Ch.015④ あの名前
19
食事会が終わり、「Purple Forest」を出ようとしたところで、紫木姉がわざわざ入口まで見送りに来た。
進先輩も、こういう場に慣れている人らしい立ち振る舞いを見せた。
「琉香姉、ごちそうさま~紫木さんにも、兄さんと僕からよろしくって伝えといて。」
「は~い。宮川さんにもよろしくね~!」
さっき紫木姉に言われたことを思い出し、僕は入口のところで足を止めた。
僕の隣を歩いていた望月も、数歩進んですぐ気づいた。
「羽冬、どうしたの?」
「僕――」
「行っていいよ。」
紫木姉が、さっきの「残って」という話を突然撤回した。
「今日の任務、まだ残ってるんでしょ?」
「任務?」
「そのお嬢ちゃん、家まで送るんでしょ?」
紫木姉は楽しそうに笑った。
「こっちはもう予約も入ってるし。話は明日来た時でいいよ。」
予約?いつの間に?
本当に優勝する前提で、ここで祝勝会やる気なの?
それに、せっかく紫木姉が僕を残してくれるなら、さっきのことも聞こうと思ってたのに。
――――
それは、まだ全員のメイン料理が出てくる前、進先輩が始めた話だった。
「羽冬くん。」
「はい。」
「君の苗字を見た時から、ちょっと聞きたいと思ってたんですけど。」
「羽冬日茂さんとは、何か関係ありますか?」
あれは、同年代の人と一緒にいる時に聞くなんて、一度も想像したことのない名前だった。
ほんの一瞬だけ動揺して、それでも平静を装って口を開く。
「父です。」
「やっぱり!いや、偶然にしては珍しいと思ってたんだよ。うちの父上とお父さんが――」
「進~」
突然、紫木姉が僕らのテーブルへやって来た。
水を注ぎながら、半ば強引に会話へ割って入る。
「今日は青春と熱血の部活トークをする日でしょ~?そんなつまんないビジネスの話、持ち込まないの~」
「はいはい~」
そうして、その話はそこで切られた。
――――
明日まで待つなら、せめて……
「さっきのこと……」
「ん?」
「ありがとうございます。」
「あ~あれね~お礼なら、明日の夜ちゃんと私に付き合ってね~」
……普通に感謝を受け取れないのか、この人。
「分かりました。」
「気をつけてね~」
日吉駅へ着くと、宮川家の迎えの車が、もう待っていた。
兄弟はそのまま車に乗って帰っていく。
僕と風は同じマンションに住んでいて、加藤もこの辺りに住んでいるらしい(だから風が毎回練習後に加藤と一緒に帰る)。
電車に乗る必要があるのは望月だけ。
望月が帰ったら、僕、完全に邪魔者じゃない?
どうしようか悩んでいると、ふと、風がこちらへ小さく目配せしてきた。
かしこまりました。ちょうど僕も困ってたし。
「あ、望月。ちょっと買いたいものあるんだけど、付き合ってくれない?」
「いいよ!」
「では、二人は先に帰っててください。」
遠ざかっていく風と加藤を見送り、僕と望月はパンドラ商店街のほうへ戻った。
「羽冬、何を買いますか?」
「別に何も。ただ望月と喋りたかっただけ。」
「なるほど~羽冬ってば、回りくどいですね。」
「人前で露骨にやるわけにもいかないだろ~」
他人が聞いたら、どう考えても距離感がおかしい会話だ。
「羽冬、今日の分析すごかったですね!」
「ま、まあね。まさか宮川先輩が聞きたかった答えを、ちょうど言えたとは思わなかった。」
そういえば、さっき進先輩が、将帝の女子投手についても話していた。
霧島は、女子選手ということもあって、今回の神奈川大会ではかなり注目されている。しかも、強豪の将帝の主力投手だ。
今日は試合の中盤で降板していた。もしかすると、明日の決勝でも先発するかもしれない。
―「すごい……」
今日、マウンドに立つ霧島を見ていた時の望月の顔。そこにあったのは、憧れだけじゃなかった。
ほんの少し、悔しさみたいなものも混じっていた。あれは、横浜の黛を見た時にはなかった感情。
その話を振ろうか迷っていた時、先に口を開いたのは望月だった。
「実はね、奈奈ちゃんのこと、ちょっと心配なんです。」
やっぱ気づいたな。
「それも、あの二人が自分たちで向き合うことだろ。」
「そうですね。」
「今日まで、風先輩がああいうタイプだって気づいてた?」
「うん、先輩は、女の子と話す時、すごく自然で親しみやすいから、誰にでも優しいっていう表面の奥に、ああいう距離の詰め方をする人だって、なかなか気づけないと思います。あれは普通の男子にはできないことです。」
思い返せば、姉さんと初めて会った時も、風はごく自然に、姉さんの見た目を褒めていた。
「羽冬と似てますよね。」
「似てないんだよ~僕がこうなるの、望月と喋ってる時だけだよ~」
こんな純真無害な羽冬夜良に、何てこと言うんだ!
「そう~?紫木さんとは?さっきの店員さんとは?小学校の友達とは?」
「ちょ、ちょっと待って。わ、分かった。僕が悪かった。降参!」
……夢ちゃんまで出すなよ。
「ははは。やっぱり羽冬といると楽です。」
しばらくの間、心地いい沈黙が続いたあと、僕から口を開いた。
「気づけば、もう決勝まで来たな。早いね。」
「そうですね。でも次は、絶対行けますよね、甲子園。」
望月の声には、甲子園への憧れと期待が滲んでいた。
「先輩たちなら、きっと行けるよ。」
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