第51話 四男は冒険者に力を見せる
その日の午後、僕たちは警備の訓練場へ向かった。
訓練場の端では、リズ、ニコ、バウルが離れて立っている。
シリウスは、僕の力を冒険者が確かめるという話を聞いて、ついてくることになった。
ティナとイリスも付き添っている。
僕の近くには、グレンとミロスがいた。
二人とも普段どおりだが、視線は訓練場の入口へ向いている。
「おう、揃ってるな」
先に入ってきたのはガレスだった。
その後ろにベルガが続く。
さらに、ラウガ、フィン、ミレアが続く。
ラウガは、訓練場をぐるりと見回して、口の端を上げる。
「悪くねえ場所だな」
ラウガの視線が、僕へ向いた。
「坊主。昨日の話は聞いてる。お前を連れていけるかどうか、ここで見る」
「はい」
「気持ちを見るんじゃねえ。いざという時に自分で動けるかどうかだ」
「分かっています」
答えたつもりだった。
けれど、木剣を持つ手は、自分で思うほど落ち着いていなかった。
「まずは一発でいい。今のお前が出せるものを見せろ」
ラウガはそう言って、軽く構えた。
打ち込み用の的ではない。
受け止める相手がいる。
それだけで、木剣を握る手に少し力が入った。
「俺に当てるつもりで来い。避けはしねえ」
「はい」
僕は息を整え、木剣を腰の横へ低く据えた。
全身へ魔力を広げすぎない。
足へ。
腕へ。
必要な分だけ、一瞬。
「面白れえ。いい構えだ」
ラウガが口の端を上げる。
「来い」
その声が落ちた瞬間、僕は低く踏み込んだ。
足裏が地面を噛む。
腰が前へ出る。
木剣を抜くように振り出す。
乾いた音が、訓練場に響いた。
木剣が、ラウガの小手に受け止められる。
腕に反動が返ってきた。
手の中で、柄がわずかに跳ねる。
木剣を引こうとした瞬間、ラウガの足がすっと動いた。
「あ」
足首の外側を軽く払われる。
踏ん張る前に、身体の軸が崩れた。
背中から倒れるほどではない。
けれど、僕はその場に尻もちをついた。
訓練場の土が、手のひらにつく。
見上げると、ラウガが小手を軽く振っていた。
「一発はあるな」
ラウガが言った。
「当たりゃ、小型魔獣程度なら倒せる。前に森で生き残ったのも、まぐれだけじゃねえってことだ」
そこで、ラウガの目が細くなる。
「だが、当てた後が止まる」
僕は、土のついた手に目を落として、息を吐いた。
「……はい」
「戦力として前へ出すなら、心もとねえな」
グレンの表情が、わずかに硬くなる。
ミロスも軽口を挟まなかった。
ラウガは、僕からグレンたちへ視線を動かした。
「ただ、今回見てるのは、お前が魔獣を倒せるかじゃねえ。守られる場所にいて、指示を聞いて、勝手に走らず、いざという時に一度でも動けるかだ」
ラウガの視線が、もう一度僕へ戻る。
「護衛される側としてなら、合格だ」
「……ありがとうございます」
「勘違いするなよ。お前を自由に動かす許可じゃねえ。紐をつけて連れていけるかどうかの話だ」
「紐ですか」
「気持ちの上では、そのくらいだ」
フィンが横で小さく笑った。
「ラウガにしては、分かりやすい言い方だね」
「うるせえ」
空気が少しだけ緩む。
けれど、グレンの反対が消えたわけではないことは、立ち方で分かった。
「ラウガ殿の判断は受け止めます」
グレンが静かに言う。
「ですが、護衛配置と撤退時の流れは、別途確認させてください」
「それでいい」
ラウガは頷いた。
その時だった。
「待ってください!」
訓練場の端から、シリウスの声がした。
ティナが、はっとした顔でシリウスの袖へ手を伸ばす。
「シリウス様、お待ちください。今はお話の途中でございます」
「分かっています。でも、兄様だけが危ない場所へ行くのは、嫌です」
シリウスは一歩前へ出た。
イリスの目が細くなる。
「ぼくも行きます!」
「シリウス」
僕は木剣を下ろした。
「東の森は遊びじゃない。駄目だよ」
「遊びではありません。しさつです」
シリウスは、胸を張って言った。
最近覚えた言葉なのだろう。
言い方は少し背伸びしているのに、顔は真剣だった。
「兄様がしさつに行くなら、ぼくも行きます」
「そういうことじゃないよ」
「そういうことです」
珍しく、シリウスが引かなかった。
ティナは分かりやすく慌てていた。
「シリウス様、そのような予定はございません。まず、ユキア様と皆様のお話が終わってからでなければ……」
「ティナ、だからぼくは今、こうしょうをしています」
「その交渉内容が、あまりにも予定外でございます」
ティナの言い分は、間違っていないはずだ。
けれど、笑える空気ではなかった。
シリウスの視線は、まっすぐラウガへ向いている。
「ラウガさん」
「なんだ、坊主の弟か?」
「はい。ぼくも、実力を見せれば行けますか」
ガレスが、面白そうに笑った。
その瞬間、ベルガの視線が横から飛ぶ。
「ガレス」
「まだ何も言ってねえ」
「言う前に止めています」
ラウガは、しばらく黙ってシリウスへ視線を向けていた。
それから、にやりと笑う。
「いいだろう。見せてみろ」
「ラウガさん」
僕は思わず声を出した。
ラウガは、こちらへ顔を向けないまま言う。
「止めるかどうかは、見てからだ。口だけなら、その時点で同行はなしだ」
シリウスは、ぱっと顔を明るくした。
でも、すぐに表情を引き締める。
「はい!」
シリウスは、木剣を持った。
腕には、複数の属性魔石を留めた腕輪がある。
魔石を手元に固定し、魔法を扱いやすくするための補助具だ。
シリウスが息を吸う。
さっきまでの勢いは残っている。
けれど、足の置き方は思ったより安定していた。
ラウガが軽く顎を動かす。
「来い」
ラウガの声が落ちた瞬間、シリウスが片手を前へ出した。
小さな火の塊が、ラウガの顔の横へ飛ぶ。
ラウガは半歩だけ体をずらした。
その避けた先へ、シリウスが踏み込む。
木剣が振られた。
一撃。
続けて、もう一撃。
シリウスは受け止められると、すぐに後ろへ跳んだ。
細く絞った水の筋が、まっすぐ伸びる。
ラウガはそれを小手で受け流した。
水が弾け、訓練場の土に散る。
次の瞬間、足元の空気が揺れたように見えた。
シリウスの体が、ふっと前へ押し出される。
風で加速した踏み込み。
そこへ、木剣の振り下ろしが重なった。
ラウガは半身になって、それをかわす。
受けられれば引く。
距離を変える。
魔法を使う。
剣を振る。
僕とは、まったく違う動きだった。
シリウスが、一段深く踏み込んで木剣を振る。
その一撃を、ラウガが小手で受け止めた。
「少し返すぞ」
次の瞬間、ラウガの足が動いた。
胴を狙った、短い蹴りだった。
「っ!」
シリウスは腕で受ける。
受け止めた、というより、衝撃に合わせて後ろへ跳んだ。
足元で風が揺れる。
小さな体が後ろへ押し流されるように下がった。
ラウガは足を下ろす。
「ここまでだ」
シリウスはすぐに足を止めた。
息は多少上がっているが、目はまだ前を向いている。
「悪くねえ」
ラウガが言う。
「正面から殴り合うには軽い。押し切る力も足りねえ。だが、動きは悪くねえ」
シリウスの顔が、ぱっと明るくなる。
「武を重んじる貴族なだけあって、十分鍛えられているんじゃねえか」
シリウスは嬉しそうな顔で、僕へ向き直った。
「兄様、どうですか!」
「シリウス、強いのは分かったよ。でも、危ない場所へ行くこととは別だ」
「別ではありません」
シリウスは、首を横に振った。
「兄様だけが、危ない場所へ行くのは嫌です」
「僕は、戦いに行くわけじゃない」
「でも、危ないかもしれない場所です」
その通りだった。
だから、すぐに返せなかった。
シリウスは木剣を握ったまま、言葉を探すように唇を結ぶ。
いつもの勢いだけではない。
自分で考えて、どうにか言葉にしようとしている顔だった。
「兄様にできないことは、ぼくが全部できるようになります」
胸の奥が、ぎゅっと縮むような気がした。
「兄様は、兄様のやりたいことをしてください。ぼくは、兄様が見つけたものを守れるようになります」
「シリウス……」
弟に守られるようなことを言われるとは思わなかった。
嬉しい。
けれど、素直に喜んでいい言葉ではない。
シリウスを危険へ近づける理由にもなってしまうからだ。
イリスが一歩前へ出た。
「ユキア様」
「はい」
「シリウス様が前へ出すぎる場合は、私が止めます。護衛線を乱す動きは許しません」
硬い声だった。
でも、シリウスを否定する声ではない。
ラウガは、シリウスとイリスへ順に視線を向けた。
「なるほどな」
それから、僕へ視線を戻す。
「弟の方は、動きだけなら連れていける範囲だ」
「では……」
「条件付きだ」
ラウガの声が低くなる。
シリウスが背筋を伸ばした。
「俺たちの指示に従う。勝手に前へ出ない。兄を守ると言って、護衛線を乱さない。危険判断が出たら即撤退する。これを守れないなら、その場で帰す」
「守ります」
「返事だけなら誰でもできる」
「守ります!」
シリウスは、もう一度言った。
ラウガはしばらく黙ってから、鼻を鳴らす。
「よし。なら、連れていく方向で組める」
僕は、息を吐いた。
安心したのか、不安が増えたのか、自分でも分からない。
シリウスまで同行することになった。
その事実は重い。
けれど、シリウスが本気で、自分の役目を持とうとしていることも分かった。
「同行人数、警戒役、記録役、退避時の流れは整理が必要です」
ベルガが言った。
「鉱山管理側との確認も含め、出発前にまとめます」
「細けえところは任せた」
「任される前から、そのつもりです」
ガレスは笑った。
その後、訓練場では、軽い意識合わせが行われた。
冒険者と護衛が、互いの力量を確かめる。
魔力を抑えた状態での動きも見る。
冒険者の位置取り。
護衛の位置取り。
誰がどこに立てば、互いの邪魔にならないのか。
それを探っているようだった。
訓練が終わる頃、訓練場の端では、リズがミレアに、ニコがフィンに、バウルがラウガに、それぞれ何かを尋ねていた。
声までは届かない。
けれど、三人ともただ見ているだけではなかった。
リズはリズなりに。
ニコはニコなりに。
バウルはバウルなりに。
自分が立てる場所を探しているように見えた。
東の森は、まだ怖い。
魔力酔いのことも、魔獣のことも、分からないままだ。
それでも、準備は少しずつ形になっている。
僕は訓練場の冷えた空気を吸い込み、静かに息を吐いた。




