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幾千の夜と暁を越えて  作者: 白明


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第三章 禄存星 伍 世界は一日で変わる

 寿司をツマミに萬壽を煽る。

 なんとも贅沢なことだ。

 そこに加えて私の知らなかった、じいちゃんの生きた時代を聞く。

 私の心はここに来てからというもの、揺さぶられ続けている。



「赤紙は、まず清さんに、次に私に届いた。

『何月何日までに、どこどこの駐屯地まで来られたし』

 臨時召集令状と書かれた薄赤い紙には、命令口調でそう書いてあった。噂には聞いていたが、まるで警察署への出頭要請のようだったよ。清さんは陸軍の立川駐屯地。私は、横須賀の海軍へ行くことになったんだ。当時、清さんは『陸軍は、またも私の人生を狂わすのですか! 』とあまり見せたことがない怒りの言葉を投げていましたよ。よほど陸軍がお嫌いだったのでしょうね。


 戦後に清さんから聞いたのですが、清さんは駐屯地では機械工として訓練をしていたそうです。毎日油まみれになりながら、組立訓練、装填訓練、白兵戦訓練と、みっちりとシゴかれる。清さんのようにがっしりとした身体つきであっても、かなりしんどかったと言っていました。


 私のいた海軍の方でも、概ね同じようなものでした。それにも関わらず、食事はマズく、量が少ない。お国の為とは思っていましたけど、心の中では『何でこんなことをしなけりゃならんのか』と、いつも思っていましたとも。それは、清さんも同じだったんじゃないでしょうかね。


 ほら。ちゃんと食べないと乾いてしまいますよ」


 いつの間にか、食事の手が止まってしまっていた。そりゃあ、こんなにもリアルな戦中の話を聞いていたのだ。無理もない。

 頬張るように寿司を口の中へと押し込む。マグロと米と一緒に、今までの話しを咀嚼する。

 じいちゃんは商売をはじめ、学業に励み、そして戦争に巻き込まれた十代を過ごした。

 その人生は過酷で、毎日が目まぐるしく変わっていくものだったのだろう。


 それに比べたら、私のここまでの人生はいったいナンダ?

 余りにも甘く、だらしなく、そして何も考えていなかった。

 何よりも「生きること」を他人事のように過ごしてきたと思える。


「しっかりと生きる」

 その感覚は、戦争を体験したからこそ感じることができたのかもしれない。

 今の私たちに必要なものは、こういった感覚なのかもしれない。


***


「結局、私たちは出兵することなく、終戦を迎えたんです。嬉しいような、置いて行かれたような、なんとも言えない感覚でした。後に玉音放送と呼ばれるそれを聞いた時には、私には最初、何を言っているかわかりませんでした。


 その日は本当に暑い日でね。

 いつもは怖い顔をしてサーベルを振り回していた上官は正装し、涙を流していたいんです。ひとしきりラジオからの放送が終わると、上官からは『部屋を片し、退去するように』と指示されました。酷いもんですよね……。これまで散々に訓練といっては、シゴかれ、殴られ、整列させられていたのに。

 その時になってようやく、戦争が終わったことを私は、理解しました。同じ学生兵士も大体同じように感じていたんだと思います。せっせと身支度をするもの、ダラダラとするもの。色んな思いがあったのでしょう。


 私は、早く九品の『清さん』の家に帰りたく、その日のうちに横須賀を発ちました。そんなにたいした荷物なんてありません。あったとしてもちょっとした着替えだけ。その足は、自然と早くなりました。夕刻には到着しましたが、まだ清さんは帰宅していませんでした。


 照さんも元気そうで、急いで風呂を焚いてくれました。ゆっくりと風呂に入るなんて本当に久しぶりでね。海軍でのツライ想いも、垢と一緒にぜんぶ流れていくような気がしましたよ。夕餉には久しぶりの燗酒を出してくれてね。この時の味といったら、今でも忘れることはできませんよ」


 徴兵された多くの人たちは、帰って来ることができなかったと何かの資料で読んだことがある。

 帰ってきたからこそより強く感じる「生」というもの。

 戦争とは、人々から何もかもを奪う一方で、生きることの意味を問うたのかもしれない。

 少し酔いのまわったアタマでそんなことをボウっと考える。


***


「酒を飲みながら、照さんに私の海軍での話をしていると、

『どうやら清さんも出兵せずにこの日を迎えられたようだ』

 と涙を浮かべて話してくれました。


 そりゃあ、そうですよ。大切な人が生きて戻ってくるんですよ。私は酔った勢いで『もう、離しなさんな』と言ったことを覚えています。照さんは、よけいに顔を赤くして、私を小突いてきました。チカラは、まったくこもっていませんでしたけどね……」

 ばあちゃん。

 結構なツンデレだったんだな……。


「清さんは、翌日の昼頃に帰ってこられました。真っ黒に日に焼けた顔いっぱいの大きな笑顔で、照さんを抱きしめていましたよ。本当に幸せそうでした。見ていて、自然と涙が出てきてしまうほどでしたね……」

 カヲルさんの話で、その情景が私のアタマの中に広がる。

 普通の人たちが、普通に幸せを享受する。

 そんな当たり前のことが、戦争が終わることによってはじまる。

 それはたった一日で変わった。


 そんな激動の時代をじいちゃんたちは過ごしてきた。

 想像を遥かに越える世界を知り、改めて私は深い息を漏らす。



「さて、今日はこの辺りにしましょうか。さすがの私もちょっと飲み過ぎてしまいました。さすが、清さんのお孫さん。酒の強さも遺伝するものなんですね。また、大切な友人の話をさせてくださいな……」

 お酒のせいか、少し顔の赤くなった好々爺は寂し気に笑った。


(つづく)

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