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僕らは正しい答えを見逃したようです。  作者: 八目律師
Vol.01 「ずっと後になってから、あれが『好き』だと気づいた。」
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Vol.01 Ch.005③ すべてを見抜いた紫木琉香は、動くことを決意する。

*このエピソードには20歳未満の者による飲酒描写が含まれますが、法律・法令に反する行為を容認、推奨するものではありません*

18

  このタイミングで雨なんて、できすぎだろ。

  昔の四月に、こんな急に土砂降りになるわけないだろ。絶対、地球温暖化のせいだ。

  窓の外では大雨が降り続き、テーブルにはティーポットとカップだけが残っている。向かいには、平静を装って緑茶を飲みつつ、どう見ても内心は慌てている紫木がいた。

  「そんな緊張しなくていいって。たぶんそのうち止むだろ。」

  「そ、そうかな……」

  黙って座っているのが気まずいのか、妙に動きがゆっくりだ。仕方ない、助け舟を出すか。

  「お茶って、まだ淹れ直せるよな?雨が止むまで勉強でもする?」

  言ってから思った。そんなこと確認するの、ちょっと面白いな。ここ、紫木家の店だろ。

  「え?」

  「他にやることないだろ。」

  「それはそうだけど。でも、羽冬が……」

  紫木の目が、珍しい生き物でも見るみたいにきらきらしている。


  「勉強、するんだ……」


  「……」

  いや待て。僕たち、一応同じ高校の生徒だよな?

  とはいえ、その反応を完全には否定できない。

  「まあ、教科書か何か貸してくれないか。」

  「ふふっ。」

  やることが決まり、紫木の表情も少し和らいだ。

  「学校の教科書は持って帰ってないんだ。あれ、あんまり役に立たないし。自分で買った参考書ならあるけど、いい?」

  「じゃあ数学で。」

  受け取った参考書を開く。

  字、綺麗だな。

  数字も記号も漢字も、印刷みたいに形が揃っている。補足も分かりやすく、「これ何て書いてあるんだ?」と悩む箇所が一つもない。

  たぶん昔から人にノートを貸すことが多かったんだろう。読めないって言われないように気をつけてるうちに、自然とこうなったんだと思う。

  しばらくして、紫木は紙とペンを差し出してきた。

  「はい。」

  「ん?」

  「数学って、自分で手を動かして解かないと覚えられないよ?」

  ……そこまで本気でやるのか。こっちは空気を持たせたかっただけなんだが。

  それでも言われるままに問題を解き始めた。

  静かに時間だけが過ぎる。気づけば客も従業員もいなくなり、店内には僕たちだけが残っていた。なのに雨は、一向に止む気配を見せない。

  柱時計の短針が「9」を指したところで、僕は、時間の遅さに気づいていない紫木と、誰もいないカウンターを見た。

  しかも気づけば、僕ですら授業でまだやっていない範囲まで予習していた。にもかかわらず、それすら紫木には復習らしい。どこまで先取りしてるんだ、この人。

  「なあ、紫木。」

  「どうした?」

  相変わらず、こっちは髪の塊に向かって話しかける。

  「何時くらいに帰るの?」

  「帰らないよ。ここ、泊まれる部屋あるし。」

  着替えとかどうするんだ、と一瞬思ったが、そこを聞いてまた一発食らうのも嫌だ。やめておこう。

  「そっか。じゃあ僕、そろそろ帰る。」

  「えっ、あ、そうだ!もうこんな時間!でもまだすごい雨だよ。どうするの?」

  ようやく僕が帰宅しないといけない人だと思い出したらしい。

  「まあ、何とかする。」

  そう言って店の外で姉さんに電話する。

  「ヨル?まだ帰ってないの?」

  「この雨なんだから分かるだろ。姉さん、傘持ってきてくれない?」

  「やれやれ~なんて優しいお姉さんなんだろ。で、どこ?」

  「学校近くの店。南側の森林復育区の中だ。」

  「パンドラ近くの森……あっ。」

  「何だよ。」

  「やっぱり、あんただったんだ。さすが私の弟。」

  「は?」

  「『紫木』と『Purple Forest』。でしょ?」

  ……何で知ってるんだよ、この女。

  「今日一緒にご飯食べてる子のお姉さん、私の親友だよ。ちょうど今、『妹が男の子を連れてきた』って教えてくれたね。」

  偶然で済ませていいのかこれ。ちょっと、嫌な予感……

  「とにかく、今日は帰ってこなくていいよ。雨が止んだら制服はそっちの入口に置いとくから。じゃねえ~」

  「ちょ、待っ――」

  切られた。

  どうする?走って帰るか?でも帰るなら、まずあの森を抜けて商店街まで出ないといけない。かといって残れば、それはそれで面倒なことになりそうだ。

  入口でうろうろしていると、後ろから声がした。

  「うまくいってなさそうだね~?」

  振り返ると、紫木姉だ。

  さっきの制服姿ではなく、肩の出たトップスにジーンズという私服姿。左耳のピアスがやけに目立つ。

  深く息を吐いた。面倒くささが顔に出ていないか、自信がない。

  「紫木琉香です。どうも、悠月の弟くん。」

  「情報回るの早すぎないですか。」

  「『ヨル』って呼んでいい?」

  「お断りします。」

  「え~、冷たいなあ。」

  初対面でそんなこと聞く人いるか?

  断られても気にしないあたり、ほんとに我が道を行くタイプらしい。

  紫木姉は紫木より大人びていて艶やかだ。だが一番違うのはそこじゃない。無害そのものの紫木とは対照的に、こちらは一歩踏み込まれただけで飲み込まれそうな、抗いようのない魅力を放っていた。

  「で、泊まる?ていうか泊まろうよ。別に困らないでしょ。悪いことでもないし、損もしない。」

  言っていること自体は間違っていない。

  「姉さん、僕のこと何か言ってました?」

  「知りたい?」

  「……やっぱいいです。」

  紫木姉は目を細め、さっき注文を取る時にも見せた、いろいろ知ってるけど言わない笑い方をした。

  こわ、この人、どこまで知ってるんだ。

  「いい雨だね。わざわざ別の理由を作って引き留めなくて済んだ。」

  ん?どういうこと?

  「とにかく、こういうのは自分の目で見たほうが早いよ。」

  意味ありげに言い残し、紫木姉は僕を連れて店内へ戻る。

  「理香、お風呂入ってきな~」

  「はーい。」紫木は顔を上げ、こっちを見た。

  「あれ、二人で外にいたの?羽冬はどうするの? 家の人、迎えに来る?」

  「ヨルは今日ここに泊まるよ~。」

  おい、さっきその呼び方はやめろって言ったばかりだろ。思った通り、この女は人の気持ちなんて一ミリも考える気がない。

  「ヨル……?」紫木は一瞬考え込み、すぐに顔を上げた。

  「えっ!?お姉ちゃん、私と羽冬を二人きりで泊まらせるつもり!?」

  「まさか。私もいるよ。ほら、先にお風呂。」

  「うぅ……」

  不満そうではあったが、紫木は大人しく、カウンター横の私用通路へ消えていった。

  そのあと紫木姉はカウンターに入り、平然と聞いてくる。

  「お酒飲む?」

  「レストランの店員が未成年の高校生に聞くことですか?」

  「飲むってことね。ウォッカ・マティーニでいい?」

  ……この人、本当に自由だな。

  しかも姉さんと同じくらいなら、自分だってまだ堂々と飲める歳じゃないだろ。

  「オリーブ抜き、レモンで。」

  「こだわるね~。」

  そう言って彼女がウォッカとベルモットを取り出すのを見ていたら、僕も自然とカウンター席に座っていた。

  ―『羽冬家の子が酒飲めないとかありえないでしょ!夏休み中に鍛えてやる!』

  ―『あなた、ほどほどにしてあげてね。まだこの子たち小さいんだから。』

  待っている間、ふと昔の会話が頭をよぎる。

  ああ、だから酒にそこまで抵抗がないのか。むしろ同年代より妙に見慣れている。

  もちろん、未成年飲酒はだめだけどな。いい子は真似しないで!

  「理香、学校ではどう?」紫木姉はベルモットとウォッカをミキシンググラスに注ぎ、静かにステアし始めた。

  「毎日誰かに服装のことを注意されてる以外は、たぶん普通にやってると思います。」

  「そっか。」

  「前、女子校だったんですか?」

  「そうだよ。よく分かったね。観察眼すごいじゃん。」

  理由を説明しようとすると、なぜ僕が今日この食事に誘われたかまで話が繋がる。それは、何となくこの人には話したくない。

  「雰囲気で分かります。」

  「へえ。」

  冷えたマティーニグラスに酒が静かに注がれていく。

  「レモン入り、ね。はい、どうぞ。」

  レモンを添え終えると、紫木姉はそのグラスを僕の前へ差し出した。一方、自分のグラスにはオリーブを添え、何気ない仕草で左手に取る。

  「で、理香がご飯おごった理由は?」

  紫木姉はグラスを軽く揺らし、ひと口飲んだ。

  「日頃のの世話に対する感謝じゃないですか。」

  「自分で言ってて信じてる?」

  適当な返事を返しながら、グラスを持ち上げる。

  「まあいいか。夜は長いしね。」

  その言葉に、何も返さなかった。冷えたグラスに口をつける。口の中に広がる強い風味に少しだけ顔をしかめながら、最初の一口を飲み込んだ。

  「おいしい。」

  「どうも。」

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