Vol.01 Ch.002② パンドラ高校野球部
6
午後3時半。教室にはまだ勉強している数人を除いて、ほかは放課後のチャイムとともに帰っていった。見回して、入学初日からここまで必死なのかと、高校の大変さを思う。
ん?ずいぶん他人事みたいだなって?
そうだな。いい質問だ。
「もう帰る?」
前の席で机が鳴り、紫木がノートを書いたまま顔も上げずに聞いてきた。別にいいけど、昼からもう敬語じゃないんだな。これって友情の証か?
机の上を見ると、教科書も参考書もかなり先まで進んでいた。
「ずいぶん真面目だな。」
「当然。」
少しおどけた口調なのに、やっぱり顔は上げない。
医者志望、だったか。初日からこの本気なら納得だ。ここの生徒は、授業を聞くより自分でやったほうが早そうだ。
「じゃあな。」
「また明日。」
近寄りがたい雰囲気のくせに、ちゃんと気にかけてくれる。案外優しい。
さて、どこを見て回ろうか。引っ越してきてしばらく経つのに、姉さんと食事に出る時くらいしか外に出ず、校内もまだろくに歩いていない。
400メートルトラックの内側にはいくつもバスケットコートがあり、上手いのも下手なのもいる。パンドラのバスケ部はどれくらいなんだろう。まあ、どうせヒロより上なんてあり得ない。洗練された基礎、多彩な攻め、完璧な体さばき、理不尽なくらい柔らかいシュートタッチ。日本のプロどころかNBAが発掘しに来てもいいくらいだ。
……って何だこれ。まるで僕、ヒロのファンじゃないか。べ、別に好きなわけじゃない!
「カンッ!」
遠くから金属音がした。あの辺に野球場でもあるのか?十数本の木が並んでるだけにしか見えないけど。
野球といえば、朝の自己紹介で、たしか……
―「名前は望月奏音です。運動が好きで、特に野球!プロ野球も見ますし、普段から家族や友達と外で野球をしたりもします。野球が好きな人は、ぜひグラウンドで会えたらうれしいです!」
あの営業スマイルは甘すぎて、僕も一瞬だけ「よし、今日から野球の天才を目指すか」なんて馬鹿なことを考えた。
まあ、野球に興味はないけど。
―「あと、クラシック音楽も好きで、ピアノもちょっと習ってました~。この先みんなと仲良くできたらうれしいです。よろしくお願いします~」
その一言も印象に残った。ただ、理由は望月本人じゃない。
―「私、もうピアノは弾きたくない。」
人と人は、妙なところで似ている。無邪気だったはずの中学時代も、振り返れば直視しづらい記憶ばかりだ。
「カンッ!」
……野球、か。
行ってみるか。何かイベントでも起きるかもしれない。
近づくと、野球場は直角に並んだ木の奥にあった。校内の隅にある、掘り下げ式の正方形の野球場だ。打球事故を防ぐため、本塁は最奥で打席は校内向き。壁と高い防球ネットでファウルも防いでいる。
どこからツッコめばいいんだ。どこの天才がこんな球場を設計した?
ベンチを見たが目当ての姿はなく、野球場へ下りる階段に座って様子を見る。
……守備、下手すぎるだろ。
「おや、興味あるの?」
背後から声がしたが、振り向かなかった。僕宛てとは限らないし、聞き覚えはあった。
「無視するのか?」
横を通りながらもう一度言われ、ようやく気づいた。
「か……風!?」また君かよ……
「そこは先輩、だろ?」
風は振り返り、自信たっぷりに笑った。
「先輩、野球部なんですか?」
その問いに、風は足を止めて振り返る。
「そうだ。僕はパンドラ野球部のキャプテンだ。」
……何だこの間。中二病かよ。
「二人とも、その人は放っておいて下りよう。」
誰か確認したかったが、女子なら振り向いた瞬間にスカートの中が見えるかもしれない。入学初日から変態認定は避けたいので、そのまま前を向いた。
「すみません。」
先に下りたのは、黒髪を高い位置で結んだ目の大きな女子。
「失礼しま~す。」
次の女子は僕を見て足を止めた。
いた。目標確認。野球少女、望月奏音。
「や、こんにちは。」
「こんにちは! 羽……夜くん、でしたっけ?どうしてここに?」
「校内探検。まさか野球場がこんな場所にあるとは思わなかった。」
名前を間違えかけた空気を、すぐ質問で流した。実際間違えてたけど、ここは追及しないのが紳士だ。
「ですよね。私も初めて来た時、そう思いました。」
初めて?
「羽夜くんって風先輩と知り合いなんですか? あ、私もう下りないと。羽夜くんも野球やるなら、早くグラウンドへ来てね! それじゃ!」
「わかった。また明日!」
……危ない。もう二回目か。あの笑顔に引っ張られて、危うく下りるところだった。
でも、部活は面倒だ。まして野球なんてやったこともない。三年ベンチなんてごめんだ。
ん?あの180センチ超えの人、確か同じクラスの……
―「よっ!高木陽輝です。バスケと野球が好きです。よろしくな~」
動きがいい。他の連中とは明らかに格が違う。
短い集合のあと、さっきの連中は高木だけ残して下がった。代わりに、高木と風、それからベンチにいた連中が出てきて練習を始めた。
うわ……まったく別チームだ。三分も見ないうちに分かった。この連中こそがレギュラーだ。人数こそ多くないが、打撃も守備も「自分たちは優勝を狙う強豪だ」と言わんばかりだった。
進学校でこのレベルかよ。
もし僕が野球をやっていたなら、ここは案外いい場所だったのかもしれない。
そんな妙なことを思いながら、僕は静かに野球場を後にした。
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