第57話 四男は森の答え合わせを聞く
翌日の冒険者ギルドは、いつもより少し遠く感じた。
受付の方から聞こえる声も、誰かが椅子を引く音も、壁一枚向こうの出来事のように耳へ届く。
昨日、東の森から戻ってきたことは覚えている。
でも、細かな会話までは頭に残っていない。
覚えているのは、足がひどく重かったことだった。
怪我はしていない。
痛むような傷もない。
ただ、足も腕もじんわり痛かった。
筋肉痛だ。
昨日の森では、いつもの訓練とは違う使い方で身体を動かし続けていたらしい。
「こちらになります」
「ありがとうございます」
ギルドの担当者の声に頷き、僕は奥部屋へ入った。
後ろにはグレン、ミロス、シリウス、イリスが続く。
部屋の中には、ガレス、ベルガ、エルヴィン、ラウガ、フィン、ミレアがいた。
「おう、来たか。昨日の今日で呼び出して悪いな。疲れてるだろうが、後に回すと見えなくなることもあるんでな」
そう言って、ガレスは椅子を顎で示す。
「まあ、空いてるとこに座ってくれ」
「はい」
僕が椅子へ座ると、シリウスも隣に座った。
グレン、ミロス、イリスも、それぞれ邪魔にならない位置で控える。
「まずは、昨日、うちの連中を助けてもらったこと、礼を言わせてくれ。感謝する」
ガレスはそう言って、わずかに頭を下げた。
乱暴な声なのに、その言葉だけはまっすぐだった。
「いえ、負傷された方は大丈夫ですか」
「朝の時点では落ち着いています。まだ無理はできませんが、命に関わる状態ではありません」
ミレアが静かに付け加える。
「なら、よかったです」
挨拶が一段落すると、ベルガが紙束をそろえて、話し始めた。
「お集まりいただきありがとうございます。昨日は想定外のこともありましたが、検証として確認できた部分はあります」
部屋の空気が少し締まる。
「本来の目的は、魔力の濃い採取地に一定時間留まり、グレン殿とミロス殿が魔力抑制を試した場合、魔力酔いの出方に差があるかを見ることでした」
ベルガは、話す順番を整えるように続ける。
「途中で救援要請が入り、予定していた確認は中断しています。その後は、救援を優先しました」
ガレスは黙って頷いている。
「ただ、そこで確認できた体調の変化、動けた者と動けなかった者の差、魔獣の反応は、今後の判断材料になります」
「まず、ラウガ、フィン」
ベルガが視線を向ける。
「救援時、お二人が奥へ向かわなかった理由を確認させてください」
ラウガは腕を組んだ。
顔色は戻っている。けれど、いつもの勢いはまだ戻りきっていない。
「走れないわけじゃなかった」
ラウガは低く言った。
「だが、あのまま奥まで行って戦える状態じゃねえと判断した」
悔しさが、声の底に残っていた。
それでも、言葉を濁さなかった。
「僕も同じだね。奥まで走って戦う余力はなかったよ」
フィンが続ける。
「あの状態で僕たちまで倒れたら、救援対象が増えただけだ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
ラウガもフィンも強い。
それでも、昨日の森では普段どおりに動けなかった。
強い人でも、場所が変われば、できることが変わる。
昨日の森は、そのことをはっきり見せてきた。
「次に、グレン殿、ミロス殿」
ベルガがこちら側へ視線を移した。
「検証地点での抑制状態と、救援時の動きについて、感じた範囲で構いません。確認させてください」
「はい」
グレンは姿勢を正した。
「検証地点では、魔力の巡りが押されるような感覚がありました。普段より抑えること自体が難しかったです」
「ただ、抑えていた分、巡りすぎることはなかったように思います。救援に向かう時点で抑制を解いたからか、その後は巡りがいつもより強くなりました」
「俺も、だいたいグレンさんと同じっす。抑えにくかったですけど、動けなくなる感じはなかったっす」
ミロスはそう言って、肩をすくめた。
「実戦で使えねえなら、確認した意味は薄い」
ガレスが椅子の背にもたれた。
「だが、昨日は魔力の濃い場所に一定時間いて、そのうえ救援まで入った。グレンはオーガを抑え、ミロスは中型魔獣を止めた」
「はい」
ベルガが頷く。
「一定時間の滞在に加えて、予定外の救援まで入ってこの結果なら、魔力を抑えることに価値はあるように見えます」
「次に、ユキア様」
ベルガの声で、僕は顔を上げた。
「はい」
「森の中で、魔力酔いの症状はありましたか」
答えようとして、少し考える。
昨日の森は重かった。
息を吸うたび、湿った空気が胸の奥へ沈んでいくようだった。
でも、グレンやミロスが話していたような、魔力の巡りが押される感覚はなかった。
「空気が重いとは感じました。でも、魔力酔いの症状は出ていません。魔力が押される感じも、僕には分かりませんでした。ただ、魔力を巡らせたときは、いつもより通りやすく感じました」
そこまで言ってから、僕は昨日の小型魔獣の動きを思い出した。
「あと、ひとつ気になることがありました」
ベルガが、紙に視線を落とす。
「どうぞ」
「倒れていた冒険者を、少しでも安全な場所へ退避させようとした時、小型魔獣が近くに来たんです。ただ、僕を見ても、飛びかかってきませんでした」
あの時の小型魔獣の目を思い出す。
こちらを見ていた。
「でも、冒険者を動かすために魔力を巡らせた瞬間、別の方へ向いていた小型魔獣が、はっきりこちらを見ました」
咄嗟に魔力を止めると、襲ってはこなかった。
でも、まだ迷っているようにも見えた。
「以前、一人で魔獣と遭遇した時にも、似たようなことがありました。魔力を巡らせた瞬間に、反応が強くなったんです」
ベルガが、確認するように言う。
「魔力に反応した、と?」
「そう見えました。だから、間合いに入るまでは魔力を巡らせず、斬りつける時だけ巡らせました。一瞬、反応されましたが、隙を突けたように思います」
部屋の中が静かになった。
言葉にしてみると、自分でも危うい話だと思う。
それでも、昨日のあの場では、そう見えた。
最初に口を開いたのは、エルヴィンだった。
「そんなことができるのは、今のところ、坊主くらいじゃろうな」
エルヴィンが言う。
「しかし、グレンやミロスの抑制と、坊主の自然に巡っていない状態は別物じゃ。同じようには扱えん」
「使えるなら大きい話だ」
ガレスが僕を見る。
「だが、すぐに実戦へ取り入れられるような話じゃねえな」
「はい」
ベルガが頷いた。
「現時点では、魔力を抑えた状態では魔獣の反応が鈍る可能性がある、という観察材料に留めます。あくまで、ユキア様の体感です。確定した情報としては扱えません」
確定ではない。
その言葉に、少しだけ息がしやすくなった。
小型魔獣の動きも、周囲の音も、僕自身の焦りも混ざっていた。だから、僕の見え方だけで決めつけることはできない。
「それに」
ミレアが小さく手を上げた。
「治療する側から言うと、魔力酔いで動けなくならないことの方が、今は大事だと思います。治癒者が倒れたら、怪我人を診ることもできませんから」
「そこだな」
ガレスが短く言う。
「昨日はミレアが回収組にいて、動ける状態だったから怪我人を診られた。だが、治癒者まで魔力酔いで動けなくなったら、助かる人数が変わる」
ミレアは少し緊張した顔で頷いた。
「わたしも、魔力酔いを抑えられるなら試す意味はあると思います」
ベルガは次の紙を前へ出した。
「救援された冒険者たちからの聞き取りについても、共有します」
部屋の空気がまた変わる。
「彼らは、ダンジョンの手前でオーガに遭遇したと話しています。ただし、疲労が強く、遭遇時の細かな状況には揺れがあります」
「魔獣は」
ガレスが聞いた。
「最初はいなかったそうです。ですが、戦っているうちに、引き寄せられるかのように魔獣が集まってきた、と」
僕は昨日、ミロスが「増えてる」と言った声を思い出した。
あの時、案内してきた冒険者の顔色が悪くなった。
「とうとうダンジョンから出てきやがったか」
ラウガが低く言った。
「出てきた、ですか」
僕は思わず聞き返した。
ガレスが、机の上に置かれていた魔石を指で示す。
「昨日のオーガが倒れた後に残ったものだ」
「魔石……」
「ダンジョンの魔物は、息絶えると魔石と化す。ダンジョン内の調査で何度か確認している」
ガレスの声は重かった。
「つまり、あれは獣が魔獣化したものではなく、ダンジョンから出た魔物と見ていい」
「ダンジョンの魔物は、魔石を媒体として召喚されたものではないかと考えられておる」
エルヴィンが静かに続ける。
「じゃが、なぜ外へ出たのかまでは分からん。ダンジョンの中で何かが変わったのか、外の魔力が濃くなったのか、それとも別の理由か。そこを決めるには早い」
「ファイデンでは、似たような話が出ている」
ガレスが言う。
「こうなってくると、こっちも他人事とは言えねえな」
誰も否定しなかった。
ベルガは紙束をそろえ直した。
「検証の話に戻します。今回大きかったのは、魔力抑制で魔力酔いを軽減できる可能性が、実戦に近い形で見えたことです」
「本来の検証は途中で中断しました。ですが、救援対応まで入ったことで、滞在だけでは見えない差が出ました」
ベルガの声は淡々としている。
だからこそ、言葉が重く聞こえた。
「グレン殿とミロス殿は、抑制を試していたため、ラウガ殿とフィン殿より長く動けた可能性があります。もちろん、個々の役割、体力、訓練量も関わります。ですが、冒険者側として試す価値はあります」
「ラウガ殿、フィン殿、ミレア殿」
ベルガが三人を見る。
「まずはお三方に、魔力抑制を試していただく形でよいでしょうか」
「俺はやる」
ラウガは即答した。
「昨日みてえに足が止まるのはごめんだ。役に立つなら覚える」
「僕も試すよ。あの気分の悪さを避けられるなら嬉しいね」
フィンが苦笑する。
「わたしも、試します」
ミレアは両手を膝の上で握った。
「治癒者が動けるかどうかは、パーティの生存に関わりますから」
「グレン、ミロス」
ガレスが二人へ視線を向ける。
「最初の感覚説明を頼みたい。実際に試して、昨日動いたのはお前らだ」
「ユキア様」
ベルガがこちらを見る。
「ラウガ、フィン、ミレアの三名に、魔力抑制を試す機会をいただけないでしょうか」
「分かりました。こちらで訓練する時に、一緒に試してもらうことでよければ」
僕はグレンとミロスを見る。
「グレン、ミロス。お願いできますか」
「承知しました」
グレンが答える。
「俺で説明できる範囲なら、やるっす」
「ありがとうございます。鉱山管理側への報告は、冒険者ギルド側でまとめます」
ベルガが話を締めた。
「はい、よろしくお願いします」
僕は、もう一度頷いた。
昨日の森は、ただ魔力の濃さを確かめる場所では終わらなかった。
ダンジョンの手前で現れたオーガ。
後から集まってきた魔獣。
東の森は、思っていたよりもずっと厄介な場所になっているのかもしれない。
僕たちは、東の森から帰ってきた。
大きな怪我もなく、町まで戻れた。
けれど、あの森で見たものは、これから僕たちが向き合っていくことの、ほんの始まりでしかなかった。




