表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕らは正しい答えを見逃したようです。  作者: 八目律師
Vol.01 「ずっと後になってから、あれが『好き』だと気づいた。」
PR
21/24

Vol.01 Ch.007③ 「本当の傷」

26

  「集合!」

  最後のゴロをどうにか処理し終えたところで、風が練習終了を告げた。

  連絡事項を簡単に済ませると、部員たちはそれぞれ荷物のところへ戻り、スパイクを脱いで、野球場の整備の準備に入る。僕も当然のように、また風からマウンド周辺の整備を任された。望月はベンチで加藤と楽しそうに話していたので、今回は一人で先に動き出した。

  三年生の先輩たちは支度を終えると、軽く挨拶して帰っていった。年上ってだけで楽してるようにも見えるが、たぶん受験を控えているから風が配慮したんだろう。

  一方、高木は三年生に負けない実力があるのに、今日は二・三塁間をちゃんと整備していた。彼の実力なら少しくらい手を抜いても出られそうなのに、そうしないあたり、ちゃんと団結している。

  「羽冬~」

  結局、また望月のほうから来た。

  「どうしたの?」

  「さっきまで奈奈ちゃんと話してたんですけど、ふと見たら羽冬がもう一人で整備始めてたから。」

  わざわざ自分から来るってことは、やっぱり望月は僕のことを気にかけてる。違いない、これは関係がさらに深まった証拠だ!

  いつも通り、望月は軽やかな足取りで少し前を歩き、僕は飼い主に導かれる犬みたいについていく。そんな言葉が浮かんだせいで、周りの視線まで妙に気になり始めた。

  「そういえば、なんで望月ってバスケの記録方法知ってたんだ?」

  僕は軽く尋ねた。

  「中学の時、バスケ部のマネージャーだったよ!」

  「へえ。野球部じゃなかったのか?」

  望月はすぐには答えず、少し先で立ち止まり、野球場全体を見渡した。

  「だって、野球部に入るのはこっちって決めてましたから~」

  そう言って、僕のほうを向いたまま後ろ向きに数歩下がる。この学校の野球部への好意を、ふざけた調子で全身で表現してから、くるっと前を向いてまた歩き出した。

  「そうか。」

  整備が終わる頃には、みんな順々に帰り支度を始めていた。今日は加藤と望月で話がついていたのか、いつも一緒に帰る加藤が先に帰っていった。

  「じゃあ、行こうか。」

  「うん!」

  鞄を手に持って、僕のそばで静かに待つ望月が妙に可愛らしい。

  「どこか、ゆっくり話せる場所ある?」

  校門へ向かいながら聞くと、望月は少し考えた。

  「日吉駅の近くにスタバがありますけど、そこにしますか?」

  「いいよ。」

  学校を出て、パンドラ商店街と日吉駅を抜ける。少し歩いた先にその店はあった。

  木目調の内装に、穏やかなピアノ曲。チェーン店らしい無難さはあるが、そのぶん落ち着いている。店内は空いていたので、四人席に座った。

  注文を済ませ、僕のアイスアメリカーノと望月のホットラテを受け取って席に戻った。

  「羽冬って、生活がシンプルだよね。」

  「え?どうして?」

  「飲み物いつも余計なもの入れないでしょ? 緑茶も無糖しか飲まないし。」

  初めて二人きりで出かけたのに、よくそんなところまで気づく。

  「望月も、人のことよく見てるんだな。」

  「そうですか?私、気になる人しか見ませんよ~」

  そういうことを、そんな自然に言うなよ。

  たぶん、緑茶でもコーヒーでも、僕が余計な甘さを足さないのは、自分をなるべくはっきりした状態に保っていたいからだ。

  世の中には、人に勘違いをさせる偶然が多すぎる。

  しかも最近は、それが怖くなるくらい続いている。

  でも、紫木といろいろあったからって、それで紫木が僕を好きになるのか?百歩譲って、仮にそうだったとして、それだけで付き合うなんて話になるのか?

  そんなわけがない。

  軽口、共同作業、外泊、周囲のからかい、噂話。そういうものが積み重なっていくと、妙に甘くて、青春っぽい空気が生まれる。

  その甘さは、当人に都合のいい自信だけを育てる。

  そして膨らみきった先に待っているのは、目も当てられない結末だ。

  あの悪魔みたいな幸福感を、人は「錯覚」と呼ぶんだろう。


  ―「ヨル、私……昨日、津桐くんの告白を受けたの。」

  ―「松田先輩……私が告白を受けて、好きになったあとになってから、彼女がいるって言ったんだ……」


  そうだ。全部、錯覚だ。

  だからこそ、緑茶やアメリカーノの苦味で、自分をいつでも目覚めたままにしておきたい。

  「それで、どうしたんですか?」

  望月がラテを一口飲み、カップをソーサーに戻す。

  「羽冬があんな真面目な言い方するの、珍しいです。何かありましたか?」

  一気に本題に入るんだな。

  望月も、空気の切り替えが妙に早い。

  ストローでコーヒーを一口飲み、苦味と少しの酸味を確かめてから、視線を店の入口へ逃がした。望月の目を見たまま、こんな話をするのはきつい。

  本当は回りくどく入ろうかとも思ったが、結局やめた。

  「この前、望月が言った言葉、どういう意味だったんだ?」

  腹の底に引っかかっていた言葉をようやく出し、改めて望月を見る。

  望月は少しうつむき、小さく首を傾げ、いつもの柔らかい笑顔を浮かべた。

  「羽冬が気づいたなら、もう心の中では答えが出てるんじゃないですか?」

  「いや……分からないから聞いてる。」

  「そうですか。」

  まあ、望月の言う通りなのかもしれない。

  「人を傷つける形とか、その影響って、いろいろあるんです。」

  僕が黙っていると、望月はそのまま続けた。

  「小さな傷なら、その人にとってはほとんど何の影響もないこともあります。大きな傷でも、その瞬間はすごく痛くても、時間と一緒に少しずつ癒えていくものもあります。」

  そう言って、望月はラテの表面から立ちのぼる湯気を見つめる。

  「でも、一番治りにくい傷って、外から見えないんです。気づかれにくいのに、何度も内側を削って、最後に内から外へ噴き出した時には、消えない跡になってしまう。」

  話しているうちに、望月の目は少しずつ細くなった。

  その表情には、説明以上の深い悲しみがにじんでいた。

  「私たちって、人の空気とか期待とか、わりとすぐ察しちゃうじゃないですか。だから、そのまま周りが思う自分になろうとしちゃうんです。相手の期待に応えようとしてるうちに、自分が本当はどうしたいのか、分からなくなることもあります。」

  望月は指先でカップの縁を二回、軽く叩いた。音はほとんど鳴らなかったけれど、何かを押し込めるみたいな仕草だった。

  「深いな。」

  ちゃんと聞いていることだけは伝えたくて、そう返す。

  ただ、自分ではわりと自分のことを分かっているつもりだった。忠実でもある。

  そもそも、紫木姉に言われなければ、今日こうして望月に相談しようとは思わなかっただろう。知り合って一か月もたたない相手のことで、ここまで考えている時点で、かなり異例だ。

  「でも、羽冬なら分かると思いますよ。」

  グラスの中で、溶けた氷が小さくぶつかり合って、かすかな音を立てた。

  「羽冬がちゃんと心の向かう先に従って選ぶなら、あの子にとって、それは『本当の傷』にはならないと思います。もしその先で、誰かを幸せにできると思えるなら、それもすごく素敵な選び方です。」

  「あの子」か。

  望月って、こういう言い方もするんだな。

  「でも、その前提は――その気持ちが、本当に羽冬自身のものであることです。」

  そう言った時の望月は、やさしく、それでいてひどく切なそうだった。笑っているのに、その奥に言葉にできない感情が沈んでいるように見えた。

  ここまで言える望月は、いったい何を経験してきたんだろう。

  話が終わったあと、僕は望月を日吉駅まで送った。改札へ向かう前、望月は一度だけ振り返り、静かに言った。


  「羽冬なら、きっと答えを見つけられるよ。」

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


続きが気になりましたら、評価・ブックマーク・リアクションで応援していただけると嬉しいです。


感想もお気軽にお寄せください。皆さまからの反応を、今後の執筆の励みにさせていただきます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ