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ずれた四男の異世界暮らし ~僕の当たり前は、魔力社会の盲点でした~  作者: ただのゆきや
第2章 魔石鉱山町ドリスタ

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第38話 四男は家族の声に帰り着く

 ドリスタを離れる日の朝、滞在場所の部屋には、帰り支度の荷物が並んでいた。


 荷物そのものが増えたわけではない。

 来た時と同じ馬車に積めば、問題なく運べる量だ。


 それなのに、部屋の中にあるものが、どれも前より重く見える。


「ユキア様、こちらは他の荷物と分けておきます」


 ニコが、報告書の下書きを布の上に置き、端を揃える。

 紐の緩みを確かめる手つきは丁寧で、力を入れすぎて紙を折ることもなかった。


「うん。ありがとう」


 報告書は、まだ完成していない。

 ドリスタ側の記録と照らし合わせ、明らかな食い違いは直してもらった。


 それでも、父へ出すには、まだ僕の言葉で整理し直す必要がある。


 全部をそのまま持ち帰ることはできない。

 だから、この紙束が必要になる。


 僕は机の上を見回し、忘れ物がないことを確かめてから、部屋を出た。


 滞在場所の前では、すでに出発の準備が整っていた。


 グレンとミロスが馬車のそばで確認を進めている。

 荷の固定、周囲の確認、道順。

 声は低く、必要なことだけを短く交わしているようだった。


 僕が近づくと、グレンがこちらへ向き直る。


「ユキア様。馬車周りの確認は終わっています。現時点で問題はありません」


「分かった。ありがとう」


 馬のそばでは、御者のオットーが手綱の具合を確かめていた。

 往路でも馬車を任せていた御者だ。


「オットーさん、帰りもよろしくお願いします」


 僕が声をかけると、オットーは驚いたように目を上げ、それから丁寧に頭を下げた。


「はい。無事にお戻りいただけるよう、務めます」


「お願いします」


 短く返して馬車へ向かうと、その近くにエーベルトとオスカーが立っているのに気づいた。

 少し離れたところには、マルタとエッダの姿もある。


 町は朝の仕事を始めていた。

 通りのあちこちから、荷を動かす音や人の声が聞こえてくる。

 来た時には、どれも遠く感じた音だった。


「ユキア様。お帰りの支度は、整われましたでしょうか」


 エーベルトは丁寧に頭を下げた。

 困ったような顔はいつも通りだったけれど、今日はどこか、肩の力が抜けているようにも見えた。


「はい。滞在中はお世話になりました」


「いえ、こちらこそ……その、無事にお帰りいただけることが何よりです」


 最後の言葉は、本音らしく聞こえた。


 ドリスタ側からすれば、領主家の子息が滞在中に事故に遭ったのだ。

 胃に悪い日々だったに違いない。


 オスカーが、隣で静かに頭を下げる。


「オスカーさん、下書きを見ていただいて、助かりました。ありがとうございました」


「確認しただけです。報告として役に立つ形になれば幸いです」


 淡々とした言い方だった。

 けれど、その言葉を聞いて、胸の奥がわずかに落ち着いた。


 オスカーが口を閉じると、マルタが腕を組んだまま口元を緩めた。


「ドリスタ滞在、ご苦労さん。あの風の試作は、こっちで預かっとくよ」


「ありがとうございます。どうなるのか、気になっています」


「気にするのはいいさ。ただ、期待しすぎるんじゃないよ」


「はい。そこは分けて考えます」


「ならいい」


 マルタは満足そうに頷いた。


 エッダが、その横から小さく手を振る。


「ユキア様、ニコさん。また来ることがあったら、工房にも寄ってくださいね」


「うん。機会があれば、ぜひ」


 ニコは一瞬、自分も呼ばれたことに驚いた顔をした。

 それから慌てて頭を下げる。


「ぼ、僕も、機会があれば」


 エッダは笑って、もう一度手を振った。


 また来ることがあったら。


 その言葉は、約束ではない。

 僕が望めば叶うものでもない。


 それでも、行く前にはなかった言葉だった。


 この場にいない人たちの顔も、ふと頭に浮かぶ。


 全員に挨拶できたわけではない。

 それでも、僕が持ち帰る紙束の中には、たしかにその人たちの仕事が入っている。


 僕はもう一度、ドリスタの町を見た。


 石畳の上を、荷車がゆっくり進んでいく。

 荷物を運ぶ人たちの足音が続き、通りの端では、仕事へ向かう人たちがこちらを見ていた。


 その視線が、すべて柔らかくなったわけではない。

 領主家の子息を見る慎重さは、今も残っている。


 ふと、離れた店先に、一組の母子がいることに気づいた。

 母親の後ろから、子どもがじっとこちらを見ている。


 僕は少し迷ってから、小さく手を振った。


 子どもは、手を振り返してくれた。

 母親もそれを見て、僕へ軽く頭を下げる。


 僕も、小さく会釈を返した。


 ただ、それだけだった。


 町に受け入れられた、なんて大きな話ではない。

 でも、その視線は、ただ警戒しているだけには見えなかった。


 隣でリズが、ほんの少し表情を緩める。

 ニコも、何かを言いかけて、結局黙って頭を下げた。


「ユキア様、そろそろ」


 グレンに促され、僕は頷いた。


「うん」


 僕は馬車へ乗り込んだ。


 ほどなくして、馬車が動き出す。


 車輪の音が石畳の上で硬く響く。

 町の外へ近づくにつれて、揺れは土の道を踏む低いものへ変わっていった。


 窓の外で、ドリスタの町並みが後ろへ流れた。

 荷車の音も、工房の気配も、魔石を運ぶ足音も、ゆっくり遠ざかっていく。


 来た時の僕は、ただ魔石について知りたいと思っていた。


 けれど今は、それだけではなくなっている。


 魔石に関わる人たちがいる。

 その中には、まだうまく役目を見つけられていない人もいる。

 僕が見落としたくないこともある。


 僕に何ができるのかは、まだ分からない。


 それでも、少しでも力になれることがあるなら、もう一度この町を見てみたいと思った。


「父様へ報告する時、可能なら、今後もドリスタへ行けないか相談してみようと思う」


 口にしてから、僕は少しだけ息を吐いた。


「許されるかは分からないけど」


「……はい」


 リズは、すぐに励ますようなことは言わなかった。

 ただ、静かに頷く。


 その静けさに助けられながら、僕は馬車の揺れに身を預けた。


 帰りは、行きと同じように馬を休ませながら進んだ。


 道を確かめ、必要なところで速度を落とす。

 カドベ村で一泊し、また馬車に揺られる。


 たった一カ月ほど前に通った道なのに、窓の外の景色は、どこか懐かしく見えた。


 あの時は、ただドリスタへ向かうだけで胸が落ち着かなかった。

 今は、持ち帰るものの重さで、別の意味で落ち着かない。


 細かな揺れと、車輪の音。

 外を警戒する家兵たちの気配。


 その中で、馬車は少しずつヴェルステインへ近づいていった。


          ◇


 ヴァンハルト邸の門が見えた時、僕は思っていたより深く息を吐いていた。


 整えられた道。

 門の前で動く使用人たち。

 ゆっくり止まる馬車の音。


 長く離れていたわけではない。

 それでも、戻ってきたのだと分かるだけで、肩から力が抜けた。


 リズは馬車を降りる前に、服装の乱れを直した。

 ニコも荷物を抱え直し、従者見習いとしての顔に戻る。

 グレンとミロスは、屋敷側の動きに合わせて姿勢を正した。


 外を見ると、屋敷の入口に母の姿が見えた。


 その隣に、ヨハン。

 そして、今にも駆け出しそうなシリウス。


 僕が馬車を降りた瞬間、シリウスがこちらへ駆け出してきた。


「兄様!」


「シリウス」


「兄様、川に落ちたって本当ですか! 怪我をしたって聞きました! 魔獣も出たって、本当なんですか! 左腕は、もう痛くないんですか!」


「シリウス、落ち着いて」


「落ち着けません!」


 即答だった。


 思わず困ってしまう。

 僕の袖をつかむ手には、震えを抑えるように力がこもっているだけで、乱暴ではなかった。


「大丈夫。ほら、僕は無事だよ。聞きたいことは、あとで話すから」


「本当ですか?」


「本当」


「全部ですか?」


「……全部は、少しずつかな」


 シリウスはまだ納得しきれていない顔だったけれど、ようやく息を吐いた。


 それでも、質問は止まらなかった。


 僕はその勢いを受け止めながら、母とヨハンの方へ歩いた。


 母は穏やかに立っていた。

 けれど、その目は僕の顔色や左腕の様子を静かに確かめている。


「母様、ただいま戻りました」


「お帰りなさい。よく戻りましたね」


 母はそう言って、僕の肩へそっと手を添えた。

 強く抱き寄せるのではなく、無理をしていないか確かめるような触れ方だった。


「疲れていませんか」


「少しだけ。でも、帰り道は無理なく進めました」


「そう。帰ってきたばかりなのですもの。話は、落ち着いてからでいいのよ」


 その言葉に、胸の奥がほっと緩む。


 ヨハンが、母の横から静かに声をかけた。


「無事でよかった、ユキア。大変な滞在だったと聞いている」


「ヨハン兄様。ご心配をおかけしました」


「心配するのは当然だ。……少し見ない間に、顔つきが変わったな」


「そう、でしょうか」


 その横で、シリウスがまだ僕を見上げている。


「……兄様、本当に大丈夫なんですよね?」


「うん。大丈夫だよ」


「本当に?」


「本当に」


 シリウスはもう一度、僕の顔を確かめるように見た。

 それから、ようやく小さくうなずく。


「……お帰りなさい、ユキア兄様」


 その声には、騒がしさの奥に隠れていた安堵がにじんでいた。


 僕は困りながらも笑ってしまう。


 ドリスタで見たものは、まだ整理しきれていない。

 報告書も、これから父へ出せる形に整えなければならない。

 父へ何をどう話すかも、まだ考えなければいけない。


 それでも今、目の前には、僕の帰りを待ってくれていた家族がいる。


 母が静かに微笑む。

 ヨハンも、シリウスも、僕を見ている。


 屋敷の空気が、ゆっくりと身体を包む。


 ドリスタで得たものを抱えたまま、僕はようやく家へ帰ってきた。


「ただいま」


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