Vol.01 Ch.009① カウントダウン
33
「リーン――」
うっ……誰だよ、こんな時間に。もう夜中の十二時だろ。
スマホの画面で、見知らぬ番号が表示されている。少し迷った末に、電話に出た。
「……もしもし?」
「あんた、何かしたの?」
……この声。
「どうして僕の番号知ってるんですか?」
「理香が、覚悟を決めたみたいだから。」
答えになっていない。どうせ姉さん経由で聞いたのだろう。
それよりも、その一言で一気に眠気が吹き飛んだ。
「どういう意味ですか?」
「とにかく、前に言ったことは忘れないで。」
あの時、「理香と付き合うのは許さない」と告げた時と同じ、感情の欠片もない声だった。
それだけ言うと、紫木姉は一方的に通話を切った。
……ああ、起こされた。
水を飲もうと部屋を出ると、姉さんがまだリビングのソファに寝転んでいた。昼間の外出着から、家でよく着る短いタンクトップ姿に着替えていた。
「起きたんだ?」
「……うん。」
ぼんやりしたまま台所で水を飲む。味はひどく平坦で、ただの水だった。
「姉さん、まだ寝てなかったのか。」
「久しぶりに高校生男子たちの濃い視線を浴びたからね~まだ情緒を整えてる。」
確かに。ヒロとツネを姉さんたちのところへ連れて行った時、周囲の男子がやたら視線を向けていたのは、僕ですら分かった。
姉さんと紫木姉みたいなタイプが、あんなフェロモン過多の高校の校内にいたら、そりゃそうなる。その横を堂々と歩けていたヒロとツネのほうが誇っていいまである。
「やっぱ私、まだまだ魅力あるよね。」
「そう。姉さんは魅力の具現化だ。」
「よーし。姉さんのテンポによくついてるね。」
コップを適当に食卓へ置き、部屋へ戻ろうとして、まだ言っていなかったことをふと思い出す。
「そうだ。今日、ありがとな。ヒロの調子が少し悪そうだったから、姉さんたちなら少しは気晴らしになるかと思って。」
「調子が悪い?どうしたの?私たちと喋ってる時、ずいぶん楽しそうだったけど。特に琉香とはね。ちょっとお互い興味ありそうだったよ?」
「紫木さんか?本気で言ってる?」
「はは、それもそっか。あら、意外と琉香のこと分かってるんだね。」
「はは……」
さっき電話で起こされたばかりなんだけどな。
「ヒロって、そんな簡単に誰かを好きになるタイプでもなさそうだよね?」
僕が知っている限りでは……
「せいぜい興味持ったくらいじゃないか。ヒロって、本気で誰かを好きになるのが、けっこう難しいタイプだと思う。」
「そっか。あ、明日は私も琉香も行かないね。買い物でもしようって話してるし。」
「分かった。」
それ以上会話は続かず、姉さんにおやすみを言って部屋へ戻った。
ベッドに倒れ込んでからも、意識が落ちる直前まで、紫木姉が電話で残した言葉だけが、ずっと頭から離れなかった。
34
5月1日、日曜。パンドラ祭二日目、体育祭。
今日もメインビジュアルは荘厳楼に掲げられたままだったが、文化祭の案内はすべて撤去され、看板は体育祭仕様に変わっていた。煽るような見出しが並び、まるで新聞の切り抜きだらけの掲示板みたいだ。
「パンドラのスピードスター、最速は誰だ!」
「団結こそ力!希望のバトンをどこまでもつなげ!」
「このチャンスは任せろ!3-B対3-F、三年連続の宿命対決!」
「シュートを決めろ!挑戦者1-H、王者3-Cへ挑む!」
もちろん、今日の僕たちに一番関係のある見出しもあった。
「新世代の台頭!1-D vs 2-A!野球部によるバスケ内戦!」
高木と風の写真まで使われていて、高木の端に僕の顔も少しだけ映っていた。脇役感がすごい。やっぱり写真を選ぶ時って、中心人物しか見ないんだな。
僕だって一応野球部なんだから、一枚くらい単独で載せてくれてもよかっただろ。腹が立つ。
今日も同じで、最初まず実行委員全員が会議室に集合した。伊藤委員長が短く激励したあと、すぐ解散となった。
一日の流れは、朝9時から100メートル、200メートル、4人400メートルリレーの決勝。10時からクラス対抗リレー決勝。11時から球技の三位決定戦、一時間半の休憩を挟んで午後1時半から決勝。競技終了後は3時から閉会パフォーマンス、4時から閉会式という流れらしい。
夢ちゃんたちが来るのは午後1時半、つまり僕たちと2-Aのバスケ決勝だ。ヒロが来てくれるなら、試合中に何か有効な助言をくれるかもしれない。もっとも、風を徹底的に抑えろ、以上のことがあるのかはかなり怪しいけど。
午前9時からの陸上競技が終わった時点で、僕は100メートル六位、200メートル三位。クラス対抗リレーは、まさかの二位だった。二十人規模で男女混合の競技は、本当に何が起こるか分からない。
午前11時。
僕と紫木は、実行委員として最後の仕事に向かう準備をしていた。
クラス対抗バスケの三位決定戦の記録。対戦クラスに特に知り合いはいない。ただ片方は、僕たちが倒した相手だったはずだ。
競技には何も出ていない紫木が、全力で何本も走ってきた汗臭い男を嫌がらないことを祈りつつ、僕は声をかけた。まあ、制服には着替えてきたけど。
「準備できたか?」
「もちろん!今の私は、羽冬がいなくても完璧に記録できるよ。」
「じゃあ、こっちの正式な記録表もやってみるか?」
「うわ、遠慮しておく。」
最初はバスケをほとんど知らなかった紫木が、今ではファウルとバイオレーションの違いまで分かるようになっていた。正式な記録表こそまだ触っていないが、十分すぎる成長だ。あの学習速度は本当に異常だ。
「そういえば羽冬、今のところリバウンド数、一位だって知ってた?」
「え、マジ?」
それは本気で知らなかった。
高木より身長が10センチ近く低いのに、それは意外だった。
「昨日、別の記録係が上げてたデータも一緒に見たの。ちょっと計算して、今のところ、二位の高木くんより少し上だよ。頑張ってね、リバウンド王を取って。」
「じゃあ高木にはもっと外してもらわないとな。」
「高木くんは、今のところブロック数が一位だよ。二位とかなり差があるから、たぶんブロック王は確定かな。」
「すごいな。」
真面目だな、紫木は。まるで、この仕事が心から好きみたいだ。
試合中も、紫木との息が合っていて、最後の記録も順調に完成した。
「あ~やっと終わった。」
記録用紙を生徒会の先輩に渡したあと、心の底からそう漏らした。
「そうだね。あとは羽冬たちの試合だけだよ。頑張って!」
「任せとけ。」
今日は各クラスごとにグラウンド周辺へ休憩スペースが設けられていて、簡易テントまで用意されていた。とはいえ、実際にはほとんどの生徒が、試合の行われている場所へ集まって観戦していた。
1年D組の休憩スペースへ戻る途中、紫木が不意に僕の袖を引く。
「羽冬。」
その一言で、昨夜の電話の内容が頭をよぎった。
「どうした?」
「今日、閉会式のあと、少し付き合ってくれる?」
少し迷ったあとで、僕はうなずく。
ただの誘いではないかもしれない。そう思いながらも、できるならこの誘いを、まだ単純なものとして受け止めていたかった。
「分かった。」
時間は待ってくれない。
世界は、誰か一人の迷いやためらいに合わせて止まってくれたりしない。
たとえまだ正解にたどり着いていなくても、答えを出す期限だけは、運命みたいに少しずつ、確実に近づいてくる。
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