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幾千の夜と暁を越えて  作者: 白明


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第三章 禄存星 参 不幸は時に一か所に固まる

「君が知らないのは、海野商店の話しだったね」

 燗をした萬壽を猪口へ互いに注ぎ、チビリとやりながらカヲルさんは話しはじめる。

 肴はきゅうりと茄子の糠漬け。

 寿司が届くまでの間にと、レイさんが用意をしてくれた。


 レイさんがカヲルさんの元に嫁いでから作り続けている、自慢の一品だとのことだ。

 いい塩梅で、軽い酸味が口の中に広がる。

 それを日本酒で流し込む。

 塩味と日本酒の甘さが絡み合い、のどをコロコロと転がっていく。

 心地よい刺激と鼻から抜けるアルコールが、私の舌を滑らかにする。


「はい。海野商店に関しての話しは、祖父からも、父親からも聴いていないんですよ。私が今、管理しているマンションは、海野商店の跡地に建っているという認識しかないんです。海野商店は、一体どうなってしまったのでしょうか? 祖父が騙されたとおっしゃっていましたが、乗っ取られてしまったということでしょうか?」

 知らないことだらけなのだ。

 大好きなじいちゃんのことなのに。

 どのような人生を歩み、そして挑戦をしてきたかを。


「さっきもちょっと話したんだが、私も清さんから聞いた話なんだよ。完全に正確とは言い難いけど、君は知っておく責任がある。いや。知らなければならないと私は思う。では……、覚悟を持って聞いて欲しい」

 カヲルさんは猪口を一気に煽る。

 すかさず私は、徳利でカヲルさんに酒を勧める。

 ペースとしては、ちょっと早いのかもしれない。

 今夜は長くなりそうだ……。


***


「清さんは海野商店に養子に入ったっていうのは、知っているだろう? 海野商店は、コンクリートや礫などを扱う、いわゆる土建の材料販売が中心。当時は、全国で道路を整備する計画がはじまったばかりだったので、相当な賑わいがあったみたいだね。仕事の特性からも、当時、珍しかった自動車を持っていたくらいだから、相当、儲かっていたんだろうな。その海野商店は、先代の正さんという方が亡くなるとほぼ同時に、廃業にしたらしいんだ。


 清さんは海野商店をどうにか切り盛りをしていたらしいのだが、同業者からの嫌がらせや、裏切りが多くあったらしい。そんな状況にヘキヘキとした清さんは、店をたたみ、学業に専念することにしたんだ。在庫の処分や使用人たちに暇を与える際に支払ったお金を差し引いても、大きな家と土地や財産が清さんには残ったそうだ。


 そんな中でも慎ましい生活をされていてね。清貧という言葉がぴったりの生活をしていたよ。まあ、元々、贅沢にはあまり興味がないみたいだったけどね。学舎でもいつも凛としていたよ。清さんは、背筋がいつも伸びているんで、みんなにニワトリみたいだって言われていくらいだよ」

 そこまで語ると猪口をグビリとやる。

 その瞳には、遠くの何かを包み込むような温かさがある。


「騙され、裏切られた……。だから、祖父は常に『仲間』を意識して生きていたのですね……。『お前に仲間はいるのか?』と、私も常に言われていました。そして……、事業よりも学業に集中した。ということは、正さんの奥さんである千さんと一緒に暮らしていたってことですか?」

 私は、前のめりになり言葉を継ぐ。

 義母と二人きりでの生活。そこにはどんな想いがあったのだろう……。


「そうなんだね……。清さんは常に仲間のことを想い、そしていつも大切にしていた。それは、君にもしっかりと受け継がれているんだね……。裏切られたことが、ある意味、トラウマになっていたのかもしれないな……。

 いや……。清さんは一人の使用人と暮らしていたんだ。義母だった千さんは、正さんが亡くなった後、後妻に出たと聞いているよ。まったく清さんは、義父母と海野商店の三つを同時に失ったんだから、相当なことだったと思うよ。


 そんな清さんを支えたのが、一人残った使用人なんだ。後に、君のお婆様になられる方だよ。君は照さんのことを覚えているかね? 本当に、太陽みたいにいつも笑っている人だった。清さんからすれば、『うちの照にだけは、アタマがあがりません』とよく言っていたよ。私たち夫婦にも照さんは、いつも優しく、朗かに接してくれていたんだ。本当に惜しい二人を亡くしたよ……」

 やはり猪口をグビリとやる。

 その表情は懐かしさと、物悲しさが同居しているかのようだ。


 じいちゃんとばあちゃんの出会いは、海野商店であった。

 じいちゃんが養子に入り、海野商店を継いでいなければ、私は今ここにいない。


「改めて、教えてください。祖父とカヲルさんやレイさんの関係というのは、友人っていうことなんですかね?」

 何を今さら。

 そう感じるが、聴かずにはいられない。

 この人たちはじいちゃんだけでなく、ばあちゃんとも縁が深いらしい。

 そんな人たちと今こうしてじいちゃんについて話をしている。

 時代を超え、故人を語る。これは幸せなことではないかとしみじみと感じる。


「あぁ、すまん。すまん。清さんとは同じ学舎で学んだんだ。終戦後には、仕事も紹介してくれてね。一緒に工場でも、夕日新聞社でも働いたんだ。私たち夫婦の仲人は、清さんと照さんだったくらい付き合いが深いんだ。まったく、公私にわたっての付き合いというのは、このことさね」


 学生の頃から仕事まで……。

 じいちゃんの自伝を作成するには、もってこいの情報源じゃあないか。

 そんな損得勘定がアタマを旋回する。

 私も猪口の中の酒を一気に流し込む。

 アルコールが、食道を熱くする。

 私の気持ちをより煽るように。


「学舎での毎日は本当に楽しかったんだよ。戦争なんてはじまらなければな……」


(つづく)

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