第64話 四男は残す力を考える
ゴーレムがゆっくり僕の方へ振り返る。
その頭へ、ニコの矢が飛んだ。
矢尻が石の表面を叩き、乾いた音を響かせる。
ゴーレムの顔が、ニコの方へ向いた。
「シリウス様、リズ。魔法を!」
グレンの声が飛ぶ。
シリウスの火魔法が胸元で弾ける。
続けて、後方から飛んだリズの氷魔法が肩口を打った。
炎が散り、砕けた氷が石床へ落ちる。
だが、巨体は止まらなかった。
「後ろから、魔物が来てます!」
バウルが叫ぶ。
「ゴブリンです!」
通路の奥から、一体のゴブリンが駆けてくる。
「バウル、ニコ、頼む!」
グレンが叫ぶ。
「はい!」
ニコが向きを変える。
バウルも槍を構え、ゴブリンの前へ出た。
その時、ゴーレムの動きが止まった。
ゆっくりと両腕を胸の前へ引き寄せた。
身体を小さく縮めるような姿勢になる。
「なんだ?」
ミロスが眉をひそめる。
「降参か?」
違う。
胸の奥がざわついた。
「みんな! 備えてください!」
次の瞬間。
ゴーレムが両腕を大きく広げた。
身体を覆っていた岩が、一斉に弾け飛ぶ。
「くっ!」
無数の岩片が、広間の中を飛び交った。
僕は腕で顔を庇い、身体を低くする。
岩片が肩や腕に叩きつけられる。
衝撃に歯を食いしばった。
その一瞬。
砕けた岩の奥で、ゴーレムの身体の中心に何かが淡く光った気がした。
だが、それを確かめる余裕はない。
やがて岩が落ち切り、静けさが戻る。
「全員無事か!」
グレンの声が響く。
「大丈夫です!」
「俺も!」
返事が続く。
だが、ニコだけが顔色を変えた。
「バウルが!」
振り向く。
バウルが片膝をついていた。
左腕から血が流れている。
ただ、さっきのゴブリンの姿はなく、岩片の間に小さな魔石が転がっていた。
「リズ!」
「はい!」
リズが駆け寄り、治癒魔法を使い始める。
その間にも、ゴーレムは散らばった岩を引き寄せていく。
砕けたはずの身体が、元へ戻っていく。
グレンが静かに息を吐いた。
「ミロス」
「分かってる」
「次は俺の後ろへ入れ」
「任せろ」
「イリス、リズたちを頼む」
「了解です」
ゴーレムが腕を構え直す。
僕は刀を握り直した。
ゴーレムが僕の方へ踏み出した。
その進路へグレンが割って入る。
反対側からミロスが斬りつけ、シリウスも側面から仕掛ける。
どちらも決め手にはならない。
その隙に、僕はゴーレムの背後へ回り込んだ。
ゴーレムが、先ほどと同じように両腕を胸元へ引き寄せ、身体を小さく縮める。
「来るぞ!」
グレンの声が飛ぶ。
全員が身構えた。
次の瞬間、再び岩片が広間へ弾け飛ぶ。
刀で飛んできた岩片を弾き、身を低くする。
横ではグレンの盾が岩片を受け止め、乾いた音が響いた。
今度は誰も崩れない。
岩片がまだ広間を飛び交っている。
「ミロス!」
「おう!」
グレンが盾を掲げたまま、正面から踏み込む。
迎え撃つように、ゴーレムの腕が振り上がった。
重い一撃を盾で受け、グレンの足が石床を滑る。
それでも、止めることが目的ではない。
グレンは押し返されながら身体を横へずらし、背後に道を空ける。
その隙間を、ミロスが駆け抜けた。
「もらった!」
ゴーレムの身体の中心。
さっき一瞬だけ光った場所。
そこへ剣が一直線に振り抜かれた。
今までの鈍い音とは違う、乾いた破砕音が響く。
ゴーレムの動きが止まった。
巨大な身体が形を失い、石床へ崩れ落ちる。
崩れた石の間には、一つの魔石だけが残っていた。
グレンが盾を下ろし、深く息を吐いた。
ほかの皆も、それぞれに呼吸を整えていた。
シリウスが額の汗を拭う。
「何とか倒せましたね」
「うん」
僕が答えると、グレンが周囲を見回した。
「これで、一通り見られたでしょうか」
「はい。必要な確認はできました」
僕は皆の様子を確かめてから、来た通路へ目を向けた。
「帰りましょう」
最初の調査としては、うまくいった。
そう思った、その時だった。
足元の奥で、低い響きがした。
石が擦れる音とは違う。
もっと深い場所から、地面そのものが唸ったような音だった。
揺れに、身体が横へ流れる。
壁から砂と小石が落ち、視界を横切った。
グレンが僕とシリウスの前へ入る。
イリスはリズたちの側へ下がり、ミロスが通路の天井を見上げた。
もう一度、足元が跳ねる。
地面が、大きな生き物の背中のように動いた。
やがて揺れは弱まり、最後に細かな砂が床へ落ちた。
「全員、怪我は」
「ありません」
「こちらも大丈夫です」
短い声が返る。
バウルが、帰り道の方へ顔を向けた。
鼻を動かし、耳を立てる。
その表情が、すぐに硬くなった。
「増えました」
「何がだ」
「匂いです。さっきまでなかった匂いが、いくつもあります」
事前に見た記録が、頭に浮かんだ。
ダンジョン内で揺れが起きた後、魔物の数が増えることがある。
大きな揺れの後には、普段より強い魔物が確認された例もある。
理由は分かっていない。
けれど、今は確かめている場合ではない。
「すぐ戻ります」
グレンが言った。
僕たちは隊列を整え、来た通路へ戻った。
最初の分岐に、ゴブリンが二体いた。
グレンが一体を止める。
イリスが横へ抜けようとしたもう一体を塞ぎ、ミロスが倒す。
その先では、ケイブラットが岩陰から飛び出した。
ニコの矢がケイブラットの足元へ突き刺さり、進む方向を変えさせる。
その隙に僕が踏み込み、刀で斬り伏せた。
倒せる。
それなのに、進んでは足が止まった。
曲がり角の先にビッグラビット。
分岐の奥にストーンリザード。
後ろから、ケイブラットの爪音。
さらに先の通路では、オークが進路を塞いでいた。
グレンが正面から受け止め、イリスが横からオークの体勢を崩す。
ミロスの剣が振り抜かれ、ようやく道が空いた。
弱い魔物だけではない。
隊列を崩して走れば、次の曲がり角で何に出会うか分からなかった。
前へ進むために倒す。
後ろを守るために振り返る。
倒した直後には、別の音が聞こえる。
「右奥から来ます!」
バウルの声が飛ぶ。
イリスが後衛側へ回り、グレンが正面のゴブリンを押し返す。
「シリウス様、前へ出すぎないでください」
「はい!」
シリウスが放った火魔法が、横穴から出てきた影を止めた。
ミロスが踏み込み、倒す。
だが、戻る足が遅い。
「まだいけるっす」
誰に言うでもなく、ミロスが短く言った。
軽口の形をしているのに、いつもの余裕はなかった。
倒せるのに、進めない。
グレンが迫ってきたゴブリンを斬り伏せ、そのまま前へ出ようとする。
けれど、次の一歩だけがわずかに流れた。
ほんの小さな乱れだった。
ずっとグレンの背中を見てきた僕には分かった。
「グレン」
「問題ありません」
返事が、少し遅い。
呼吸も重い。
リズが近づき、顔色を確かめた。
「グレンさん、これ以上は危険です」
「出口まで持たせます」
「今の状態で戦い続ければ、持たないかもしれません」
ただの疲労ではない。
魔力酔いの症状が出始めている。
ここまで耐えていること自体が、グレンの強さなのだと思う。
だからといって、このまま前へ立たせ続けていいわけではない。
前方で、また石が動いた。
ミロスが先に踏み込み、ストーンリザードを弾く。
だが、元の位置へ戻るのが一呼吸遅れた。
「まだ動けます」
イリスが言う。
「俺も、あと少しならいけるっす」
二人とも、まだ戦える。
けれど、そのあと少しを使い切った時、強い魔物が出たらどうする。
さっきのゴーレムほどでなくても、オーガのような相手が帰り道に現れたら。
小物の魔物は強くない。
それでも、強い人たちが倒し続けるほど、強い敵へ備える余力がなくなっていく。
前方の通路で、複数の影が動いた。
後ろからも、爪が石を擦る音がする。
グレンがもう一度前へ出ようとした。
「待ってください」
僕の声に、グレンの動きが止まる。
「ユキア様」
「グレン、ミロス、イリスは下がって、魔力を抑えることに集中してください」
「坊ちゃん、それは」
「強い魔物が出た時に、三人が動けない方が危ないんです」
ミロスが言葉を止めた。
イリスは前方から目を離さず、唇を引き結んでいる。
「シリウスは、後ろから来る魔物を止めて」
シリウスは一瞬だけ前を見た。
それから、剣を握り直して後ろを向く。
ニコが矢をつがえる。
バウルはリズの前へ立ち、槍を構えた。
リズは何か言いかけた。
けれど、グレンたちの荒い呼吸と、前後から近づく音を聞き、言葉を飲み込む。
この中で、戦い続けても魔力酔いを起こしにくいのは僕だ。
僕は刀の柄へ手をかけた。
「前は――」
前方の影が、こちらへ走り出す。
その動きを見据え、僕は言葉を続けた。
「前は、僕が切り開きます」




