第36話 四男は工房で風を試す
翌日、僕たちは再びマルタの工房を訪ねた。
今回は、見学というより相談に近い。
オスカーも同行している。
僕の実地教育に関わる話なので、何を相談し、何を試したのかを記録に残す必要がある、ということらしい。
「昨日の風の話かい」
マルタは、作業台の上を片づけながら言った。
「はい。正確な形は覚えていません。使えるかどうかも分かりません。ただ、風を起こすというより、水に空気を運ばせる仕組みがあった気がします」
「水に、空気を?」
エッダが素直に聞き返す。
僕は、昨日書いた図を見せた。
「たぶん、上から水を落とします。その途中で空気を巻き込ませます。下に箱か壺のようなものを置いて、そこで水と空気を分ける。溜まった空気を、別の管から逃がせば、風として出せるかもしれません」
説明しながら、自分でも不安になる。
本当にこれで合っているのだろうか。
下の箱は密閉が必要だった気がする。
水は下から逃がし、空気は上へ逃がす。
でも、細かいところは曖昧だ。
「詳しい形は覚えていません。使える風になるかどうかも分かりません。試すことはできないでしょうか」
マルタは僕の図を見たまま、しばらく黙っていた。
「ブルーノ、ちょっと見ておくれ。爺さんも」
マルタが声をかけると、奥からがっしりしたドワーフの男が顔を出した。
椅子に腰かけていた年老いたドワーフも、ゆっくりと立ち上がる。
ブルーノは、いつの間にか横に来ていた。
グスタフも、僕の頼りない図を横から覗き込んでいた。
「風を起こす道具じゃなくて、空気を押し込む仕組みか」
ブルーノが呟く。
「落ちる水が空気を連れていく、ということかい」
マルタの目が、何かを測るように細くなった。
「たぶん、そうです」
マルタは立ち上がった。
「ブルーノ、細い管と太い管。あと、蓋のできる壺か箱。水を受ける桶もいるね」
「すぐ使えそうなのは、裏の古い水桶と、割れてない壺が一つだな。管は継ぎ目が甘いが、試すだけなら足りる」
ブルーノは、すでに棚の方へ歩き出していた。
エッダは布と水桶を用意しながら、僕の描いた図をちらちら見ている。
「これ、本当に水で風が出るんですか」
「出るかもしれない、かな」
そう言うと、エッダは楽しそうに頷いた。
リズは僕のそばで、心配そうに様子を見ている。
ニコは、水桶を運ぼうとするエッダを手伝いに行った。
僕が一人で何かを作るわけではない。
むしろ、僕は何も作れない。
それでも、職人たちが動き始めると、工房の空気が少しずつ熱を帯びていくのが分かった。
◇
試作は、工房の裏手で行うことになった。
そこには水を流せる溝があり、床も石で固められている。
工房の中よりは、失敗しても被害が少なそうだった。
もちろん、僕が装置を作るわけではない。
僕は板を持ち、管の配置と水の流れを説明する。
それを聞いたブルーノが、使えそうな管と箱を選び、工房の者に支えさせる。
マルタは、風が出た時にどう確認するかを考えている。
エッダは、水桶と布を抱えて行ったり来たりしている。
「上から水を落とします。その途中で、空気が一緒に引き込まれるはずです」
「空気を入れる隙間が必要だな」
ブルーノが管の途中を指で叩く。
「ここを全部塞いだら、水だけが落ちる。空気を引っ張るなら、入り口がいる」
最初の水は、ただ箱へ落ちただけだった。
管の先からは、何も出ない。
水音だけが大きく響き、エッダが布を持って慌てて足元を拭いた。
「出ませんね」
ニコが小さく言う。
「出ないね」
僕も頷く。
正直、少し恥ずかしい。
けれど、ブルーノはすぐに管を外した。
「空気が足りない。水だけ落ちている。ここを開ける」
「開けるなら、水が跳ねる」
グスタフが、管の下を指で示した。
「布を敷け。箱はもう少し奥だ。水が逃げる道を残しておかんと、足元が使えなくなる」
「はい」
エッダがすぐに布を増やし、ニコも桶の位置をずらすのを手伝った。
二度目も、風は出なかった。
ただ、管の中でぼこぼこと変な音がした。
マルタの目が、少し鋭くなる。
「今の、空気を噛んだね」
「水が空気を巻き込んだ音でしょうか」
「たぶん、そうだ。ブルーノ、下の箱が浅い。水と空気が分かれる前に、空気が逃げている」
「なら、壺を使う。上から落として、水は下へ逃がす。空気は上の横から抜く」
工房の裏手は、急ににぎやかになっていた。
誰かが管を押さえ、誰かが水を運び、誰かが布を敷く。
マルタとブルーノは、遠慮なく言い合いながら位置を直していく。
僕はその中心にいない。
でも、それでいいのだと思った。
僕の頭の中にあった曖昧な仕組みが、職人たちの手で、少しずつ形になっていく。
三度目、水が管を伝って壺の中へ落ちた。
ぼこぼこと音がする。
壺の上の方につないだ細い管の先に、エッダが手を近づけた。
「……あ」
エッダが目を丸くする。
「出てます。弱いですけど、風が出てます」
僕は、管の先で揺れる小さな布切れを見た。
ふるふると、頼りなく震えている。
強い風ではない。
風属性魔石の加工に使えるようなものでもない。
それでも、たしかに空気は押し出されていた。
「……本当に出た」
ニコが呟いた。
「弱いですね」
僕が言うと、マルタが笑った。
「弱くても、出たことが大事なんだよ」
ブルーノは管の先に手をかざし、何度か角度を変えた。
「上に空気が溜まる場所を作れば、もっと出るかもしれない」
「箱が小さい。管の内側も荒い。水の落ち方も乱れている」
グスタフが低く言った。
ただの不満ではなかった。
その指は、壺の口、管の継ぎ目、水がぶつかる場所を順に示している。
「次は、箱を深くしろ。水は下へ逃がして、空気は上で受ける。管は曲げるな。継ぎ目で逃げる」
「……相変わらず、直すところを見つけるのが早いね」
マルタはそう言いながらも、管の先の風をじっと見ていた。
その表情は、昨日、魔石を選り分けていた時に似ていた。
何かを見つけようとしている目だ。
けれど、試作の風はすぐに止まった。
水を流す量が安定せず、管の中に水が残り、途中で音が変わってしまったからだ。
それでも、何度か流し直すと、弱い風は出た。
出ない時もあった。
強さも向きも安定しない。
だからこそ、書きつけを持ったオスカーの手は忙しく動いていた。
「風が出た条件と、出なかった条件を分けます。水量、管の角度、壺の深さ、空気の逃げ道……現時点では、確認することが多すぎますね」
「最初なんだから、多くて当然だよ」
マルタが管の先に手をかざす。
「風は出た。けど、このままじゃ水っぽいね」
「水の性質が混ざりますか」
「混ざるかもしれない。少なくとも、上物を狙える風じゃない」
マルタは、濡れた管の内側を見て言った。
「風量も弱い。加工に使うには足りない。水滴を取り除く箱がいる。風をためる箱もいる。乾いた管も必要だね。粉が入るのも避けたい」
「箱を増やして、水を抜く場所を作れば変わるかもしれない」
ブルーノが板に新しい線を描き込む。
「水と空気を分ける箱。その後に、風だけを送る箱。管はもっと滑らかにしたい。継ぎ目も減らす」
「風が出たのに、すぐには使えないんですね」
「そうだね」
マルタはエッダへ向き直る。
「出ることと、仕事に使えることは違う。風属性魔石に使うなら、風の質を見なきゃならない。湿りすぎていたら水が混じる。弱すぎたら定着しない。乱れすぎたら付き方が偏る」
「では、まだ使えませんね」
僕が言うと、マルタはこちらを見た。
「まだ、だよ。考える価値はある」
その言葉に、僕は胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
成功した、というほどではない。
何かを作り上げたわけでもない。
でも、ただの思いつきが、試す価値のあるものになった。
それは、僕一人では絶対にできなかったことだ。
マルタが魔石の側から見た。
ブルーノが道具の側から見た。
グスタフが次に直す場所を示した。
エッダが手を動かし、オスカーが記録を取った。
それぞれの役割があって、ようやく弱い風が出た。
魔石が町を巡るのと同じだ。
ひとつの結果には、いくつもの仕事がつながっている。
試作を終える頃には、工房の裏手は水と布と管で少し散らかっていた。
ブルーノは、板に新しい図を描き足していた。
さっきの僕の頼りない図より、ずっと道具らしい形になっている。
エッダは、もう一度水を流したそうに管を見ていた。
マルタは濡れた布で手を拭き、僕の前に立った。
「坊や。この仕組み、預かるよ」
「はい。僕には、ここから先は分かりません」
「そこまで分かっていれば十分さ」
マルタは口元を緩めた。
「湿気を落とす方法と、風をためる箱を考える。風属性魔石に使えるかは、その後だね」
「水で風が出るんですね……」
ニコはまだ、細い管を見つめている。
「弱いけどね」
グレンは静かに僕を見ていた。
ミロスは苦笑した。
「ユキア様は、魔力の練習だけじゃなく、こういうことも考えるんですね」
「僕が考えたというより、前に読んだことを思い出しただけだよ」
「それを思い出せるところが、普通ではないと思います」
ミロスの言葉に、グレンが小さく頷いたように見えた。
普通ではない。
その言葉には、昔なら少し身構えたかもしれない。
でも、今はただ、管の先で揺れた布切れのことを思い出していた。
僕が知っていたのは、ほんの入口だけだ。
でも、その入口を見たマルタの目は、もう次の形を追っているように見えた。
ブルーノの手元では、次の形が描かれ始めていた。
なら、ここから先は、僕よりこの人たちの仕事なのだと思った。
そして、それを報告書に残すことが、今の僕にできる仕事なのだと思った。




