第8話 魔力なし四男は老人に問われる
世間話も、お茶もない。
さすが元冒険者。いや、冒険者がみんなこうなのかは知らないけれど。
僕は少し考えた。
ここで、何も知らないふりをする必要はない。
かといって、知ったかぶりをするのも危ない。
僕が知っているのは、本に書かれていたことと、屋敷の中で見たことだけだ。
「魔法を使うための力、だと思います」
「ふむ」
「ただ、魔法だけではなく、人の身体や生活にも関わる力だと、本にはありました。魔力が弱い者は、身体も弱い傾向がある、とも」
エルヴィンは、しばらく黙って僕を見ていた。
沈黙が長い。
六歳児相手に、その沈黙は少し厳しくないだろうか。
けれど、やがて老人は鼻を鳴らした。
「六つにしては、よく読んでおる」
「本に書いてあっただけです」
「本に書いてあることを覚えるだけでも、六つなら上等じゃ」
褒められた、のだろうか。
言い方がぶっきらぼうすぎて、少し判断に困る。
エルヴィンは椅子の背に身体を預けた。
「なら、話は早い。人は魔法を使わん時でも魔力を巡らせておる。立つ。歩く。物を持つ。姿勢を保つ。そういう当たり前の動きにも、魔力は混じる」
自分の手を見た。
指を曲げる。
開く。
握る。
何も特別なことはしていない。
ただ、手を動かしただけだ。
けれど、この世界の人たちは、そういう何でもない動きにも魔力を巡らせている。
「……それって、歩いている時に自分で分かるものなんですか?」
「そんな意識はないがな」
「自覚がない、ということですか」
「飯を食う時に、いちいち舌の動かし方を考えるか?」
「考えないです」
「そういうことじゃ」
分かりやすい。
分かりやすいのだが、少し困る。
自覚がないものを自覚しろと言われても、どうすればいいのか分からない。
少なくとも僕は、立つ時に魔力を巡らせようと思ったことはない。
というより、前世の世界には魔力なんて存在しなかったと思う。
立つ時も、歩く時も、物を持つ時も、魔力を意識したことなんて一度もない。
だから、心当たりがないわけではない。
もしこの世界の人が、無意識に魔力を使って身体を動かしているのなら。
そして僕だけが、前世の感覚のまま身体を動かそうとしているのなら。
それは、僕がうまく魔力を扱えないことと関係しているのかもしれない。
ただし、それを口に出すわけにはいかない。
前世では魔力のない世界にいました。
だから魔力を使って身体を動かす感覚が分かりません。
六歳児がそんなことを言い出したら、たぶん正気を疑われる。
魔力なしどころか、別の意味で扱いに困る子どもになってしまう。
ここは黙っておくしかない。
エルヴィンは、僕の沈黙を見ていた。
「では、坊主。お前は周りから、どう見られておる」
「魔力なしの子として……身体が弱いとか、役に立ちにくいとか、そう見られていると思います」
「そうじゃろうな」
これは否定できない。
心配されることもある。
扱いに困られることもある。
カシムやザッカスのように、からかってくる相手もいる。
僕にとっては、もう何度も聞いた評価だった。
けれど、エルヴィンは眉を寄せた。
「少ない者はいる」
低い声だった。
「巡りが悪い者もいる。扱いが下手な者もいる。生まれつき弱い者も、怪我や病でうまく使えなくなる者もいる」
エルヴィンの指が、机の上を軽く叩いた。
「だが、本当の意味で魔力がない人間など、わしは聞いたことがない」
僕は言葉を失った。
魔力なし。
周囲がそう呼ぶから、僕もそういうものだと思っていた。
かなり低い評価なのだろうとは分かっていた。
でも、魔力が少ない人の最下層、くらいの意味だと思っていた。
けれど、エルヴィンの言い方は少し違う。
多くの人にとっては、魔力なしも、魔力が極端に少ないことも、ほとんど同じなのだろう。
でも、魔力をよく知る者から見れば、話は別らしい。
「……それほど、珍しいことなんですか」
「世の大半は、そこまで考えん」
エルヴィンは短く言った。
「魔力なしと聞けば、魔力がひどく少ない子、身体の弱い子、役に立ちにくい子。そう受け取って終わりじゃ」
「……では、エルヴィン様は違うんですか」
「様はいらん」
エルヴィンは、そこで急に顔をしかめた。
「背中がむずむずしてたまらん」
「……」
今、その話ですか。
「……では、エルヴィン、でよろしいですか」
「それでいい」
エルヴィンは満足したように一つうなずき、それから何事もなかったように話を戻した。
「わしは疑う」
その声は、静かだった。
「本当にないのか。弱すぎて見えんだけではないか。巡りが悪いだけではないか。どこかに詰まっておるのではないか。そう考える」
エルヴィンは、僕をじっと見た。
「だから、わしはお前を見ておる」
その言葉に、背筋が少し伸びた。
見ている。
その言い方は、今まで僕に向けられてきたものとは少し違った。
心配でもない。
失望でもない。
からかいでもない。
エルヴィンは、僕をただ魔力の少ない子どもとして片づけていない。
もしかすると、この人なら。
僕自身にも分かっていない何かを、見つけてくれるのかもしれない。
「手を出せ」
「手、ですか」
「噛みはせん」
「噛まれるとは思っていません」
「なら出せ」
僕は両手を前に出した。
エルヴィンは、その手を取った。
老人の手は、骨ばっていて、思ったより硬かった。
皮膚は薄いのに、指先には古い傷と厚みが残っている。
長く道具や武器を握ってきた人の手なのだと思った。
エルヴィンは目を細める。
しばらく、何も言わなかった。
僕は自分の手を見つめる。
何かが起きているのか、正直よく分からない。
指先が、かすかに落ち着かない気がする。
けれど、それが魔力なのか、緊張なのかは判断できなかった。
時間にすれば、たぶん短い。
でも、見られている側としては長い。
やがて、エルヴィンは小さく息を吐いた。
「……妙じゃな」
昨日も、そんな目で見られた気がする。
「何が、でしょうか」
「魔力がまったくないとは、言い切れん」
僕は息を止めた。
「かすかに、何かはある。だが、身体に自然に巡っておるようには見えん」
エルヴィンは、僕の手首のあたりへ視線を落とした。
「普通の子どもでも、魔力の弱い者でも、流れは見える。細くとも、途切れがちでも、何かしら身体に巡っておる」
「僕の魔力の流れは、見えないんですか」
「少なくとも、わしには見えん」
エルヴィンは、少し目を細めた。
「それでいて、動きに乱れはない。昨日、庭で見た動きも、他の子どもに比べて見劣りせんかった」
エルヴィンは、僕の手を離した。
「坊主」
「はい」
「お前は、どうやって身体を動かしておる?」




