第50話 四男はバウルの道を考える
オスカーが机の上へ、数日分の書きつけを広げた。
紙は、同じ大きさにそろえられている。
端には日付と確認した魔石の種類が書かれ、横には起動確認の結果や、バウルが口にした匂いの言葉が短く添えられていた。
僕は椅子に座ったまま、その並びを目で追う。
「バウルは、良し悪しを判断しているわけではありません」
オスカーは、紙の端を押さえながら言った。
「本人が拾っているのは、あくまで匂いの違いです。標準品と、記録上で動作のよいもの、動作の悪いもの。それぞれで、言葉の傾向に差があります」
「つまり、バウルが言った匂いと、品質の良し悪しを結びつけるには、まだ記録が足りないということですね」
「はい。そこを誤ると危険です」
オスカーは、すぐに頷いた。
その声に、いつもの数字と記録を重んじる硬さが戻っている。
「匂いの違いは、検査記録や起動確認の結果と照らし合わせて初めて意味を持ちます。バウル自身が、この魔石は良い、この工程に問題がある、と判断できるわけではありません」
部屋の隅で、バウルの肩がびくりと揺れた。
隣にはニコが立っている。
バウルは両手を前で握り、足先をそろえようとして、そろえきれずにいる。動きたいのを我慢しているようにも見えた。
「僕、間違えたものもあります」
バウルは小さく言った。
「はい。それも記録しています」
オスカーは淡々と返す。
責めている声ではなかった。
「ただ、記録と照らし合わせる限り、見過ごすには惜しい傾向が出ています。少なくとも、鉱山作業へ戻して終わりにするより、一定期間、記録補助や確認補助として置く価値はあるでしょう」
バウルが顔を上げた。
その目には、驚きと不安が混ざっている。
鉱山へ戻されるだけではないと言われても、すぐに喜べないのだろう。
エーベルトは、机の反対側で困ったように眉を下げていた。
「価値がある、という判断は分かります。……ただ、扱いを変えるなら、先に作業側との調整が必要です」
エーベルトは、紙の端を指で押さえた。
「はい」
僕は頷いた。
「そのうえで、お願いがあります」
エーベルトとオスカーの視線が、こちらへ向く。
「バウルを、僕の下に置いてほしいです」
バウルも、ニコの横で息を止めたように固まった。
言ってから、僕はすぐに続ける。
「すでに、父様には、そうしたいと相談はしています。ただ、ドリスタ側の記録や作業の整理も必要だと思いますので、改めて確認を取ります」
理由は、細かく並べなかった。
頭の中にあるものをここで全部説明すると、バウル自身の前で、彼を評価する言葉ばかりが積み上がってしまう気がした。
まだ決まっていないものを、決まったもののように見せたくない。
「ユキア様の下、ですか」
オスカーは、机の上の記録へもう一度目を落とした。
「作業側との調整は必要になりますが……具体的には、どのような形をお考えですか」
「風の試験設備や魔石の確認については、オスカーさんに担当してもらう方がいいと思います。バウルの匂いは、記録と照らし合わせてこそ意味がありますから」
僕は、広げられた書きつけへ視線を落とした。
「ただ、時間を区切ってもらいたいです」
オスカーは、黙って続きを待っている。
「僕の下につけてもらったうえで、時間を分けて、オスカーさんの確認にも入ってもらう形にできませんか」
「……なるほど」
オスカーは小さく頷いた。
「分かりました。風の試験設備や魔石の確認については、こちらで時間を調整します」
そこで、エーベルトが眉を下げたまま口を開いた。
「では、通常の鉱山作業からは一時的に外し、ユキア様の補佐につける。そのうえで、時間を分けて管理側の確認にも当たらせる形で、作業側と調整します」
「お願いします」
僕は頭を下げた。
細かな日程や、明日からの動きは、エーベルトとオスカーが改めて整えることになった。
バウルは、その間もニコの横で静かに立っていた。
部屋を出る時も、廊下を歩いている時も、何かを聞きたそうにしている。
けれど、結局、滞在部屋へ戻るまで口を開かなかった。
部屋へ戻ってからも、バウルはしばらく黙っていた。
ニコの横に立ち、手を前で揃えたまま、僕の方を見てはすぐに視線を落とす。
何かを聞きたいのに、聞いていいのか分からない。
そんな様子だった。
「バウル」
「はいっ」
返事だけは早かった。
けれど、声は少し硬い。
「さっきの話だけど、決まったわけではないよ」
僕がそう言うと、バウルの肩がわずかに下がった。
「でも、戻して終わりにするつもりもない」
バウルが顔を上げる。
「オスカーさんのところでは、風の試験設備や魔石の確認で、君の匂いと記録を照らし合わせてもらう」
「……はい」
「でも、それだけじゃない。僕の下では、ニコの手伝いもしてもらうし、身体づくりと、魔力を抑える練習もする」
バウルは、少しだけ目を瞬かせた。
「身体づくり、ですか」
「うん」
僕は頷いた。
「匂いに敏い獣人は、魔獣の魔力の匂いも拾いやすいと聞いたことがある。……これは、間違っているかな」
バウルは少し迷ってから、首を横に振った。
「間違い、ではないと思います。魔獣は、普通の獣とは違う匂いがします。近くにいると、鼻の奥に残るような……嫌な感じがします」
「それを、落ち着いて扱えるようになってほしい」
僕は、バウルを見た。
「危ないものに気づいた時、逃げるのか、知らせるのか、近づかないのかを選べるようにする。その鼻は、魔石の確認だけじゃなくて、誰かを守るためにも使えるかもしれない」
バウルの耳が、ぴくりと動いた。
「だから、君には、いつか僕の家兵になってほしいと思っている」
「……家兵、ですか」
小さな声だった。
けれど、その目だけは、さっきまでと違っていた。
驚きの奥に、隠しきれない光がある。
「ただ、今すぐ決められることじゃない。父様にも、家にも、確認しなければならないことがある。それに、君がどう思うかもある」
僕の下につけるには、理由が必要だ。
助けたいという気持ちだけでは、父は動かない。
バウルの匂いが記録と結びつき、役に立つと示せなければならない。
でも、それをそのまま言えば、バウルを追い詰めるだけだ。
「だから、まずは記録を残そう」
僕は、できるだけゆっくり言った。
「君の匂いが、どういう場面で役に立つのか。魔石の確認で何を拾えるのか。それを、オスカーさんと一緒に確かめる」
「はい」
「それから、身体づくりと、魔力を抑える練習も続ける。家兵になるなら、匂いが分かるだけでは足りないから」
バウルは、ぎゅっと両手を握った。
「僕が……ユキア様の、家兵に」
「うん」
僕は頷いた。
「そうなってほしい」
バウルは、しばらく僕を見ていた。
それから、勢いよく頭を下げる。
「はい。やります。僕、やりたいです!」
顔を上げたバウルの目には、まだ戸惑いが残っていた。
けれど、その奥に小さな光が浮かんでいる。
きちんと立とうとしたのか、バウルは背筋を伸ばした。
それでも、後ろのしっぽだけが、落ち着きなく左右に揺れていた。




