Ch.014② 怠そうな高木陽輝は、球場では意外と利用価値が高い。
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7月10日、日曜。横浜スタジアム。
第98回全国高等学校野球選手権神奈川大会、開会式。
僕たちはエキシビションマッチに出るチームなので、ほかの学校より早く球場へ入れる。
午前10時頃にはもう一塁側ベンチに入り、先輩たちと高木は先にグラウンドへ出てアップを始めていた。
プロ野球でも使われる球場か。
野球とほとんど縁のなかった僕が、こんなところにいる。
なんというか。
意味が分からないくらい不思議だ。
そういえば、数日前に期末試験も終わった。中間試験の時ほど絶望してはいない。
もう今学期を無事に乗り切れればそれでいい。
それに、紫木先生による毎日の放課後勉強会と夜の電話指導のおかげで、たぶん前回よりは少しくらい良くなっているはずだ。
「どう?似合ってますか?」
ベンチ奥の更衣室でユニフォームに着替えた望月が、僕と加藤のところへ来た。
なに?望月が着替えてるところをこっそり見る絶好の機会を逃した――
……いや。
これは。
めちゃくちゃ可愛いんだけど。
うちのユニフォームは、黒を基調に、身体の両脇と袖に赤いラインが入ったデザイン。
胸には赤い「PANDORA」の文字。
下は真っ白なパンツに、黒のストッキングだ。
望月が着ると、この前のバスケユニフォームより、さらに何百倍も可愛く見える。
お願いします。これから毎試合でユニフォーム着てください。
いや、今日から部活も毎日それで来てほしい。
「めちゃくちゃ可愛いよ。」
頭の中の痴漢みたいな叫びをどうにか押し殺し、平静を装って褒めた。
「すっごい似合ってるよ、奏音ちゃん!」
「本当?よかった。髪の色と合わなかったらどうしようって心配してたんだ。」
「考えすぎ!本当に似合ってる!」
女子同士って、こういうの平気で褒め合えるんだな。
……ん?
僕も望月には結構そのまま言ってる気がする。
グラウンドでアップしている選手たちを見ながら、望月は何か迷っているようだった。
しばらくして、ゆっくり僕へ近づき、小声で言う。
「羽冬、少しキャッチボール付き合ってくれない?兄さんとかほかの人に頼むの、ちょっと悪くて。」
今日家を出る前、なんとなくグローブ持っていったほうがいい気がした。
そう思った自分へ、心の底から感謝した。
「いいよ。でも僕、普通に暴投するからね。」
望月は笑いを抑えきれないように、目を細めた。
「無理そうなら、軽くトスしてくれるだけでいいよ。」
「了解。」
望月先輩がアップに集中していたせいか、僕と望月が外野でキャッチボールしていても、特に気づかれなかった。
楽しいキャッチボールの時間も終わって、いよいよ開会式。
「第98回全国高等学校野球選手権神奈川大会、開会式を開始します!選手入場!」
「まずは昨年度優勝校――黎明大学附属商業高等学校!」
「続いて準優勝校――パンドラ高等学校!」
両校が入場すると、スタンドから大きな歓声が上がった。
「続いて、昨年度ベスト四の学校――」
望月も入場行進に行ってしまった。
……暇だな。
そしてベンチに誰もいなくなった隙に、加藤がまた僕へ話しかけてきた。
「羽冬。」
「なに?」
「奏音ちゃんのこと、好きなの?」
……は?
この状況で何て答えればいいんだ。急すぎる。
「なんでそう思うの?」
「分かんない。ただ、二人っていつも楽しそうに喋ってるし。」
加藤は少し考えた。
「練習終わってグラウンド整備する時も、毎回奏音ちゃん付き合ってるでしょ。」
……どう答えるのが、加藤の欲しい答えなんだろう。
普通の人から見れば、僕らはかなり仲がいい。
下手したら、ちょっといい感じに見えているかもしれない。
「加藤。」
「ん?」
「どういう感情なら、『好き』って定義できると思う?」
「定義……?」
加藤は首を傾げた。
「そんなの、定義する必要ある?好きなら好きじゃないの?」
「加藤が聞きたいのって、本当は僕と望月のことじゃないだろ。」
「うっ……」
やっぱり。
「自分の中で答えが出たら、その時また話せばいいよ。」
少し間を置く。
「曖昧なまま話しても、あんまり意味ないし。」
僕が知っている風仙は。
バスケコートの風仙と、野球場の風仙だ。
普段のあの人がどういう人なのか、僕は知らない。
やがて開会式が終わり。
午後2時。試合開始まで、あと10分。
「よし。矢野以外で、スタメンに文句ある人いますか~?」
風がスタメン表を持ちながら、みんなへ聞いた。
「先輩たちに昔を思い出してもらうために、かなり考えたんですけど~」
話をまとめると、こういうことらしい。
本来のスタメンなら、城島先輩が左翼。松谷先輩が二塁。
だが、風と秋本先輩が入学する前、パンドラのバッテリーは、城島先輩と松谷先輩だった。
今回の試合は勝敗に関係しないから、風と秋本先輩は、先輩たちに昔の感覚を味わってもらうため、ピッチャーとキャッチャーを譲ることにしたらしい。
ただし。風と秋本先輩は本職以外だと、二人とも外野しか守れない。しかもキャプテンと副キャプテンで、打順も五番と四番。それでも自分たちも試合には出たほうがいいと考えた結果――
二人で矢野先輩のセンターを奪った。高木を先発二塁へ回した。
そのせいで矢野先輩はベンチ。
……図々しすぎない?
先輩を喜ばせたいのは勝手だけど、チームメイト巻き込むなよ!
大丈夫です、矢野先輩。
僕の心の中では、もう風を百回くらいボロクソに言ってます。
黎明の先発投手は宮川守ではなかった。
つまり、両校とも最初から現エースを出したわけではない。
試合は互いに点を取り合う展開になった。
だが風と宮川守がそれぞれマウンドへ上がった瞬間、流れは一変。
完全な投手戦になり、スコアは[3:3]のまま動かなくなった。
7回表まで、こちらも秋本先輩が外野の深いところへ二塁打を一本放っただけ。
そして7回裏。黎明の攻撃。
「カキーン!」
二死から、宮川守の打席。
彼は、風が投げた厳しいコースの直球を捉えた。
打球は、そのままホームランフェンスの向こうへ消えていく。
5回から続いていた均衡が、ついに崩れた。
次の打者を抑え、ベンチへ戻ってきた風が、呆れたような、それでも感心したような声で言った。
「やっぱすごいな、守。」
「先輩が負けてるところ、初めて見ました。」
少しからかってみる。
「彼は本物の天才だからな。」
風はベンチへ腰を下ろした。
「あ~、急にやる気なくなった。高木、次投げられる?僕、疲れた。」
「てめえ、まだ数イニングしか投げてねえだろ。馬鹿にするな!」
案の定、先輩たちから突っ込まれた。
「いけますよ~身体ずっとあったまってるし、OKっす~」
高木は、風が登板したあとセカンドからセンターへ移っていた。
かわいそうな矢野先輩は、まだ出られない。
そして今度はピッチャーまでやらされるのか。
完全に便利屋じゃん。
8回裏。
黎明の中軸打線を相手に、高木は風や城島先輩にも見劣りしない投球を見せ、きっちり無失点で抑えた。
9回表。
ここで点を取れなければ、そのまま試合終了。
望月先輩。
続いて椎名先輩。
二人が連続でアウトになったところで。
風が何か思いついたように、突然望月へ視線を向けた。
「望月。甲子園スターの球、打ってみたい?」
「え?」
誰かが怪我した時くらいしか出番はないと思っていた望月は、突然の言葉に思わず声が裏返った。
そして少し落ち着くと、明らかに期待の混じった声で聞き返す。
「いいんですか?」
「秋本!」
「分かった。」
風に呼ばれ、秋本先輩はすぐ意図を察してベンチへ戻った。
そして今日。望月は初めて、夢だった舞台へ立った。
「うわ、女の子だ!」
「パンドラ!もう諦めたのか!?」
「お嬢ちゃん!頑張れー!」
「可愛い!」
「宮川、ちょっと手加減してやれよ!」
スタンドから、望月の登場を面白がる声や応援が次々飛んでくる。
「シュッ――バン!」
……152キロ?
今日の宮川守、最速じゃないか?
おい!相手は女子だぞ!
起用に文句あるなら風に言え!
望月にぶつけたら、僕が最初に文句言いに行くからな!
あれ?
なんか前にも、望月のことで似たようなこと思わなかったか?
だが。
宮川守の次の一球に対する望月の打撃は――
「カキーン!」
……え?
ホームラン?
甲子園スターから?
風が言ってた、望月なら速い球も打てる。
あれ、本当だったのか?
望月?
あの可愛くて上品な望月奏音が?
「うおおおおおおおおおおお!」
間違いなく、今日一番大きな歓声だった。
ベンチの僕らも、全員立ち上がって騒いだ。
戻ってきた望月は、先輩たちと高木へ順番にハイタッチしていく。
その笑顔は。
本当に幸せそうだった。
「奏音ちゃん!」
「奈奈ちゃん!」
「すごすぎるよ!」
二人が抱き合った。
なんとも微笑ましい光景だ。
「おめでとう。」
僕は望月を見ながら、右手を上げた。
ハイタッチの合図。
本当は加藤みたいに抱きつきたいんだけど!
僕もマネージャーだし、別にいいよな!?
「ありがとう!」
パン、と乾いた音が響いた。
スポーツ漫画みたいな、いかにも青春って感じの音だった。
その一方。
マウンドに立っているあの人は、どうやら本気で怒っているらしい。
「あ、怖い。僕もう彼とやりたくない。」
風がベンチから顔を出す。
「矢野、代打。」
「は!?嫌だ!嫌だよ!」
「行けって。試合出たかったんだろ?」
「宮川が人殺しそうな顔してる今じゃない!」
本当に風は、最初から最後まで自分勝手だな。
怒り全開の宮川守を前に、矢野先輩は一度もバットを振れないまま、三振。
秋本先輩と風はもう下がっているので、守備では松谷先輩がキャッチャーへ戻った。
セカンドには望月。
そして矢野先輩は、今日初めて本来のセンターへ入った。
その裏。
望月は二塁方向へのゴロもきっちり処理した。
またしても、球場全体から拍手と歓声が飛んだ。
最終スコアは[4:4]。
こうして。
荒唐無稽で、やたら刺激的だったエキシビションマッチは、引き分けで幕を閉じた。




