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ずれた四男の異世界暮らし ~僕の当たり前は、魔力社会の盲点でした~  作者: ただのゆきや
第4章 東の森のダンジョン

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第66話 四男は頼れる人を休ませたい

 低木が大きく揺れた。


 太い枝が左右へ押し分けられ、木々の間から黒い影が姿を現す。


 大型の熊だった。


 口に、小型の魔獣を一体咥えている。

 そして、左目の上から頬へかけて、白い傷が走っていた。


 森で治療した、あの熊だ。


 熊は木々の間で足を止めた。

 咥えた魔獣から血が落ち、土の上に黒い染みを作る。


 誰も武器を下ろさない。

 けれど、熊も動かなかった。


 今の僕たちが戦えば、無事では済まない。


 前に治療した時、熊は僕たちを襲わなかった。

 今回も、すぐに飛びかかってくる様子はない。


「刺激しないでください」


 僕は熊から目を離さずに言った。


「今は、刺激しない方がいいと思います。武器は、すぐ使える状態のままで構えを解きましょう」


 シリウスが熊を見たまま、ゆっくり剣先を下げる。


 ミロスは息を吐き、剣を鞘へ戻した。

 イリスも盾を下ろし、剣を収める。


 僕も刀の柄から手を離した。


 バウルだけは槍を握ったまま、熊の動きと匂いを探っている。


 熊は僕たちの動きを見ていた。

 それでも、近づいてはこなかった。


「中継拠点へ戻りましょう」


 ニコがグレンの前へ回り、その身体を背負う。

 グレンの腕がニコの肩から力なく垂れた。


「リズさん、横をお願いします」


「はい」


 リズはグレンの顔色を確かめながら、ニコの隣についた。

 シリウスとバウルは周囲へ目を配り、僕たちは中継拠点へ向かった。


 熊は動かない。

 木々の間に立ったまま、離れていく僕たちを見ていた。


 しばらく進むと、後ろから重い足音が聞こえた。


 振り返る。


 熊が、ゆっくりとこちらへ歩いてきていた。


 近づきすぎることはない。

 僕たちが立ち止まると、熊も足を止める。


 歩き出せば、またついてくる。


 シリウスが何度も振り返った。

 熊との距離が少し縮まると、剣の柄へ手を伸ばす。


「シリウス」


「……分かりました」


 シリウスは手を離した。

 それでも、熊から目は逸らさない。


「なんで、ついてくるんすかね」


 ミロスが荒い息の合間に呟いた。


「前も、魔獣の死骸を置いてったっすよね」


 僕は熊を見た。


「分かりません。今は距離を保っているので、このまま進みましょう」


 葉が擦れる音と、土を踏む足音。

 その後ろから、熊の重い足音も続く。


 しばらく歩いたところで、バウルの耳が動いた。


「止まってください」


 僕たちは足を止める。


 バウルは横の木々へ顔を向け、鼻を動かした。


「魔獣です。近いです」


 疲れた身体が、もう一度緊張する。


 シリウスが剣へ手をかける。

 イリスとミロスも武器を構え、ニコたちの前へ出た。


 熊も足を止めた。

 大きな顔が、僕たちと同じ方角へ向く。


 低木が揺れた。


 小型の魔獣が飛び出し、身体を低くする。


 跳びかかる、その直前。


 熊が地面を蹴った。


 大きな身体が一気に距離を詰める。

 前脚で魔獣を地面へ押さえ込み、そのまま太い顎で首元へ食らいついた。


 短い声が上がり、すぐに動かなくなる。


 あっという間の出来事に、僕たちは動けなかった。


 熊は仕留めた魔獣を咥える。

 そして、呆気に取られている僕たちの方へ、頭を振って放った。


 湿った音がした。


 誰も手を伸ばさない。


 熊は地面の魔獣と僕たちを見ている。


「……今は戻りましょう」


 熊が何を求めているのかは分からない。

 それを考えるより、中継拠点へ戻る方が先だ。


 僕たちは魔獣の死骸を残し、再び歩き出した。


 後ろで、熊が鼻を鳴らした。


 少し進んでから振り返ると、熊は僕たちの前へ放った魔獣と、離れていく僕たちを見比べていた。


 やがて、最初から咥えていた魔獣のところへ戻る。

 熊は二体をまとめて口へ咥え直した。


 次の瞬間、地面に響く足音が後ろから近づいてきた。


 巨大な身体が小走りで追いついてくる。


 シリウスが反射的に剣へ手を伸ばしたが、熊は僕たちの手前で速度を落とした。

 そして、また同じくらいの距離を空けて歩き始める。


「兄様。あの熊は、どこまでついてくるのでしょうか」


 シリウスは困惑したように振り返った。


「以前のお礼に、護衛してくれてるのかもね」


「熊の恩返し……だったら、面白いですけど」


 シリウスはそう言いながらも、視線は熊へ向けたままだった。


 熊は二体の魔獣を咥えたまま、僕たちの後ろをついてきた。


 木々の向こうに、中継拠点が見えた。


 警備の者がこちらへ気づく。

 けれど、僕たちの後ろにいる熊を見た途端、慌てて武器へ手を伸ばした。


「大丈夫です! 襲われているわけではありません!」


 僕が声を上げると、警備の者は動きを止めた。

 それでも熊から目を離さない。


 その声を聞きつけたのか、拠点の奥からラウガたちが姿を現した。

 ラウガはニコに背負われたグレンへ目を向け、すぐにその後ろの熊を見た。


「おい。なんで熊まで連れてきてやがる」


 ラウガが拳を構える。

 フィンは弓へ手をかけ、ミレアも身構えた。


「ま、待ってください! 刺激しないでください!」


 僕は反射的に声を上げた。


 熊は少し離れた場所で足を止めた。

 二体の魔獣を咥えたまま、こちらを見ている。


「何のつもりだ?」


「分かりません」


 熊のことを考えるのは後だ。


「事情は後で説明します。まずはグレンを」


 ニコがグレンを中継拠点の休憩場所へ運ぶ。

 リズとミレアがすぐにそのそばへ座り、顔色と呼吸を確かめ始めた。

 リズがグレンの身体を支えて水筒を口元へ運ぶと、グレンは少しずつ水を飲んだ。


 ほかの皆も腰を下ろし、それぞれ水を受け取った。

 僕も空いている場所に座る。


 座った途端、脚の力が抜けた。

 水を少しずつ飲みながら、中継拠点の外を見る。


 ラウガとフィンが、熊から目を離さずに立っていた。


 その時、熊が動いた。


 熊は木の陰で腰を下ろし、咥えていた魔獣を地面へ置いた。

 そのうちの一体に噛みつき、食べ始めた。


 僕はゆっくり立ち上がり、ラウガたちのいる方へ歩いた。


「まったく、ずいぶん呑気に食いやがるな」


 ラウガが熊を見たまま言った。


「僕たちが休んだから、熊も休憩しているのでしょうか」


「子守りでもしてるつもりかな」


 フィンが冗談めかして言う。


「んなわけねえだろ」


 熊は僕たちの警戒など気にした様子もなく、肉を食べ続けている。

 張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


 やがて、こちらの視線に気づいたのか、熊の口が止まった。

 白い傷のある顔を上げ、地面へ置いたもう一体の魔獣と僕たちを見比べる。


 その魔獣を咥えると、首を振った。

 先ほどと同じように、僕たちの手前へ放る。


 ラウガたちが、再び身構える。


 けれど、熊は近づいてこない。

 残った獲物へ顔を戻し、また肉を食べ始めた。


 僕たちが食べたそうに見ているとでも思ったのだろうか。


「くれるってんなら、受け取っとけ」


 ラウガが熊を見たまま言う。


「くれているのかは、分かりませんけど」


「置いといて、また咥えて投げたんだ。少なくとも、今すぐ自分で食う気はねえんだろ」


 熊の方を見る。


「いただきますね」


 伝わるとは思えないけれど、熊へ向けて言っておいた。


 熊は肉を裂き、骨を噛む音を立てている。

 こちらの言葉へ反応した様子はなかった。


 僕は魔獣を手元へ引き寄せ、改めて熊へ目を向ける。


 魔力の残った肉を、よく平気で食べられるものだ。


 魔獣の肉には、普通の獣肉より多くの魔力が残っている。

 魔力抜きをせずに調理すると、強いえぐみや雑味が残る。


 毒ではないけれど、食用にするなら魔力抜きの下処理をするのが普通だ。


「えぐみは、気にならないのでしょうか」


「熊に聞いたところで分からねえぞ」


 ラウガが言った。


「そうなんですけど」


 魔力抜きをした肉なら、反応が変わるのだろうか。

 僕は中継拠点の食料が置かれている方へ目を向けた。


「魔獣の肉はありますか。魔力抜きしたものを、少しだけ」


 近くにいた警備の者へ尋ねてみた。


「ここで捌いたものならあります。簡単な魔力抜きも済ませています」


「熊に食わせてみるつもりかい?」


 フィンが面白そうに聞いてくる。


「まったく、物好きな奴だな」


 ラウガがあきれたように言う。


 それは否定できなかった。


 僕が引き寄せた魔獣に気づき、ニコがこちらへ近づいてきた。


「お預かりします」


「うん。お願い。それと、魔力抜きした肉を少しもらってきてもらえるかな」


「分かりました」


 魔獣を抱えたニコが言った。


 ふと、もう一つ思いついた。

 熊は肉だけを食べる動物ではなかったはずだ。


「あと、果物もお願いできますか」


「分かりました。聞いてきます」


 やがて、ニコが魔力抜きした肉と果物を少量ずつ持って戻ってきた。


 僕が肉を受け取って投げようとすると、ラウガが手を出した。


「貸せ」


 ラウガは肉を受け取り、熊の少し手前へ軽く放る。


 熊が顔を上げた。


 すぐには食いつかない。

 肉へ鼻先を近づけ、何度か匂いを確かめる。


 やがて一切れを口へ入れた。

 ひと噛みすると、そのまま飲み込む。


 残った肉も、続けて食べた。


 食べ終えた熊が、すぐにこちらを見る。

 もっとないのかと待っているようにも見えた。


 おいしいと言っているように思えるのは、僕に都合よく考えすぎだろうか。


「兄様、楽しそうですね」


 後ろからシリウスの声がした。

 振り返ると、すぐそばまで来ている。


「少しだけね」


 シリウスも口元を緩め、熊へ目を向けた。


 今度は、ニコから果物を受け取ったラウガが、先ほどと同じ辺りへ転がす。


 熊は肉の時より長く匂いを嗅いだ。

 鼻先で少し転がしてから、口へ入れる。


 噛む音が、肉の時とは違った。


 熊はゆっくり食べ終え、また僕たちを見る。


 少なくとも、嫌いではなさそうだ。

 ただ、それ以上は渡さなかった。


 熊は残っていた魔獣を食べ終えると、森の奥へ顔を向けて伏せる。


 枝が揺れると顔を上げる。

 耳を動かし、森の音を探る。


 しばらくすると、熊はその姿勢のまま目を閉じた。


「……眠り始めましたね」


 シリウスが小さな声で言う。


「追い払おうか」


 フィンは熊を見ながら尋ねた。


「下手に動かして暴れられる方が面倒だ」


 ラウガが腕を組む。


「中へ入ってこねえ。こっちへ危害も加えてこねえなら、今は好きにさせるしかねえだろ。見張りは続けるぞ」


「そうだね」


 フィンは森へ視線を移し、そのまま続けた。


「あの熊も、安全に休める場所を探しているのかもしれない」


 僕は休憩場所まで戻り、再び腰を下ろした。


 ダンジョンから、全員で帰ってこられた。

 その安堵のすぐそばで、白い傷の熊が大きな身体を伏せている。


 熊は目を閉じていた。

 けれど、その耳は、森の音を追うように時折動いていた。


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