第五章 廉貞星 肆 絶対帝王学(離)
「守破離」における最後の一文字。
離:これまでの「教え」と「学び」を土台とし、己で新しく作り上げていくこと。
これをじいちゃんが説いていたのは「それ必要か」「先に出せ」だった。
『それ必要か』
今、目の前に迫っていることに集中し、余計なことに注意、時間を払わない。
それが本当に必要かどうかを判断するためにも、常に冷静で、客観的な目を持つことが大事。
『先に出せ』
相手から提供されることを待ってはいけない。
まずは自分が先に出さなければ、なにごとも成功することはない。
「信頼」「お金」「感情」「意見」。
先にすべてをさらけ出さなければ、相手は安心してさらけ出してくれない。
「守」で自らの根幹となるモノをしっかりと確立し、「破」で、他者の手法を学ぶと共に、自らを表現していくことを学んだ。
「離」は、今までの学びから自ら作り上げるものである。
そのための冷静で客観的な「眼」と、先に自らを晒す精神。
これができたからこそ、自らの意識をさらに作り上げていくことができるのであろう。
人生とは、生きるとは、常に悩み、苦しみ、そして混迷するもの。
その中で、考え、そして行動することは自らとの戦いなのであろう。
ヒトは時に堕落し、時に失意に沈む。
だが、そこから動き出せるのは自らの中の「守破離」をきちんと理解し、構築してきたモノだけなのだろう。
現代、多くの人は新しいことに挑戦することを厭う。
大多数の意見に翻弄され、軽薄なそれを自らの主張であるかのように錯覚する。
その錯覚と本来の自分の声との軋轢に気付いたモノは、心を病んでしまうのである。
自分自身の存在と世の中に、苦しめられる現代人というものは、なんと滑稽なモノであろうか。
このようにすべての人間が思想と、自分に迷う時代であるからこそ、祖父が残してくれた帝王学が必要なのではないだろうか。
父親なき社会。
指導者なき世界。
そんな時代には、自らが自らの主人とならなければならないのであろう。
祖父は、そんな社会を冷静に見ている立場だったからこそ、私に帝王学を伝えたかったのではないだろうか?
***
隣では、妻が相変わらず静かな寝息を立てている。
じいちゃんは、最後の時、絶対帝王学を伝えてきた孫の嫁の傍で過ごした。
「帝王学を孫と一緒に次代へと、つなげていってほしい」
もしかしたら、妻にそんな想いを持って接していたのかもしれない……。
(つづく)




