Ch.016① 神奈川大会決勝
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7月31日、日曜日。神奈川大会決勝当日。
「おはよう、ヨル。」
「おはよう、姉さん。」
起きて部屋を出て、姉さんと朝の挨拶を交わしたあと、食卓につき、姉さんが作ってくれたハムエッグサンドを食べ始めた。
昨日の夜、家に帰ってから、これまでずっとテレビ中継でしか試合を見ていなかった姉さんが、急に神奈川大会の最後を現地で見届けたいと言い出した。
横浜スタジアムでは夢ちゃんたちと合流するらしいので、僕も先に夢ちゃんへ連絡しておいた。
だって、ツネとヒロの二人のスケベ野郎に、こんな早い段階で姉さんのことを知られたくない。
─「いいよ~悠月姉とも久しぶりに会いたいし。祐太と霜目も喜びそう。あ、心配しなくていいよ。二人には先に言わないから。」
姉さんは両手で頬杖をつき、やたら甘やかすような目で僕を見ていた。
「おいしい?」
「おいしい。」
まあ、ほかの答えを言う勇気もないけど、本当においしい。
昔からこんなに料理できたっけ?
日吉駅から電車に乗り、日本大通り駅で降りた。
そこから僕らは、横浜スタジアムのある横浜公園までゆっくり歩いて向かった。
「そういえば姉さん、紫木さんは誘わなかったの?」
「会いたいの?」
僕の質問を聞いた姉さんが、意地の悪い笑みを浮かべる。
「け、結構です。ただ、夢ちゃんたちと一緒にいて退屈しないのかなって。」
姉さんは気だるそうに長く息を吐いた。
「あ~琉香って野球に興味ないのよ~前に無理やりプロ野球観戦に連れていったことあるんだけど、ずっと『難しい』、『分かんない』って文句言っててさ。最後なんて寝たの。ひどいでしょ?野球ってあんなに面白いのに。」
「そうだね。」
ん……ルールすら知らない人を球場へ連れていって、何も教えない姉さんにも結構問題あると思うが、反論するのも面倒なので、適当に返した。
「今、悪いの私だと思ったでしょ?」
「いや、思ってません。」
……この女、絶対読心術使えるだろ。
「自意識過剰なガキ。」
姉さんとは違って、紫木のそばに野球を教えてくれる人がいないなら、僕も無理に来いとは言わない。
その点は小山に感謝だな。
「姉さん、このあとどうするの?」
「スタンドからあんたたちのアップ見てるかな~時間になったら外に出て、夢ちゃんたちと合流するよ~」
「了解。」
一塁側付近の集合場所まで着くと、姉さんは先にスタンドのほうへ向かった。
選手たちは、それぞれ自分のペースでアップしている。
全然一つのチームに見えない。
でも、これが昔からのパンドラ高校野球部だと思うと、ちょっと面白い。
「遅いぞ、後輩。」
肩を伸ばしていた椎名先輩が、最初に僕へ気づいた。
「羽冬、さっき一緒にいた人誰だよ?」
胸の前で腕を引いていた松谷先輩が聞いてくる。
普段はかなり真面目にチームを引っ張ってるのに、女子の話になると……
「また知り合いたいのかよ。」
ランジをしていた羽田先輩が、すぐ僕の心の声を代弁した。
「お前、他人の姉とか妹とかにしか興味ないの?」
首を回していた望月先輩まで続けた。どうやら、前に松谷先輩が望月に話しかけた件、まだ結構気にしてるらしい。
ん?僕ら、姉弟って分かったの?
「違うって、馬鹿!もう勝手なこと言うな!」
仲いいなあ。そう思いながら、僕は静かに会話から離脱して、腕を伸ばしていた風のところへ向かった。
「先輩、今日の作戦、もうみんなに話したんですか?」
「ああ、大丈夫。その辺は試合前でいいよ。先輩たちはすぐスイッチ入るから。」
しばらくして、全員が一塁側のベンチへ入った。選手たちはそれぞれグローブを持って、グラウンドへアップに出ていく。
「羽冬!」
「OK!」
もちろん、僕と今日も非常に可愛い望月もアップに加わった。
途中でスタンドを見ると、姉さんがこっちを……え?僕のこと撮ってない?おい!絶対動き変だから撮るな!
今日の試合開始は午後1時。まだ12時半にもなっていないのに、スタンドはすでにほぼ満席だった。
試合前、風が自分を中心に、全員を円になるよう集めた。
「ちょっと集合。」
「金垣の実力は、昨日みんなも見たでしょう。正直、僕が守みたいに抑え込めるとは思ってない。今日はボコボコに打たれるかもしれません。」
「意外と正直だな。」
城島先輩の突然の一言に、全員の口元が少しだけ引きつった。
空気が落ち着くのを待ってから、風は続けた。
「でも……」
「野球は九人でやるスポーツです。」
「総合力なら、僕らが負けるわけないでしょう?だって、唯一僕らを苦しめられるチームは、もう落ちたんだから。」
みんなの顔に、自信のある笑みが浮かぶ。矢野先輩だけ、少し複雑そうだけど。
「今日は最初から5対0で負けてるつもりで、思いっきり取り返そう。先輩たち、僕のことカバーしてください。」
「ふん。分かってるじゃねえか。」
望月先輩が偉そうに返した。
誰も特に付け加えることはないらしいし、松谷先輩が大きく息を吸って、右手を真ん中へ差し出した。
「よしみんな。声出すぞ。」
それを見て、風も円の中心から抜け、秋本先輩と矢野先輩の間へ入った。
全員で手を重ねた。
「パンドラ!パンドラ!パンドラ高校!」
腹の底に響くような掛け声とともに、決勝戦が始まった。
風は最初から全力で攻めろと言っていたが、霧島はやっぱり簡単に打てる投手じゃなかった。前半、僕らが取れたのは2点だけ。
一方の風は、将帝の見事な作戦遂行と、金垣の第二打席でのツーランホームランによって、すでに3点を失っていた。
流れが変わったのは、試合後半。将帝が霧島から、球速の速い別の投手へ継投した。それが逆に、秋本先輩のリズムに合った。ランナー一、三塁の場面で、逆転スリーランホームランを放った。
さらにチームを勢いづけたのは、金垣の第三打席、風がついに三振を奪ったことだった。
ただ、試合はそのまますんなり終わってはくれなかった。
9回裏。将帝はまさかの無死一、二塁。長打が出れば同点、ホームランならサヨナラ。
そして打席に立つのは、漫画みたいな巡り合わせで、風と四度目の対決を迎える、金垣だった。
マウンドの風は、一度空を見上げ、大きく息を吸ったあと、守先輩が金垣から三振を奪った時とまったく同じ空気をまとった。
こんなこと言うと中二病っぽいけど、めちゃくちゃ格好いい!急に何かの能力に目覚めたみたいだ。ベンチにいる僕らにまで、さっきまでとの違いが伝わってくる。
頼むぞ、風。僕らを勝たせてくれ!
高木は目を大きく見開き、僕と同じように息を殺して、風の一球一球を見つめていた。
望月と加藤は、二人とも両手を強く握りしめ、目を閉じて祈っている。
空振り……空振り……
空振り!
「うおおおおおおおおお!」
三球三振!うわ!熱すぎるだろこれ!スタンド全体が一気に沸き上がった。
続く二人の打者も、完全に風の勢いについていけなかった。金垣の打席から、風が投げた球数は、わずか9球。
三者連続三振で、最後の最後まで危険だった九回裏を完璧に締めくくった。
「うおおおおおおおおおおお!」
「パンドラ!パンドラ!パンドラ!パンドラ!……」
スタンドの応援まで、きれいに揃ったリズムで、僕らの学校名を叫び続けていた。
「ああああああ!」
加藤と望月は、ようやく握りしめていた手を離して、互いに抱きしめ合った。
嬉しさを抑えきれない叫び声。止まらない涙。
二人で手を取り合いながら、何度も飛び跳ねて喜んでいる。
「Oh~ほんと緊張したよ~」
その口調、本当に緊張してたのか高木。
今の僕も、この感動の中に完全に飲み込まれていた。自分がどんな顔をしているのかは分からないが、泣いてはいない。
たぶん、ジェットコースターに乗ってる時と同じ、退屈そうな顔かな。 それでも、本当に嬉しかった。
「羽冬!!!!」
まだ加藤と手をつないだまま、望月が振り返った。嬉し泣きで震えた声で、僕の名前を呼んだ。
そんな幸せそうに笑っている望月を見て、僕は近づき、 肩に手を置いた。
「一緒に行こう。」
「うん!」
「Oh~yeah~その言葉ずっと待ってた~!行くよ~~~!」
た、高木くん……それ、君のキャラなの?
高木が走っていくのを見て、望月と加藤も、少し駆け足でグラウンドへ向かった。
そして僕は、ポケットに手を入れたまま、気楽な足取りで、みんなが集まる場所へゆっくり近づいていった。
横浜スタジアムに響き続ける歓声と喧騒を、静かに身体の中へ染み込ませながら。
これが、青春なんだ。




