第54話 四男は魔力酔いを確かめる
検証地点は、森の中でもいっそう静かだった。
風はある。
葉も揺れている。
それなのに、音が少し遠く感じる。
ここが魔力水素材の採取地なのだと聞いていた。
周囲には、似たような木々と下草が続いている。僕の目には、どれが特別なのかは分からない。
「ここで一定時間留まる」
フィンが言った。
「ラウガは周囲。僕も見る。グレンとミロスは、無理のない範囲で抑制。ユキア様は、二人から離れない」
「はい」
グレンとミロスが位置を取る。
二人は目を閉じるわけではない。周囲を見られる姿勢のまま、呼吸を整えた。
訓練場で見た時より、二人の表情が硬い。
「……これは、思ったより面倒っすね」
ミロスが小さく言った。
「何が違うの?」
「外から押される感じがするっす。抑えてるつもりでも、勝手に巡ろうとするっていうか」
グレンも短く頷いた。
「普段より、内側に留めにくいです」
僕は自分の手を見た。
大きな変化はない。
町にいる時とまったく同じ、とは言い切れない。空気の重さは感じる。
けれど、グレンやミロスが言うように、内側から何かが勝手に巡ろうとする感覚はなかった。
それが助かることなのか、危ないことなのか。
今の僕には、まだ分からない。
ただ立っている時間は、長く感じた。
周囲を見ているラウガとフィンは、少しも気を抜いていない。
「フィンさん。ここでは、どうやって魔力水素材を採るんですか」
「興味ある?」
「はい。ここが採取地なら、見ておきたいです」
フィンは少し考えてから、近くの木へ目を向けた。
「この木は、根から水と自然魔力を吸い上げて、幹や枝の内側に魔力を含んだ樹液を溜めるんだ」
「状態の良し悪しは、見れば分かるんですか」
「一本だけ見ても分かりにくいね。木や葉の状態、周りの湿り方を見て、ほかと比べる。慣れている採取者は、その差を拾う」
フィンは、木の幹を指先で軽く示した。
「採る時は、幹に細い穴を開けて、管や栓を使って少しずつ集めるんだ」
その時、フィンの視線が横へ動いた。
「下がって」
声が変わった。
グレンとミロスが、すぐに動く。
さっきまで魔力を抑えようとしていた静かな姿勢が、護衛の動きへ戻った。
僕は後ろへ下がり、刀を抜く。
構えたというより、抜いただけに近い。
ラウガが前へ出る。
フィンが矢を放つ。
木々の間から近づいてきた小型魔獣は、こちらへ飛びかかる前に動きを止められた。
ラウガがそれを押さえ、フィンが次を警戒する。
「他は?」
「今のところ見えない」
フィンが答える。
短い戦闘だった。
それでも、胸の鼓動は速くなっている。
グレンは僕の位置を確かめ、ミロスは周囲へ目を向けたまま息を吐いた。
「抑えてるところから切り替えるのに、少し反応が遅れるっすね」
「ああ、俺もそれは感じた」
グレンが言う。
その後も、検証は続いた。
グレンとミロスは魔力を抑えることに集中している。
僕はフィンに教わりながら、採取に使われる木や、周囲の湿り方を見比べた。
森の中では、町にいる時より時間の流れが分かりにくい。
けれど、気づけば、最初に分かれた時よりもこの場所の空気に慣れていた。
その頃になって、ラウガが軽く息を吐いた。
疲れただけではないように見えた。
表情がいつもより険しい。
フィンも、さっきまでの軽口が減っている。
「ラウガさん、フィンさん」
「気にすんな。まだ動ける」
ラウガはそう言った。
けれど、声は少し低い。
フィンが首の後ろを押さえた。
「ちょっと頭が重いね。まあ、これが見たかったものの一つではあるんだけど」
見たかったもの。
魔力酔いの兆候。
強い冒険者でも、魔力の濃い場所に留まれば影響を受ける。
それは、ラウガやフィンが弱いからではない。
場所そのものが、人の身体へ干渉してくるのだと思う。
グレンとミロスは、まだ平気そうだった。
魔力を抑え続けるために集中はしている。
けれど、ラウガやフィンのように、明らかに顔色を変えているわけではない。
「……効果は、ありそうですね」
僕が言うと、グレンが頷いた。
「はい。ただ、どこまで頼れるかは、まだ分かりません」
「それでも、差は出ています」
ミロスが、少し息を整えながら言った。
「少なくとも、今はまだ動けるっす」
その言葉に、僕は頷いた。
その時、フィンが顔を上げた。
「待って」
フィンの目が、回収組が来るはずの方向とは違う方へ向いた。
「人が来る。回収組じゃない」
ラウガもそちらを見る。
ただ、さっきより反応が少し遅い。
枝が揺れた。
次に現れたのは、冒険者だった。
名前は知らない。
息を切らし、顔色が悪い。魔力酔いなのか、疲労なのか、怪我なのか、すぐには分からなかった。
「助け……近くに、採取の連中がいるって聞いて……!」
冒険者は木に手をつきながら言った。
「ダンジョンの近くで、魔物に襲われた。仲間が、まだ……!」
その言葉で、検証の空気が変わった。
ラウガが低く唸る。
フィンの表情から軽さが消えた。
「人数は」
グレンが聞く。
「俺を入れて六人だ。一人、気を失ってる」
「魔物は?」
「でかいのが一体。二メートルくらいある。緑の身体で、こん棒を持ってた。あとは、魔獣が二、三体……!」
冒険者の声は荒れていた。
走ってきた疲れだけではない。
思い出すだけで、息が詰まっているように見えた。
フィンが目を細める。
「その特徴なら、オーガの弱い個体かもしれない」
「弱い個体で、それかよ」
ミロスが小さく言った。
僕も同じことを思った。
弱い、という言葉と、二メートルの巨体がうまく結びつかない。
「ここに採取の依頼で入ってる冒険者がいるなら、助けを呼べるかもしれないって……!」
冒険者は、絞り出すように言った。
詳しい状況は、まだ分からない。
けれど、六人のうち一人が倒れ、残った仲間が魔物と戦っている。
それだけは分かった。
「行くぞ」
ラウガが踏み出しかけ、途中で表情を歪めた。
フィンが、その腕を軽く押さえる。
「ラウガ、今の状態で奥へ走るのは駄目。回収組に伝えないと、もっと悪くなる」
「ちっ」
ラウガは舌打ちしたが、言い返さなかった。
グレンとミロスが、短く視線を交わす。
「ミロス」
「分かってるっす」
二人は、もう助けに行くこと自体は決めているように見えた。
「ユキア様は、ここに残ってください」
グレンが言った。
分かっている。
僕は戦力としては低い。奥へ進めば、足手まといになる可能性もある。
それでも、ここに残って待つだけでいいのか。
倒れている人がいるなら、介抱くらいはできるかもしれない。
戦わなくても、できることはある。
「僕も行きます」
声は、思ったより静かに出た。
グレンの顔が硬くなる。
「ユキア様」
「戦うとは言っていません。倒れている人をこちらへ運ぶ手伝いくらいはできます」
「ですが」
「押し問答している暇はありません」
言ってから、自分でも驚くほど強い声になっていたことに気づいた。
でも、助けを呼ぶ声を聞いてしまった。
聞かなかったことにはできない。
グレンは一瞬だけ目を伏せた。
それから、小さく息を吐いた。
「……分かりました。ただし、私より前には出ないでください」
「はい」
「ミロス」
「了解っす。坊ちゃんの横につくっす」
フィンは、その冒険者から場所を聞き取ると、僕たちへ向き直った。
「回収組に伝えて向かわせる。まずは耐えることを考えて。倒すのは後でいい」
「分かりました」
僕は頷いた。
冒険者が、震える手で森の奥を示す。
「あっちだ」
「案内できるか」
グレンが聞く。
「行く。行ける」
冒険者はふらつきながらも、足を前へ出した。
僕は刀の鞘を押さえる。
重い。
けれど、その重さは、戦うためだけのものではない。
僕はグレンとミロスの間で、一歩を踏み出した。




