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四つ葉の郷の物語  作者: 村野夜市


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16

通路を出たところは、ちょっとした野原だった。

子どもたちがひなたで遊ぶのにちょうどいいような。

けど、今は誰もいない。

この郷の子どもたちは、昼間は眠っているから。


気持ちいい風が吹いてくる。

やっぱり僕には、地上のほうが落ち着くなあと思う。

まあ、そのへんは、種族の違いというか、そんなところかな。


そのとき。

吹く風のなかに小さな声が混じっていた気がして、僕は、はっとした。

もしかして、マリエもここにいる?


僕とマリエとの間には、どこにいても、いつも必ず、どこか繋がっている感じがある。

僕自身の実体がマリエから分けてもらったものでできているから。

実体を持つまでは、それがどういうことかよく分かっていなかったんだけど。

それは、マリエに否応なく繋がれているような、そういう感覚でもある。

もっとも、マリエのことを僕は拒絶なんかしてないから、否、のほうは今のところはないんだけど。

そもそも、拒絶するような相手だったら、最初から受け容れたりしない。

実体を諦めれば、僕は自由になるんだろうけど。

あの、誰にも気づかれず、光も風も時間も、僕には関わらずに通り過ぎていく、あの感じ。

あの場所には、今はまだ、戻りたくない。


声のするほうに近づいていくと、傾斜のむこうに座っているマリエを見つけた。

僕は声をかけようとして、そのまま息をのんだ。

マリエの頬から、ぽたりと涙の雫の落ちたのが見えたから。


ぽたり、ぽた、ぽた。

きらきらした雫は次々に落ちてくる。

マリエは声を出さずに静かに泣いていた。

さっきのは、うっかり漏れてしまった声だったのかも。

誰もいないこんな場所なら、思い切り声を上げて泣いたって構わないだろうに。

それでも、マリエは声を出さずに泣いていた。


声をかけるべきかかけないべきか、しばらく思い悩む。

けど、誰かに見つけられたいと思っているなら、そもそも、こんな場所で声を殺して泣いたりしない。

だから、僕は声はかけないほうがいいと思った。


それでも、このまま引き返してしまうこともできなかった。

僕は、隠れるようにしながら、そっとマリエの様子を伺った。


マリエの手元には小さな本があった。

神官が一人前になったときに授けられる、精霊の書だ。


マリエは教会の前に忘れられていた子どもだ。

それをマリエは、決して、捨てられていた、とは言わない。

多分、マリエを育てた人が、決してそう言わない人だったんだろう。


マリエを育てたのは、その教会の神官だった人だ。

マリエはその人のことを、お父さまと呼ぶ。

マリエを神官に導いたのもその人だから、導師でもある。

あの本はそのお父さまから授かったものはなずだ。


最初僕は、故郷が懐かしくなって、泣きたくなったのかな、と思った。

郷に帰ったフィオーリを見ていたら、そうなっても仕方ないのかもしれない。

故郷を懐かしむ気持ちは、僕にはないんだけど。

それでも、それがどういうものかくらいは、想像できないこともない。


ところが、ふと、本の間からなにかぽろりと落ちた。

マリエが見ていたのは、本ではなくて、その花のようだった。


それは、干からびた小さな花だった。

押し花、とか言うんだよね。

思い出のある花とか、わざわざ本の間に挟んでおいて、あんなふうにするんだ。

干からびて、色も褪せて、そうまでして花を残しておく気持ちって、僕にはよく分からないんだけど。

もしかしたら、花そのものより、それを見て思い出す思い出のほうを残しておきたいのかもしれない。


落ちた花を拾おうとマリエが手を伸ばす。

けど、マリエって、不器用だし、力加減も下手くそだ。

マリエの手のなかで、乾ききった花は、粉々になった。

開いた手から、ぱらぱらと花のかけらが落ちていく。

ほんの、一瞬の間のことだった。


マリエはしばらく呆けたように、粉になった花の残骸を眺めていた。

それから、ゆっくりと手で顔を覆うと、しくしくと泣き始めた。

必死に押し殺そうとしていても、指の間から嗚咽が漏れる。

あまりにも悲しげなその様子に、僕はもっと動けなくなった。


それはこの辺の野原にたくさん生えている花だった。

花がほしいんなら、その辺のを摘んで、また本に挟んでおけばいい。

けど、それじゃだめなんだって、僕にも分かった。


あれって、多分、フィオーリが花冠に作っていた花だ。

マリエにとっては、その、フィオーリが、ってのが、大事なんだ。


ふと、胸のなかを冷たい風が吹いたときのことを思い出した。

フィオーリの淹れてくれたお茶の味が、口のなかに広がったっけ。

マリエも今、こんな気持ちなんだろうか。


嬉しいはずなのに、心が冷える。

喜ばないといけないのに、どうしてか嬉しくない。

そんな自分が、たまらなく嫌なものに思えて、だから、こんな気持ちは誰にも知られたくない。


声を殺して泣くマリエを、僕はじっと見つめていた。

慰めの言葉とか、何も思いつかなかった。

いやきっと、そんな言葉とかいらないだろう。

こんな場所に隠れて、こっそりひとりで泣いているんだから。

誰もいないのに、必死に声を押し殺しているんだから。

マリエのことを思うなら、僕は、このまま知らん顔をして、ここから立ち去るべきなのかもしれない。


それでも僕は、立ち去ることもできなかった。

マリエを、このまま、ひとりぼっちにはしたくなかった。

マリエは僕がここにいることには気づいていない。

それならば、このままこっそり、ここにいよう。

呼べば声の聞こえるところに、じっとしていよう。


もちろん、僕は、ここで見たことを誰にも言うつもりはない。

マリエにだって、知らん顔をしているつもりだ。


ただ、今は、僕自身がここにいたいから、ここにいる。

僕にとってマリエは、特別な人だから。

あの暗い森で、マリエは僕を見つけてくれた。

ずっと長い間、ひとりぼっちでいた僕を、マリエはここに連れてきてくれた。

マリエのおかげで、今、僕は、こうして、ここにいる。



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