第五章 廉貞星 壱 絶対帝王学
カヲルさんとの話は私の想像をはるかに越えるモノだった。
その中でのじいちゃんは、悩み、もがき、そしてがむしゃらに生きていた。
私の知らないじいちゃんがそこにいて、自分の人生に一生懸命向き合い、走っていた。
私がそんなじいちゃんからもらったのは、多くの意識高い考え。
それはもしかしたら、じいちゃんなりに私に伝えたかった帝王学なのかもしれない。
そんなことをベッドルームで考える。
隣で眠る妻の寝息の何たる平和なことか。
しかし、この平和は、私たちの世代だけで築き上げたモノではない。
私たちの両親の世代、そして祖父母の世代が一生懸命に生き、そして引き継いできたもの。
隣室で眠る子どもたちも、そこに私たちの生きた道を加え、次の人生を紡いでいく。
そんな当たり前なことだが、日々、感じることが少ないことをぼんやりと思う。
私たちは、「生きている」のではなく。「生かされている」のではないかと。
***
じいちゃんとの生活とその「教え」を少し、思い出す。
じいちゃんとは、幼い頃一緒に暮らしていた。時に厳しく、そして優しい子供好きな人だった。
両親が仕事の間、じいちゃんの部屋で花札や軍人将棋を楽しむのが日常。
小学校で大きなケガをしたときには、真っ先に駆け付けてくれた。
そんな孫想いの優しい人だった。
私が十六歳のある日突然、じいちゃんと別居することになった。
じいちゃんは、愛人と生活をはじめることになったのだ。
別居といっても、車で一時間程度の距離。
年に数回は、私はじいちゃんに会いに行っていた。
会いに行くと「これでもか」と言うほどの料理。とても愛されていた。
しかし、大学生、社会人になるに従い、会いに行く機会は、減っていった。
当然だろう。年頃の青年は、家族よりも遊びを優先する。
そんな、誰しもが浸る青春を恥ずかしながら、私も謳歌していた。
私が社会人になる頃には、じいちゃんも自由に仕事をしていた。
定年後会社を設立し、悠々自適な生活を送っていたのだ。
そんなある日、仕事中の私の携帯電話に連絡があった。
私は一瞬で青ざめた。
じいいちゃんは、いわゆるオレオレ詐欺にひっかかりそうになっていたのだ。
急いで父に連絡し、じいちゃんの様子を見に行ってもらう。
幸い、大事には至らなかった。
この出来事を機に、じいちゃんは一人で暮らす自信を失ってしまったようだった。
それ以後、じいちゃんは私の両親と同居することとなった。
***
タイミングとは、重なるものである。
私もじいちゃんと両親の住む実家から、歩いて五分の分譲マンションを購入した。
妻との共働き。しかも、子供達はまだ幼い。
必然的に夕食は実家で揃って食べる生活がはじまったのだ。
私からすれば、食費も節約できるし、子供達の面倒も見てもらえる。しかも、じいちゃんや両親の喜ぶ顔を毎日見ることができる。
本当に毎日、幸せを噛みしめさせてもらった。
子供達もじいちゃんと遊ぶのが好きなようで、毎日のようにじいちゃんの部屋で遊んでいた。
その、どことなく懐かしい風景に、心が温かくなる毎日だった。
この頃のじいちゃんの楽しみの一つが、私とお酒を飲むこと。
私も楽しかった。特にじいちゃんの昔語りが。
じいちゃんの話を聞きながら、時には笑い、時には厳しく言いつけられることもあった。
とても貴重で素敵な時間だった。
いつの頃からか、私はじいちゃんの会社の経営を伝いを行い、支えることも多くなっていった。
私には本業があるのだが、じいちゃんは手伝いを強いた。
こういう強引なところが、面倒だった。
でも楽しかった。悲しいこともあった。多くを学んだ。
流行病が蔓延しはじめた頃。
電車での移動が多い私は、実家での夕食を自粛した。
外出や人と接することが多いため感染リスクの高い私が、実家に行くことで、じいちゃんや両親を危険にさらす可能性がある。
子供達の学校も閉鎖され、世の活動は完全にストップ。
しかし、私の会社は、全員出社の命令。
家族よりも世の中のために働かなければならなかった。
***
そんなある夜、母からの電話があった。
じいちゃんが倒れ、病院に運び込まれたとのことだ。
完全なる面会謝絶。
流行病が蔓延する中でこのような経験をされた方は、多いのではないだろうか。
***
次にじいちゃんに会ったのは、葬儀場の安置室だった。
いまでも思い出すだけで涙が止まらなくなる。それがじいちゃんとの生活の終幕だった。
幼い頃から受けてきたじいちゃんからの「教え」。
じいちゃんの昔語りや経営の中での「教え」、そして最後の「教え」。
私にとって最も根本的であり、大切な「教え」。
それを今日はちょっとだけ、思い出す……。
(つづく)




