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幾千の夜と暁を越えて  作者: 白明


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第三章 禄存星 肆 戦争が奪ったものは学びだけなのか

「もう一本、つけてくれるか?」

 カヲルさんは、二合徳利をレイさんに申し訳なさそうに差し出す。


「今日は、お客様がいらっしゃっているからって、あまり調子に乗らないでくださいね」

 レイさんはそういうと徳利を持って部屋を出る。

 その目元が緩んでいることからも、彼女も楽しんでいることがわかる。

 じいちゃんの話で二人の空気が柔らかくなっている。

 そういう空気感をじいちゃんは人に多く与えてきたのだろう。



「清さんは、学舎でも目立っていてね。いつも人の輪の中心にいたんだ。いつも清さんの周りには、人が集まっていてね。でも、徒党を組むわけじゃあないんだ。本人は気にする風でもなく、飄々としている。その姿に多くの人が惹きつけられたのかもしれないねえ……。


 そんな中、なぜかね、清さんは私のことをいつも気にかけてくれたんだ。私たちは同じ年頃だったのになぁ。アニキに気をかけてもらうようで、ちょっと恥ずかしかったんだよ。だけど、一緒にいたかった。どうやら私が弟さんの雰囲気に似ていて、気になっていたそうだ。それでもよかった。


 いつも一緒にいる仲間の中には、高野山から出てきていた小坊主もいたんだ。君も知っているだろう。千日業を達成し、三人目の大阿闍梨になった奴だよ。そんな面白いやつがたくさん清さんの周りにはいたんだ……」

 周りにいる人間をいつの間にか楽しませ、そして居住まいを正させる。

 そんなところは、昔から変わらないらしい。

 私は、猪口をきゅっとやる。自然と口元が緩む。



「勉学もかなりしっかりとされていたんだよ。万年、落第ギリギリの私に、考査前には泊まり込みで算盤を教えてくれたりもしたんだ。『こんなのもわからんのは、精進が足りないからですよ』なんて、いつも言われていたよ。本当に優しいんだか、厳しいんだか。まあ、そこが清さんのいいところだったんだよ……」

 レイさんが二合徳利を盆に乗せ、部屋に入ってきた。


「あらあら、随分楽しそうに話しているのね。清さんのヒミツの話しでもしていたのかしら?」

 そう言って、レイさんは微笑を浮かべながらカヲルさんの猪口に酒を注ぐ。

 燗されているためか、アルコールがふわりと鼻につく。


「いやぁ、まだ学生の頃の話しだよ。真面目でしゃんとしていて、自然と誰の眼にも止まってしまう。そんな清さんのことを話していたんだ」


 レイさんは目を細めていう。

「えぇ、えぇ、そうですとも。背もスラっと高く、そして意志の強そうな眉。その下に切れ長の二重がとっても色っぽくてね。照さんがいても、女性からの評判もよかったのよ」

 なんだそれは? そのじいちゃんに似ているといわれる私もいい男なのか?

 そう思うと、なんだかこそばゆい。

 しかし、そんなこと言われたことは、私は一度だってない。



「そんな楽しかった時間も、戦争によって強制的に終わらされてしまったんだ。

『学徒動員』

 君もきいたことがあるだろう。太平洋戦争が終盤に差し掛かったころ、兵士の数が足りなくなってきたんだ。誰しもが戦争に向かう。それは、学生であってもだ。私たちは、これの公布によって翌月には強制的に卒業。あの小坊主は、最後に教師に食ってかかっていたが、それも清さんが宥めていたっけなぁ。高野山に戻るのが本当に嫌だったんだろう。最後に別れる際には、みんなで肩を抱き合って泣いたよ。もう一度、生きて会おうって……」


 まさか戦時中の学生のリアルを聞けることになるとは。

 じいちゃんからは、こんな話は聞いたことが無かった。

 月並みな言い方だが、じいちゃんにも学生の時代があり、青春を謳歌していた。

 それを政府が、戦争が、奪ったのだ。

 もっとも多感であり、そしてさまざまなことに想いを巡らせ、議論を交わす。

 そういった精神的な成長がもっともなされる時間を奪われる。

 当時の学生たちは、その後、どうなっていったのだろうか?

 思考や行動が奪われる。そこまでして戦争を続ける必要があったのだろうか?

 まあ、ワタシ風情がそんなことを語ってもどうしようも無いのだが。


***


「寮から追い出されてしまった私は、清さんの家に仮住まいさせてもらった。実家のある山形には、帰る手段が無いほど戦争はひどくなっていてね。それに金もない。

 清さんは『一人や二人増えたところで、たいして変わりませんよ』と、招き入れてくれたんだ。照さんも『清さんと二人だと、息が詰まります。カヲルさんがいた方が、家の中が明るくなるんです』なんて言ってくれたもんだから、私も気持よく過ごさせてもらったよ。


 清さんと照さんのやり取りも面白くてね。あの二人、お互い好き合っているのに、なかなかに進展しない。こっちとしたら、恥ずかしいくらいのやり取りをしていたよ。まあ、なんとも不思議な三人の共同生活でしたね。

 空襲があったある日なんて、玄関のタタキに焼夷弾が落っこちてきたんだよ。あれは、怖かったね。ちょっと間違えば誰かが大怪我するところだったよ。


 学校もないもんだから、三人で出かけたいのはやまやまだったけど、世間が世間でね。私は、暇を持て余していたよ。戦時中となるとね、何をするにも周りの眼がキツイのさ。時々、清さんの弟が遊びに来ていたので、一緒に花札やなんかをやって楽しんだもんだよ。

 清さん? 清さんは毎日飽きもせず、本ばかり読んでいたよ。その本も既に何度も読み直しているというのに飽きもせず、何度も何度も読んでいた……」


 戦時中は、本の内容さえ取り締まられていたと聞く。

 じいちゃんはどんな本を読んでいたのだろう。

 そんな時代から本が好きだったのだな……、と感慨にふける。


「そんな何もない生活もあっという間に終わってしまったんだ」

 カヲルさんは、猪口を一気に煽り、漬物を口へ放り込む。

 その目に少しの厳しさが灯る。


「赤紙が届いたんだ」


(つづく)

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