第70話 四男は大蜘蛛に挑む
「散開しろ」
ラウガの声が飛んだ。
フィンの矢とミレアの火魔法が放たれ、オオツムギグモを牽制する。
同時に、グレンが正面へ出る。
ラウガとミロスは左右へ広がり、僕は背後へ回れる場所を探す。
イリスとシリウスも側面へ動き、ニコは弓を構えた。
バウルとリズは、後方と周囲へ注意を向けている。
長い脚が、グレンへ振り下ろされた。
グレンが盾を上げる。
脚の先が盾へぶつかり、乾いた音が広間へ響いた。
グレンは剣を添えて脚を横へ流し、オオツムギグモの注意を正面へ向ける。
その隙に、ラウガとミロスが左右から踏み込んだ。
胴体が持ち上がり、口元から太い糸が飛び出した。
糸がラウガへまともに当たり、大きな身体が後ろへ押し返される。
腕と胴へ白い糸が絡みつき、ラウガは身動きを封じられた。
「ちっ!」
その間に、ミロスの剣がオオツムギグモの脚へ食い込む。
太い脚が一本、斬り落とされた。
イリスとシリウスも側面から斬り込んだ。
別の脚が大きく振るわれ、二人を弾き返す。
シリウスは受け身を取って勢いを殺し、片膝をついたまま手をオオツムギグモへ向けた。
「まだです!」
火魔法が胴体へ直撃し、その身体が軽く震える。
反対側から、僕も踏み込む。
脚の付け根へ刀を振り抜き、脚を斬り落とした。
オオツムギグモは、残った脚で大きく跳ねる。
天井へ吐いた糸を伝い、そのまま上へ逃げた。
「逃げるのはなしだよ」
フィンが弓を引く。
けれど、矢が放たれるより先に、斬り落とした脚の付け根へ魔力が集まった。
二つの切断面が膨らみ、そこから新しい脚が伸びていく。
伸びた二本の脚は瞬く間に太さを増し、元の形へ戻った。
「再生してる……」
シリウスが息を呑む。
脚を斬るだけでは倒せないようだ。
「ラウガさん、耐えてください」
「何を――」
ミレアが、ラウガへ向けて火魔法を放った。
炎がラウガの身体を包み、絡みついた白い糸を焼き落とす。
「もう少し優しくしてほしいんだがな!」
ラウガが腕を広げ、残った糸を引きちぎった。
「まだ来ます」
ミレアの声に、普段のようなためらいはなかった。
天井のオオツムギグモが、広い範囲へ糸を吐く。
「また動けなくなるのはごめんだ」
皆が、降り注ぐ糸から散った。
フィンとニコが矢を放つ。
一本が脚へ刺さり、もう一本が糸を吐こうとした口元をかすめた。
オオツムギグモが矢を避けるように、天井を横へ移る。
そこへ、シリウスとミレアの火魔法が続いた。
天井と壁に残っていた糸が焼かれ、逃げ回れる場所が狭まっていく。
移ろうとした先へ、フィンの矢が突き刺さった。
行き場を失ったオオツムギグモが、天井から地面へ降りる。
グレンが正面へ出た。
ラウガが肩越しにミレアを見る。
「ミレア。さっきのやつ、頼む」
「分かりました」
ラウガがオオツムギグモへ正面から走る。
その胴体が持ち上がり、先ほどと同じように太い糸が吐き出された。
ミレアの火魔法が、走るラウガの背へ放たれる。
炎はその身体を包むように広がり、飛んできた糸を、触れた端から焼いていく。
ラウガは勢いを緩めず、燃え上がる糸ごと突き抜けた。
拳が胴体へ叩き込まれる。
重い音が響き、巨体が傾いた。
ラウガは止まらない。
両手を頭上で組み、傾いた胴体へ叩きつけた。
その一撃に、巨体が地面へ沈む。
長い脚が激しく暴れる。
グレンが一本を盾で受け、イリスが側面へ伸びた脚を止めた。
オオツムギグモの注意が、ラウガへ集まる。
「続け!」
「あいよ!」
ミロスが剣を大きく振り下ろす。
僕もその動きに合わせ、横から距離を詰めた。
剣が胴体の殻を砕き、大きな傷を斬り開く。
続いて、踏み込みの勢いを乗せ、同じ場所へ刀を振り下ろした。
胴体の奥まで一気に斬り裂く。
やがて、暴れていた脚から力が抜け、床へ落ちた。
オオツムギグモは、それきり動かなくなる。
身体がゆっくりとほどけ、魔石が床へ残った。
「周囲、大丈夫です」
バウルの声で、張りつめていた空気が少し緩む。
ラウガは腕を動かしながら、服に残った焦げ跡を見下ろした。
「す、すみません! わたし、ラウガさんに火を……」
戦いが終わった途端、ミレアの声が戻った。
「糸を焼いただけだろう。動けたんだから気にするな」
「念のため見せてください」
リズがラウガの腕へ手を伸ばす。
「す、すみません」
ミレアが、もう一度頭を下げた。
ついさっきまで、仲間を助けるために迷わず火魔法を使っていたとは思えない。
リズとミレアが全員の状態を確認する。
治癒が必要だったのは、ラウガの腕に残った軽いやけどだけだった。
広間の奥には、さらに下へ続く階段がある。
「まだ進めそうですが、ここまでにしておきましょう」
シリウスがその階段へ顔を向ける。
「もう少しだけでも、見ませんか」
「今日は二層までと決めています。それに、帰るための余力を残したまま引き返すことが、今回の目的です」
「……分かりました」
シリウスは名残惜しそうに階段を見たが、それ以上は言わなかった。
ラウガは階段の先へ目を向け、鼻を鳴らした。
「続きは次の楽しみに取っておけ」
「ラウガからそんな言葉が出るとはね」
「俺を何だと思ってやがる」
「止める側より、止められる側かな」
「殴るぞ」
フィンが肩を揺らして笑う。
二人のやり取りを聞くうちに、シリウスの表情も少しだけ緩んだ。
ニコが荷物と記録をまとめ終え、僕たちは帰りの隊列を組んだ。
階段へ背を向け、来た道を引き返す。
帰り道で新たな魔物に出会うことは、ほとんどなかった。
前回のように通路の前後を塞がれることもなく、僕たちは余力を残したまま一層へ戻った。
「今回は、何も起きなさそうでよかったです」
リズが、少し安堵したように言った。
「前回は、帰るだけで大変でしたからね」
ニコも後ろを確かめながら答える。
あの時は、揺れた後に魔物が増え、倒しても倒しても通路の先から現れた。
「ラウガさんたちも、同じような状況になったことはないんですか」
僕が聞くと、ラウガは前を歩いたまま答えた。
「この数年で一度だけだな」
「その時は、どうやって」
「増えた魔物を、ミレアが魔法で吹き飛ばし続けた」
「ラ、ラウガさん。その話は――」
ミレアが慌てて止めようとする。
「魔力酔いにはならなかったんですか」
シリウスが聞いた。
「なった」
ラウガは即答した。
「なったんですか?」
「だから、その話はしなくても……」
「ラウガに抱えられて、口から盛大に吐きながら魔法を撃ち続けてたのは圧巻だったね」
フィンが楽しそうに続ける。
「ちょ、ちょっと、フィンさん!」
「なかなか見られない光景だったよ。本人は真っ青なのに、魔法だけはきれいに飛ぶんだ」
皆が、その光景を想像したらしい。
ミロスが口元を押さえ、イリスも視線を少し逸らした。
グレンは笑わなかったが、肩がわずかに動いた。
「すごいです!」
シリウスだけは、目を輝かせている。
「兄様。魔力酔いになっても、魔法を使い続けられるんですね!」
「真似しちゃだめだからね」
即座に返した。
ミレアも強くうなずき、シリウスへ真剣な目を向けた。
「危険な時に選んだ最後の手段です。判断も魔力操作も乱れます。できるからといって、やっていいことではありませんよ」
「……はい」
シリウスの声から、少しだけ勢いが抜けた。
「わたしも、二度としたくありません」
「お前は途中から覚えてないだろう」
「だから話さないでください!」
ラウガの言葉に、今度はフィンが声を上げて笑った。
その後は、大きな戦闘もなくダンジョンから出ることができた。
森の空気が、冷たく頬に触れた。
入口の周囲を見回す。
熊の姿はなかった。
待っていたわけではないらしい。
少しだけ拍子抜けした自分に気づき、森の奥へ目を向ける。
「中継拠点へ戻りましょう」
僕たちは森を歩き始めた。
行きより、足取りは軽い。
二層へ進めたことも、オオツムギグモを倒せたことも嬉しい。
けれど、それ以上に、帰るための余力を残したまま外へ出られたことに安心していた。
しばらく進んだところで、バウルが足を止めた。
「何か来ます」
一行の空気が締まる。
武器に手をかけ、木々の間を見る。
枝が揺れた。
白い傷の熊が、木々の間から姿を現した。
少し離れた場所で立ち止まり、こちらを見る。
それから身体の向きを変え、中継拠点の方角へ歩き始めた。
「……帰るんでしょうか」
シリウスが小さく言う。
「僕たちと同じ方向だね」
熊の後ろを、僕たちも進む。
結果として、大きな熊が一行の先頭になった。
ずいぶん不思議な光景だ。
熊が迎えに来たのか。
たまたま僕たちを見つけただけなのか。
熊は、何も答えない。
本当のところは分からないけれど、迎えに来てくれたと思うことにしよう。
そう考えると、少し先を歩く大きな背中も、どこかかわいく見えた。




