第42話 四男は再び鉱山町に入る
前回と同じ街道を、僕たちは無理なく進んでいった。
大きな遅れもなく、夕方にはカドベ村へ入り、翌朝、また東へ向かった。
道中は、前よりずっと賑やかだった。
シリウスは何度も僕の方を気にしていたけれど、そのたびにティナとイリスが動いてくれた。
僕が声をかける前に、誰かが先に気づいている。
そのことが、心強かった。
やがて、道の先に見覚えのある山沿いの町が見えてきた。
ドリスタの入口が近づくにつれて、道の音は増えていった。
前回来た時は、雨の匂いが強かった。
今日は雨ではない。
雲は多いけれど、道は前より乾いている。
山沿いに並ぶ建物の間からは、荷車の軋む音と、人の声が混じって聞こえていた。
ルリカンテの背から見るドリスタは、前より近い。
視界が高いからではないと思う。
僕が、ここで何を見たのかを知っているからだ。
「ユキア様、入口付近で一度速度を落とします」
グレンが馬車と僕の間に視線を配りながら言った。
「分かりました」
「人の流れがあります。ルリカンテの様子次第では、到着前に降りていただきます」
「はい」
町へ近づくほど、グレンの言葉は短くなる。
その分、目は忙しく動いていた。
町の入口に入ると、すれ違う人たちの視線が集まった。
領主家の子息が戻ってきたこと。
前より人数が多いこと。
馬車だけでなく、フォルフに乗った僕がいること。
たぶん、見られる理由は一つではない。
後ろの馬車へ視線を向けると、窓越しにシリウスがこちらを見ていた。
町の人たちの視線に気づいたのか、シリウスはぱっと表情を明るくし、窓の内側から手を振る。
それを見た荷運びの男が、少し驚いた顔をした。
隣にいた女性が、小さく会釈を返す。
シリウスは嬉しそうに笑っていた。
すぐそばでティナが何かを告げたのか、シリウスは一度頷き、今度は控えめに手を振った。
前回のような一方的な警戒だけではない気がする。
でも、完全に柔らかい視線でもない。
働いている人たちにとって、領主家の子どもが来ることは、歓迎だけでは済まないのだと思う。
……こういう時、シリウスの明るさはありがたいかもしれない。
僕は背筋を伸ばし、ルリカンテの歩みに合わせて息を整えた。
◇
滞在場所の前では、エーベルトとオスカーが待っていた。
その後ろに、見覚えのない女性が控えている。
馬車が止まり、グレンが周囲を確認する。
それから、僕はルリカンテの背から降りた。
足が地面につくと、ルリカンテが僕へ鼻先を寄せてくる。
「ありがとう。ここまでよく歩いてくれたね」
首筋を撫でると、ルリカンテは得意げに鼻を鳴らした。
ルリカンテは、オットーに連れられ、町側の案内で厩舎の方へ向かった。
途中で一度だけこちらを振り返る。
「後で様子を見に行くよ」
「バウ」
短い返事のような声がして、ルリカンテはまた歩き出した。
「ユキア様、ご無事のご到着、何よりでございます」
エーベルトが深く頭を下げる。
相変わらず声は少し弱い。
けれど、前に初めて会った時のような、ただ怯えたような硬さとは違っていた。
「エーベルトさん、またお世話になります」
「いえ、こちらこそ。今回は前回より人数も増えておりますので、受け入れの準備は先に進めております」
馬車から降りたシリウスは、すぐにこちらへ来ようとして、エーベルトたちの前だと思い出したように足を止めた。
「シリウス・ヴァンハルトです。短い間ですが、よろしくお願いします!」
元気な挨拶に、エーベルトの目が一瞬だけ揺れた。
シリウスの勢いに驚いたのかもしれない。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。シリウス様」
エーベルトが頭を下げる。
その後ろで、女性がシリウスを見て、ほんのわずかに目元を柔らかくしたように見えた。
でも、それは一瞬だけだった。
「ユキア様、シリウス様。ご挨拶が遅れました。鉱山代官補佐のイルマでございます」
「イルマさんですね。よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
イルマは丁寧に礼を取った。
声は柔らかい。
ただ、動きに無駄がない。
前に来た時、エーベルトの近くにこの人はいなかったはずだ。
そう思ったのが顔に出たのか、エーベルトが少しだけ困ったように笑った。
「前回は、イルマが不在でして。補佐が戻った分、こちらも動きやすくなっております」
「一時的に職を離れておりましたが、現在は戻っております」
エーベルトは頷き、手元の書類に目を落とした。
「ユキア様。明日は、前回の風の試作をもとにした試験設備を確認する段取りで進めたいと考えております」
「はい。まずは現状を確認したいです」
マルタの工房裏で、弱く不安定ながら風が出た日のことを思い出す。
あの時、僕が出したのは、前世で知っていたトロンプという仕組みの、うろ覚えの説明だけだった。
実際に形にしたのは、マルタ、ブルーノ、グスタフ、エッダたちで、そこにオスカーの確認が入っていた。
「その試作は、数か月のあいだ改良を進めております」
そこでエーベルトは、一度言葉を切った。
「現在は、鉱山側で管理する試験設備として扱っています。もちろん、完成したものではありません。実用化できたと申し上げる段階でもありません」
その言葉に、僕も胸の中で息を吐いた。
期待しすぎてはいけない。
でも、続きを見られるのは、やはり嬉しい。
「工房だけで進めているわけではないんですね」
オスカーが補足する。
「はい。製作と調整はマルタさんの工房が主に担当しています。稼働記録、立ち入り管理、安全確認は鉱山側です」
エーベルトは小さく頷いた。
「場所は、加工区画の外れです。鉱山側で管理しておりますので、明日はオスカーの案内で向かっていただきます。」
「分かりました。よろしくお願いします」
オスカーは静かに一礼した。
僕が渡した入口が、現場の人たちの手で形を持ち、ドリスタの仕事の一部になりつつある。
それは嬉しい。
同時に、勝手に喜ぶだけではいけないものでもあった。
◇
その夜、滞在部屋では荷物の整理がようやく落ち着いていた。
リズは、翌日に使う書きつけを机の端にまとめている。
前回の報告書の控え、今回の予定、持ち出す小物。
すぐ使うものと、部屋に置いていくものを分ける手つきは、前より迷いがない。
「ユキア様、明日お持ちする書きつけはこちらです」
「ありがとう。助かるよ」
「はい」
リズは短く返事をして、また手元へ目を落とした。
目立つ動きではない。
でも、必要なものを先に整えてくれている。
そういう支え方が、前よりずっと自然になっている。
隣の部屋からは、シリウスの声が聞こえる。
「ティナ、明日は風を作るところへ行くのですよね」
「はい。見学予定には入っております。ただし、実際に近くで見られるかは、明日の確認後でございます」
「分かっています。でも、楽しみです」
「はい」
ティナの返事は、ほんの少し柔らかかった。
「それも、書いておいてください」
「予定表には書けませんが、確認事項の端に残しておきます。シリウス様が楽しみにされていることは、忘れないようにいたします」
「はい!」
シリウスの返事が弾む。
ティナも、なかなか大変そうだ。
けれど、今の声には、困りながらも付き合おうとしている響きがあった。
前回のドリスタは、知らないことばかりの町だった。
今回は、続きを見に来た町だ。
ただ眺めて帰るだけでは終わらない。
そう思えることが、前回との一番大きな違いなのかもしれない。




