってきた。
偏屈で有名な鷲鼻眼鏡のいけ好かない男が、どこかでマンガの連載をしたいと言っていると。
風体と態度は気に入らないが、マンガの業界では第一人者。
我が社で取り込まない手はないと、富士見台へ走る。
そこでの商談はある意味、我が社を試すモノだった。
担当者はいう。
「他社で出版している『Iron Arm 原子』を御社版で再装丁し、出版して欲しい。それが出来るのであれば、お宅に新作を卸そう」
畜生。相変わらず、いけ好かない。
新作を卸す前に値踏みをしやがる。だがこれは、絶対に失敗することはできない。
私は、社内の校正、調整、検閲など各部門に指令を飛ばし、知っているありとあらゆる製巻・製本業者に全力でことに当たるよう指示を出した。
短期間での成果が、何よりの信頼になる。
なにかが私の中でそう囁いているのだ。
休日も出勤し、その進捗を確認し、微調整を加えていく。
単行本だけではなく、豪華装丁版として大ページの作品もつくる。
我が社のすべてを総動員して、製作をしたといっても過言ではないだろう。
ゲラを持ち、富士見台に向かう。
事務所に通されるものの、予約を入れているにも関わらず、担当者はなかなか現れない。
こちとら全社を賭けて成果を上げてきたというにも関わらず、この非礼は何たることか。
沸騰するアタマを抑えつつ、帰ろうとしたとき事務所の扉が開く。
入ってきたのは、鷲鼻眼鏡のいけ好かない男だった。
「やあ、やあ、待たせてごめんね。あぁ、君が海野君。噂は聞いているよ。なんとも素敵な装丁をしてくれたね。いやぁ。漫画家としたらうれしいねぇ」
トロンとしたような、だが聞きやすい声で、いけ好かない男は続ける。
「私の『Fire bird』の最新作を君の会社の雑誌で連載をさせてくれ。それと、『Iron Arm 原子』と同じように『Fire bird』も再装丁して出版してくれ。今後とも頼むよ」
それだけいうと、いけ好かない男は、事務所を後にした。
残された私たちは鳩が豆鉄砲を喰らったかのようにポカンとしている。
「海野さん。『Iron Arm 原子』の豪華装丁、持っていかれちゃいましたよ……」
脇でカヲルが言う。
あのタヌキ親父め……。
***
「Fire bird」と「Iron Arm 原子」の売り上げは、驚くべきモノだった。
増刷しても、増刷しても間に合わないほどに売れていく。
これほどまでにあのいけ好かない男のマンガが読まれていると思うと少し腹立たしい。
とはいったものの、我が社の収益を支えてくれる看板商品になったのは間違いない。
臍を噛みつつ、次の施策に取り掛かる。
これがうまくいけば、もう一段階売り上げが伸びると思われる。
今日は、そのためにここに来ているのだ。
新宿歌舞伎町一番通りから一歩入ったところにそれはある。
最近では、こういった隠れ家的な喫茶店が増えてきた。
時代の流れというのであろうか?
戦前にもあった英吉利調の喫茶店もいくつかは見受けられるのだが、米国風の喫茶店が多くなってきたようにも思う。
こういったところにも戦争の後遺症のようなモノは見受けられる。
まあ、ワタシ風情がなんと論ぜようと、世の中は変わってゆくのだが。
そんな感傷を抱きつつ、待ち合わせの喫茶店に向かう。
今回の打ち合わせに使う喫茶店は、嬉しいことに私好みの英吉利調の店だ。
カヲルも中々にいい配慮ができるようになったじゃあないか。
古いビルディングの一階を改装したのであろう。
その外装は白く、大きな窓からは、珈琲色で彩られた店内の様子がうかがえる。
この外観からも入店する前から、提供される珈琲に期待が高まる。
扉を開け、中に入ると少し焦げたような珈琲の香りが鼻をつく。
毎日、会社で出される安物の珈琲よりも、どことなく酸っぱい香りがするのは気のせいだろうか?
「いらっしゃい」
店主であろう、白髪で白い口髭を蓄えた初老の男の声が響く。
まるで活動映画から出てきたような、黒いベストと蝶ネクタイが小さな笑いを誘う。
「待ち合わせをしているのだが……」
店の雰囲気からか、いつも以上に声を潜めてしまう。
こんな小さなことに気を遣う自分に、少し苦笑してしまうが。
「あぁ、それでしたら、奥のテーブル席です。奥へとどうぞ」
店の奥には四人掛けのテーブルがあった。そこに男がいた。
小岩。いや、子熊といった方がいいのではないだろうか?
店内の奥まった、最も淀んだ場所で捕獲した獲物を貪るように、その男はスパゲティを食べていた。
「はじめまして。夕日ソノラマ出版の海野と申します。こっちは、流川。今回は、お話を聞かせていただく機会をいただき、ありがとうございます」
慇懃に挨拶をする。
まずはきちんとした礼を先に尽くすことが、今後すべての印象を支配する。
これは、今日、傍らに控えるカヲルのヤリカタから私が学んだ、最大の手法だ。
男が顔を上げた。
まるで真ん丸な大福のような顔、カビが生えたような無精髭、そして丸い眼鏡の奥には細い眼が覗く。
だが、若い……。
「あ、スミマセン。俺、腹、減っていたもんで。像です。夢布 像です」
その男はふてぶてしくも、食事を止めずに自らをそう名乗った。
「一応、今回読んでもらいたいヤツ、全部、持ってきたんで。とりあえず、五話分まで書いてきました。お気に召せば、イイんですが……」
そういいながらも像と名乗る男は食事を続ける。
こいつには礼儀や品性というものが無いのだろうか。
私は警戒を少し強める。
脇からカヲルが話しかける。
「五話分って……、結構な量ですがボツになったらどうするんですか? そんな息巻いても、確約はできません。私たちはまず、あなたの作品を読ませていただき、その上で判断をしていくんです。原稿が無駄になってしまっては、あなたのためにもなりません……」
真っ当な話だ。
通常、こういった類の話しをする際には要約、そして三話程度までを準備してもらい、それをもって掲載可能か審査する。
掲載を焦った新人の物書きが鼻息荒く、三話分の話しを我が社に持ち込むことだってある。
だが、採用し、掲載されることはまず無い。
順を追ったルートで無ければ、信用されず、また、そこに関わる私たちの時間だって割かれてしまうからだ。
私もこの世界に入ってわかったことだが、「オモシロイ作品を書けば売れる」というのは、全くのナンセンスだ。
読者が期待し、又は、続きが読みたい作品を書き続けることが最も重要なのだ。
このことを、多くの作者はこれを理解していない。
自分が表現したいこと、そして、自らが書いて気持ちいいことを文章にし、私たちの元へ送って来る。
失礼な言い方になるかもしれないが、そんな文章は自慰行為に等しい。
想像してもらいたい。
読者があまり名も売れていない作者の自己満足作品を見たいと思うであろうか?
それらを勘違いし、作品を作り続けるコイツらのために時間や労力を割く。
相手をしている私たちの身にもなって欲しい。
例え給料を貰ってそれを商いとして行っているとしても、それを吟味する私たちの時間は奪われていく。
売れるモノを選ばなければ、我が社としても、私としても無駄な時間を過ごしたことになってしまう。
海野商店でも感じたものであったが、商いには、売り手側、買い手側の人間性が現れる。
買い手側としては、相手を騙してでも安く買い付けたい。
相手がその商売に明るくないのであれば、少しでも吹っ掛けて自らの利ザヤを得たい。
その商売に明るくないモノを教育し、自らの配下と置き、まるで養分のように利益を吸い上げる。
それを相手にはわからないように巧妙に、そして静かに進める。
こんな輩を山ほど見てきた。
一方、商いに対して真摯に向き合っているモノもいる。
そんなまがい物の商いには動じず、自らの信念とお客様の利益の最大化のためにその知恵と戦略を張り巡らせる。
そんな商いをしていては、正直、店を失うことにもなりかねない。
だが、商売の本質とはコレなのだろうと今さらながらに思う。
海野商店を引き継いでいくことができなかった私がいうのも正直、憚れるが「信頼・信念・信用なくして、商いは成り立たない」と思うのだ。
商売とはモノではなく、心と信頼を売るモノだと最近の私は考えるのだ。
おっと。
自分語りが過ぎた。
脇で、像がカヲルに反論する。
「わかっちゃあいますよ。でもね。書きはじめると筆が止まらないんですよ。なんかね、こう、映像がアタマの中でほとばしるっていうか……、物語の方が、俺に『書け、書け』って囃し立ててくるんですよ……」
そう語りながら、ようやく食事の手を止めた象は、おもむろに鞄から原稿の束をテーブルに投げるように広げる。
すごい量だ。
像は「ニヒヒ」と笑うと、またスパゲッティーに手を伸ばした。
カヲルはその一部を手に取り、早速読みはじめる。
私は、胸元から煙草を取り出すと、ひと喫みし、紫煙を吐き出す。
まったく先日会った物書きもそうだったが、こいつら、一癖も三癖もある。
それに若い。
うちの雄と大して年齢は変わらんだろう。
***
先日、雄が結婚したいと女性を連れてきた。
なんの因果か、名を久という。
同じ字を使うとはいえ、弟を思い出さないわけがない。
人生っていうヤツはなんとも、難解なことか……。
ふくよかな女性だった。
仕事は、看護婦をしているらしい。
雄は定職に就いた後も「法律がやりたい」と勉強をしていると言っていたと思えば、今度は結婚がしたいという。
我が息子ながら、なんとも「能天気な坊ちゃん」に育ったものだ。
だが、久さんは、そんなアホ息子をしっかりと支えてくれるという。
なんとも嬉しいことか。
むしろ、申し訳ないとすら思う。
私が至らなかったせいで、こんなにも世間知らずに育ってしまった雄を「しっかり支えていきたい」と言ってくれている。
手前どもの実情をすべて知っているわけではないにしろ、そんな提案に心が温かくなる。
世の中には、まだ慈愛に溢れる人がいるのだと心から安堵する。
とは言っても仕事は仕事だ。
最近、相手をしている物書きってヤツらもある意味、「能天気な坊ちゃん」たち。
ああ、まったく。
毎日、しっかりと仕事をし、そして家族を養っていく。
そんな、当たり前で地に足の着いた仕事をする人間が、この世界に少なくなっていることに最大限の恐怖を感じる。
日本古来よりを続く、勤勉な国民性というのは、どこへ行ってしまったのであろうか。
吐き出す紫煙が、喫茶店の天井に向かって消えていく。
この混迷なる思考も全て、吐き出し、消えてしまうのであれば、どれだけ楽なコトか……。
「せ、清さん……、これ……、すごいですよ……」
原稿を読んでいたカヲルがその手を震わせながら、漏らす。
その視線は、原稿から離れない。
カヲルが文章を読み、こんなにも狼狽する姿はいままで一度たりとも見たことがない。
……コイツは、本物か……。
心の中でつぶやき、無精ひげの男の顔を静かに、下から上まで、睨める。
「先日、お宅で抱えることになった中田って、物書き。俺は、アイツには負けたくないんですよ……」
像が下卑た笑いを静かにこぼし、そう呟いた。
(つづく)




