第53話 四男は森へ検証に向かう
マルタの工房で装備を合わせてから、数日。
東の森へ向かう日は、思っていたより早く来た。
朝の滞在部屋で、僕はリズに防具を着けてもらっていた。
革の匂いが近い。
リズの指が、肩口の紐を引き、身体に合う位置で防具を整えていく。
腰には、マルタの工房で購入した副刀がある。
重すぎるわけではない。
それでも、腰にあるだけで、町を歩く時とは違う緊張があった。
「窮屈なところはありませんか」
「うん。大丈夫」
腕を上げ、肩を回す。
防具が突っ張らないことを確かめると、リズは最後に腰回りを軽く押さえた。
部屋の反対側では、ティナがシリウスの装備を確認している。
シリウスは剣を腰に下げ、動きたそうにうずうずしている。
「シリウス様、確認中でございます。まだ動かないでください」
ティナの声は真面目だった。
ただ、すでに少し疲れている。
イリスはシリウスの横で、自分の剣を確認していた。
入口近くでは、グレンとミロスも装備を整えている。
「ユキア様」
「うん」
「……お気をつけください」
「大丈夫。みんながついてる」
リズは小さく頷いた。
安心したというより、その言葉を信じるしかないと決めた顔だった。
支度が終わると、僕たちは冒険者ギルドへ向かった。
◇
冒険者ギルドの奥の部屋には、ガレス、ベルガ、ラウガ、フィン、ミレアがそろっていた。
机の上には、森へ入る手順をまとめた書きつけと地図が置かれている。
今回は討伐ではない。本格的な調査でもない。
魔力の濃い場所で、魔力を抑えることが魔力酔いにどう影響するのかを見るための検証だ。
「大きく分けると、二組です」
ベルガが、地図の上に指を置いた。
「奥で検証する組と、一定時間後に迎えに行く組ですね」
ガレスは腕を組んだまま、黙って頷いている。
「まず、馬車で森の監視所まで移動します。そこから全員で森へ入り、この分岐まで進みます」
ベルガの指が、地図に引かれた細い線をなぞる。
「検証組は、ここから奥へ進みます」
指先が、分岐の先に付けられた印で止まった。
「検証組は、ラウガ、フィン、ユキア様、グレン殿、ミロス殿。魔力が濃い場所に一定時間留まり、グレン殿とミロス殿に魔力抑制を試してもらいます」
「戦闘中は、抑えなくていいんですよね」
ミロスが確認する。
「はい。魔獣が出た時に抑え続けて動きが鈍れば、本末転倒です。戦う時は通常どおり戦い、落ち着いてから再び抑制に戻してください」
グレンが静かに頷いた。
「承知しました」
「回収組は、ガレス、ミレア、シリウス様、イリス殿。一定時間が経過したら検証組を迎えに向かいます。予定より早く異常が出た場合、検証組はその時点で分岐まで戻ります」
シリウスが、少しだけ身を乗り出した。
「ぼくは、兄様と同じ組ではないのですか」
「シリウス」
僕が声をかけると、シリウスはすぐこちらを見た。
「検証組は、魔力の濃い場所に長くいることになる。シリウスがそこで魔力酔いになったら、僕を守る役目を果たせなくなるかもしれない」
「ぼくが、兄様を守れなくなる……」
「うん。だから、同じ場所にいることだけが守ることじゃないと思う。動ける場所にいて、僕たちが戻れなくなった時に迎えに来てくれる。それも、とても大事な役目だよ」
シリウスは真剣な顔で考え、それから両手を握った。
「分かりました。ぼくが迎えに行きます!」
「そのために、ガレスさん、ミレアさん、イリスの言うことを聞くこと」
「はい!」
話が落ち着いたところで、ガレスが腕を解いた。
「よし。話はまとまったな。なら行くか」
ガレスの声で、部屋の空気が動いた。
僕は腰の副刀へ手を触れ、すぐに離した。
まずは、決められた位置を守ることだ。
◇
馬車がドリスタの町を出ると、車輪の音が少しずつ変わっていった。
石の多い道から、土と草の匂いが混ざる道へ。
町の声が遠ざかり、風が木の葉を揺らす音が近づいてくる。
僕は膝の上の手を軽く握った。
東の森。
前に、一人で森の中に落ちた時のことを思い出す。
湿った土の匂い。葉が擦れる音。泥を踏む足音。小型魔獣の目。
あの時の怖さがなくなった、と言えば嘘になる。
でもあの時とは違うという自分への期待のほうが強い。
「ユキア様」
横からグレンの声がした。
「大丈夫ですか」
「うん。大丈夫。僕もグレンもあの時とは違いますよね」
「はい」
グレンは大きく頷いた。
それ以上は何も言わず、少し前へ視線を戻す。
「坊ちゃん、今日は俺がいるから大丈夫っすよ」
ミロスが軽く言った。
「グレンもいるからね。ミロスだけだと少し不安だけど」
「そりゃないっすよ」
ミロスが肩を落とすように言う。
グレンは前を向いたまま、わずかに息を吐いた。
笑ったのか、呆れたのかは分からない。
やがて馬車は、東の森の手前にある小さな監視所で止まった。
そこは、森へ入る者を確認し、森の様子を見るための場所だった。
大きな砦ではない。
広い建物でもない。
低い柵と、簡素な小屋。
馬車を止められるだけの空き地があり、森へ向かう人が一度足を止めるには十分な空間があった。
馬車を降りると、空気がひんやりしている。
町より湿っていて、草と土の匂いが濃い。
「ここからは無駄に騒ぐなよ」
ガレスが言う。
シリウスが勢いよく返事をしようとして、途中で口を閉じた。
それから、小さな声で答える。
「はい」
イリスがわずかに頷いた。
フィンが先に森の方へ進み、周囲を確かめる。
ラウガがその少し後ろに立つ。
僕は副刀の位置を確かめた。
グレンは僕の横へ立ち、ミロスは少し外側を取る。
シリウスの横にはイリスがいて、ガレスは全体を見られる位置に立っていた。
ミレアは、シリウスたちの少し後ろで荷物を確かめている。
全員がそろったことを確認してから、僕たちは森へ入った。
森の中は、思っていたより暗い。
枝が空を覆い、下草が道の端を隠している。
踏みしめる土は柔らかく、場所によっては靴が沈んだ。
フィンはほとんど音を立てずに進む。
時々、足を止めて耳を澄ませているようだった。
そろそろ分岐点に差しかかる、というところで、フィンが手を上げた。
「止まって」
声は小さい。
けれど、全員がすぐに止まった。
フィンの視線は、前方の木々の間へ向いている。
「右前。茂みの奥」
ラウガの肩がわずかに沈んだ。
ガレスも一歩前へ出る。
次の瞬間、草の奥から小型魔獣が飛び出した。
僕は副刀に手をかける。
けれど、抜くより先にグレンの腕が僕の前へ出た。
ミロスも外側へ回り、僕たちが下がれる位置を確保する。
弦の音がした。
フィンの矢が、小型魔獣の動きを乱す。
そこへラウガが踏み込み、ガレスが続いた。
大きな音はない。
ほんの短い間、草が激しく揺れ、すぐに静かになる。
「終わり」
フィンが弓を下ろした。
早い。
構えて、迷って、考える時間がほとんどない。
森で動く冒険者の反応は、訓練場で見る動きとは違っていた。
シリウスも、目を丸くしている。
「すごいです」
「すごいと思っても、勝手に飛び出すなよ」
ラウガが振り返らずに言った。
「はい」
シリウスは素直に頷いた。
その返事を聞いて、僕は肩の力を抜いた。
ほかに動くものがないことを確認してから、隊列を整え直し、さらに森の奥へ進む。
やがて、フィンが手元の地図と周囲を見比べた。
「そろそろ分岐だね」
視線の先には、木の幹に付けられた小さな印と、道の脇に積まれた石があった。
採取に入る人たちが、道を間違えないように残しているものらしい。
地図の上では小さな印だったものが、森の中では思ったより頼りになる。
ガレスが周囲を見て、短く頷いた。
「なら、回収組はここで待機だ。検証組は奥へ進む」
その言葉で、全員の空気が締まった。
検証組は、ラウガ、フィン、僕、グレン、ミロス。
回収組は、ガレス、ミレア、シリウス、イリス。
分かれて行動すると知っていたはずなのに、実際にここで別れるとなると、シリウスの表情が少し硬くなった。
「兄様」
「シリウス、迎えに来てね」
僕が先に言うと、シリウスは一度目を瞬かせた。
それから、力強く頷く。
「はい。必ず迎えに行きます」
「イリス、シリウスをお願いします」
「承知しました。シリウス様の安全は、私が確保します」
イリスが、シリウスの横で硬い声で答える。
ガレスは検証組へ視線を向けた。
「時間になったら迎えに行く。早めにまずいと思ったら戻れ。粘って倒れるのが一番面倒だ」
「分かりました」
グレンが答える。
僕たちは回収組と別れ、さらに奥へ進んだ。




