第63話 四男はダンジョンに入る
森の奥に、黒い穴が開いていた。
岩肌が裂け、そのまま地面の下へ続いているように見える。
立派な門も、目印になる飾りもない。
けれど、ただの洞窟ではないことは、前に立っただけで分かった。
入口の内側から、冷たい空気が流れてくる。
土と石の匂いに加えて、肌へまとわりつくような重さがあった。
ここが、東の森のダンジョンだ。
これまで何度も報告で目にしてきた場所。
冒険者たちが入り、魔力酔いに耐えながら調査を続けてきた場所。
そして今日は、僕たちがその前に立っている。
僕は全員の顔を見回した。
「今日は、一層だけを確認します。二層へは行きません」
あらかじめ決めていた方針を、一つずつ口にする。
「魔力酔いの兆候、魔物の急増、何らかの異変を確認した時点で撤退します」
僕はグレンへ目を向けた。
「戦闘の判断と指示は、グレンにお願いします」
「承知しました」
これまでの調査は、ラウガたち冒険者側が中心だった。
ただ、魔力の濃いダンジョンでは、長く留まりにくい。
三年間、魔力を抑える訓練を続けてきた僕たちにも、調査へ協力できないかと話が来た。
今日は、その最初の調査だ。
グレンの視線が、僕とシリウスへ移った。
「ユキア様、シリウス様。前へ出すぎないでください」
「はい」
「はい!」
シリウスの返事は大きかった。
すぐに口を閉じ、真面目な顔で剣の柄へ手を添える。
イリスが、その立ち位置を確かめるように横へ移った。
「シリウス様は、私から離れないようお願いいたします」
「分かっています」
今度の返事は、少しだけ小さい。
「坊ちゃんも、今日は本当に頼みますよ」
ミロスが言った。
「中に入った途端、面白そうなものを見つけて寄っていくのはなしっす」
「僕を何だと思っているんですか」
「気になるものがあると、周りが見えなくなる人っす」
否定しきれない。
「ミロスさんの言うとおりです」
リズが静かに念を押した。
「気になるものがあっても、一人で近づかないでくださいね」
「……はい」
僕は、あらためてダンジョンの入口へ目を向けた。
奥から流れてくる冷たい空気が、まだ見えないダンジョンの中を思わせた。
「行きます」
グレンが先頭に立つ。
僕たちは順に、ダンジョンの中へ足を踏み入れた。
数歩進んだだけで、森の音が遠くなった。
葉が擦れる音も、鳥の声もない。
聞こえるのは、靴底が石を踏む音と、誰かの呼吸だけだ。
洞窟の中だというのに、周囲は薄明るい。
壁も床も、はっきり光っているようには見えない。
それでも、ダンジョン全体が淡い明るさを帯びていて、足元を見るのに困るほど暗くはなかった。
「不思議な場所っすね。灯りもないのに、ちゃんと見える」
ミロスが、周囲を見回しながら言った。
僕も同じことを考えていた。
壁と床は自然の洞窟に見える。
けれど、ところどころ妙に平らな場所があった。
削られたのか、最初からこうだったのかは分からない。
「森より、抑えにくいっすね」
ミロスが小さく息を吐いた。
「問題はありませんか」
僕が尋ねると、ミロスは首を振った。
「今はないっす」
濃い魔力が、外から身体を動かそうとしてくる。
それを抑えながら歩くだけでも、森の中とは違う負担があるのだろう。
僕は魔力酔いを起こしにくい。
それでも、何も感じないわけではなかった。
空気が重い。
息を吸うたびに、薄い布を一枚ずつ身体に巻きつけられているような感覚がある。
バウルの耳が動いた。
「前に複数います」
グレンが足を止める。
少し先で、何かが石を蹴った。
低い声。
続いて、硬い足音が重なる。
曲がり角の先から、ゴブリンが二体、姿を現した。
その後ろには、丸い身体を低くしたビッグラビットがいる。
「後ろに下がってください」
グレンが前へ出た。
一体目のゴブリンが粗い声を上げ、武器を振りかぶる。
グレンは正面から受け止めず、身体をわずかにずらして攻撃を流した。
体勢を崩したゴブリンの横へ、ミロスが入る。
振り抜かれた剣が、ゴブリンを仕留めた。
二体目がその脇を抜けようとする。
「右、行きます!」
イリスが踏み込み、進路を塞いだ。
その奥で、ビッグラビットが地面を蹴る。
ニコの矢が飛び、前脚の近くをかすめた。
跳び出そうとした身体が、わずかに傾く。
「そこです!」
シリウスの火魔法が直撃し、ビッグラビットが体勢を崩した。
勢いが鈍ったところへ、ミロスが向きを変えて踏み込む。
剣が振り下ろされ、ビッグラビットが石床へ倒れた。
その間も、イリスは二体目のゴブリンを前へ出させていない。
グレンが踏み込み、最後の一体を仕留めた。
倒れた魔物の姿が消え、床に小さな魔石が残る。
石の転がる乾いた音だけが、通路に響いた。
「怪我はありませんか」
リズが前へ声をかける。
「問題ありません」
「こっちも平気っす」
ミロスが剣を戻しながら笑う。
「このくらいなら、余裕っすね」
確かに、戦闘そのものは安定していた。
ここに出る魔物であれば、グレン、ミロス、イリスにとって大きな脅威ではない。
それでも、戦闘を終えたグレンは、森にいる時より少し深く息を吐いていた。
「進みます」
グレンの声で、僕たちは再び歩き出した。
その後も、何度も魔物と遭遇した。
武器を手に迫ってくるゴブリン。
岩陰から飛び出す、大鼠のようなケイブラット。
足元の石と見分けにくいストーンリザード。
丸い身体を低くして跳びかかるビッグラビット。
どれも、倒せない相手ではない。
けれど、戦うたびに足は止まった。
魔力を巡らせ、攻撃し、また抑える。
そうして進むうちに、歩みは少しずつ遅くなっていった。
やがて通路が開け、広い場所へ出た。
足元には、砕けた石が散らばっている。
壁には削れた跡があり、何か重いものが何度もぶつかったように窪んでいた。
「止まってください」
バウルが言った。
耳を立てたまま、広間の奥を見ている。
「奥に、魔物の匂いがあります」
先には、大きな岩があった。
壁際に崩れ落ちた石の塊。
最初は、そう見えた。
近づいた瞬間、その一部がずれた。
石と石が擦れる低い音がする。
岩の塊が持ち上がり、腕のような形になった。
続いて、地面に埋まっていた部分が動く。
石と土を固めたような大きな身体が、広間の中で立ち上がった。
「ゴーレム……」
僕は息を飲んだ。
動きは速くない。
けれど、床を踏むたびに、足元へ重い振動が伝わってきた。
「どうしますか」
グレンが短く尋ねた。
「一層の状態を調べるなら、一度戦う意味はあると思います」
僕はゴーレムから目を離さずに答えた。
「いけますか」
グレンはゴーレムの動きを見ながら、広間の広さと退路を確かめた。
「問題ありません。ただし、危険と判断したらすぐ撤退します」
「それで大丈夫です。お願いします」
グレンが剣と盾を構えた。
「私が正面を受けます。ミロスは崩せる場所を探せ。イリスとシリウス様は側面から援護してください」
「了解」
「分かったっす」
グレンは僕を見た。
「ユキア様は隙を見て後ろへ。危険なら無理はしないでください」
「はい」
「バウルは警戒。ニコとリズは後方支援を」
「分かりました」
ゴーレムの腕が振り下ろされた。
グレンはその腕を、盾で正面から受け止めなかった。
足を斜めへ運び、盾の表面を滑らせるように受け流す。
ミロスが飛び込む。
「おらっ!」
剣が膝の辺りへ叩き込まれる。
硬い音が響いた。
「……かってーな!」
表面が少し欠けただけだった。
その間に、僕はゴーレムの後ろへ回る。
イリスとシリウスは右側へ移動した。
二人が同時に踏み込んだ。
イリスの剣が横から走る。
ゴーレムはすぐに反応し腕を振り上げ、イリスへ叩きつけた。
「っ!」
イリスは剣を合わせて受け止める。
重い衝撃に足が沈む。
その隙に、イリスの背後からシリウスが飛び込む。
「はあっ!」
剣がゴーレムの脇腹を斬りつける。
硬い手応えが腕へ返る。
石片は飛んだ。
巨体は揺らがない。
「駄目です!」
シリウスが声を上げた。
ミロスも追撃に入る。
だが、振り返りざまに振るわれた腕に、剣ごと弾かれた。
「くっ!」
その瞬間だった。
僕は背後から間合いへ入り、一気に魔力を巡らせて刀を振るう。
鈍い衝撃が返ってくる。
ゴーレムの身体が、ほんの少し揺れた。
それだけだった。
「足りない……!」
誤字報告ありがとうございます。助かりました。




