第35話 四男は思いを見過ごせない
オスカーが卓の横で書きつけを開いた。
「本日は、認可契約加工工房の見学を予定しています」
「契約工房ですか」
「はい。魔石の一部は、領主家直営加工場ではなく、認可を受けた契約工房へ回されます」
オスカーは、いつものように声を乱さず説明する。
「魔石は鉱山側から支給し、加工された魔石は契約に基づいて納品されます」
「直営とはどう違うのですか」
「基本は同じです。ただ、工房によって得意な仕上げや、用途に合わせた調整に違いがあります」
どんな違いが出るのだろう。
「本日ご案内するのは、マルタさんの工房です。魔石加工の納品実績は安定しています。特に、同じ等級内でのばらつきが少ない」
「ばらつきが少ない、ですか」
「記録上はそうなっています」
結果が数字として残っているのなら、その工房には何か理由があるのだろう。
リズが、僕の外套を整えながらこちらを見る。
「今日は、わたしもご一緒してよろしいのでしょうか」
「ええ。契約工房は町中の工房区画にありますので、問題ありません」
オスカーが答えると、リズはほっとしたように息をついた。
「承知いたしました」
ニコも、表情を明るくした。
昨日の採掘現場には、危険を考え、リズとニコは同行できなかった。
今日は一緒に見られる。
それだけで、少し心強かった。
◇
マルタの工房は、直営加工場よりも小さかった。
けれど、狭いという印象はない。
むしろ、手の届くところに仕事が詰まっている場所、という感じがした。
工房の一角には、磨き途中の魔石が布の上に並べられている。
別の棚には、球状に整えられた魔石が小さな箱ごとに分けられていた。
奥の方からは、金属を軽く叩く音も聞こえてくる。
魔石加工だけではない。
装備や魔道具の作成も、同じ敷地の中でやっているらしい。
直営加工場は、管理された仕事場に見えた。
ここは、暮らしと仕事が近い。
工具が置かれているだけなのに、そこに誰かの手癖やこだわりが残っているように見えた。
「いらっしゃい」
作業台の奥から、小柄でがっしりした体つきの女性が出てきた。
背は低い。
けれど、肩や腕はしっかりしていて、手は大きい。
髪は後ろでまとめられ、袖は肘の上までまくってある。
ドワーフの女性職人。
たぶん、この人がマルタだ。
「こちらがマルタさんです。認可契約加工工房の職人頭になります」
オスカーが紹介すると、マルタは苦笑した。
「そんなに堅く言わなくてもいいさ。見学なら、邪魔をしない範囲で好きに見ておいで」
「ユキアです。本日は見学させていただきます」
「はいよ。領主家の坊やだね。作業中の石と道具だけは、ひと声かけてからにしておくれ」
「はい。気をつけます」
「いい返事だね」
マルタは笑った。
その笑い方は温かい。けれど、作業台に置かれた魔石へ向ける目は、すぐに職人のものへ変わった。
作業台の横では、若いドワーフの少女が書きつけを持って立っていた。
僕たちを見ると、ぴんと背筋を伸ばす。
「エッダ、坊やたちが見やすいように、そっちを空けておくれ」
「はい、母さん」
エッダと呼ばれた少女は、作業台の上を慌てて片づけた。
「工房の中に、魔石加工以外の作業場もあるんですね」
僕が言うと、マルタはうなずいた。
「元は装備の工房だからね。今は魔石も魔道具も装備も扱っているよ」
「さて」
マルタは、箱の中からいくつかの原石を取り出した。
「まずは、石を見るところからだね」
◇
マルタの手つきは、思っていたよりずっと速かった。
箱から魔石を取り、重さを確かめ、光へかざし、迷いなく分けていく。
やっていること自体は、直営加工場で見た作業と大きく変わらない。
けれど、並べられていく魔石は、不思議と揃って見えた。
僕には、はっきりした違いまでは分からない。
濁りや欠け、形の差を説明されれば納得はできるけれど、マルタのように一瞬で判断することはできなかった。
「……早いですね」
「毎日やっていれば、嫌でも分かるようになるよ」
マルタは笑い、選り分けた魔石を指先で軽く整えた。
「同じ等級でも、仕上がりは同じじゃない。どこまで磨くか、どこへ回すか。そこを間違えると、あとで手間が増える」
職人の目利き。
そう言ってしまえば一言で終わる。
けれど、目の前に並んだ魔石を見ると、その一言だけでは足りない気がした。
◇
属性の加工も、基本は直営加工場と同じだった。
火と水の加工を見た後、僕は仕上がった魔石へ目を向けた。
赤みを帯びたもの。
青みを帯びたもの。
無属性に近い灰色のもの。
直営加工場では、火、水、光の属性魔石を作っていた。
ここでも、風属性らしい魔石は見当たらない。
「風属性は、ここでは扱わないんですか」
僕が尋ねると、マルタの手が少し止まった。
オスカーも、書きつけから顔を上げる。
「作らない、というより、作りにくいんだよ」
マルタは、片づけながら答えた。
「水車で風を作ることはできませんか」
「できるさ。そういう町もあると聞くよ。ただ、安定したものを作るとなると難しい。風が脈を打つし、品質が低くなることが多いね」
オスカーが補足する。
「ドリスタでは、火属性と水属性の加工が多く、この契約工房でもその二つが中心です」
「良い風が吹く場所なら、天然品が出ることもある。そういうのは高い」
マルタは肩をすくめた。
「作るなら、風を安定させなきゃならない。でも、それをうちで作り出すのは難しいね」
風を安定して当てる。
風量、向き、強さ、湿気、粉塵。
言われてみれば難しい。
水なら器に入れられる。火も炉の中で保てる。
けれど、風はその場に留まらない。
その瞬間、前世で読んだ古い仕組みのことを思い出した。
その中に、水の落下で空気を巻き込む仕組みがあった。
落ちる水が空気を連れていく。
下で水と空気を分ける。
逃げ場を作れば、空気だけを風として取り出せる。
名前は、たしかトロンプ。
でも、正確な形は覚えていない。
細かいことは何も分からない。
前世の知識と言っても、僕が持っているのは完成した設計図ではない。
それに、今ここで成果になりそうなものを持ち出すのは、僕にはまだ早い。
静かに暮らしたいなら、なおさらだ。
「ユキア様?」
リズの声で、僕は我に返った。
「大丈夫。少し考えていただけ」
今は、まだ口にしない方がいい。
一度、自分の中で整理してからにするべきだ。
そう思って、その日の見学では、僕は風属性魔石の話をそれ以上広げなかった。
◇
滞在場所へ戻る道で、僕はあまり話さなかった。
リズは、何度かこちらを見た。
ニコも、僕が考え込んでいることに気づいているようだった。
部屋へ戻ると、リズが温かい飲み物を用意してくれた。
ニコは、今日受け取った書きつけを机の端へ整える。
「ユキア様、少しお休みになりますか」
「うん。でも、その前に整理しておきたい」
僕は椅子に座り、机の上に置かれた紙を見た。
報告書の下書きに使うため、オスカーから貰ったものだ。
契約工房。
職人の目利き。
品質のばらつき。
書き出そうとして、手が止まる。
そして、バウル。
マルタには、僕には見分けられない魔石の違いが分かる。
マルタが魔石を分ける時の迷いのなさを見ていると、昨日の採掘現場で、バウルが皮袋の中身に気づいた時のことを思い出した。
僕には、皮袋の外から魔石を判別することなんてできない。
それでもバウルは、匂いで属性魔石をなんとなく判別していた。
マルタの目利きとは違う。
経験を積んだ職人の技術と、バウルの感覚を同じものとして扱うことはできない。
けれど、僕には分からない違いを拾っている、という意味では似ている気がした。
本人は、採掘現場が好きなのだと言っていた。
なら、僕が勝手に、別の場所の方が向いているかもしれないと考えるのは、わがままなのかもしれない。
ただ、好きな仕事で成果を出せていない。
それだけで、弱い、使えないと片づけられてしまう。
それも、違う気がした。
属性魔石の匂いを感じ取れることが、仕分けや加工のどこかで役に立つかもしれない。
バウルが感じ取れるものを、仕事の中で活かせる場所が他にあるのではないか。
それに、バウルは兵士に憧れているとも言っていた。
魔石に関わる仕事を中心にしながら、警備部門の雑務を少し手伝えれば、バウルの希望に近づけるかもしれない。
そう考えることはできても、僕がその場で配置を変えてほしいと言える立場ではない。
気になった、惜しいと思っただけでは、父には届かない。
報告書に書けるだけの事実と、領地に役立つ提案があれば、少なくとも耳を傾けてもらえる可能性はある。
ドリスタに来る前は、父に命じられた実地教育を受けるだけのつもりだった。
現場を見て、話を聞いて、報告する。
成果を出して目立ちたいわけではない。
余計なことをして、父の目に留まりたいとも思っていなかった。
静かに暮らしたい。
その気持ちは、今も変わっていない。
でも、見過ごせないものは、少しずつ増えている。
「ユキア様」
リズが、そっと声をかけた。
「また、難しいお顔になっています」
「うん。どう報告すればいいか考えていた」
リズは、机の上の紙へ目を落とした。
「抱え込みすぎないでください」
その言葉は、静かだった。
でも、はっきりしていた。
「ありがとう」
僕は頷く。
「うん。まずは明日もう一度、マルタさんの工房で相談してみようと思う」
「相談、ですか」
「うろ覚えの仕組みがあるんだ。使えるかは分からない。でも、風属性魔石の加工に関係するかもしれない」
リズとニコが顔を見合わせる。
後ろで控えていたミロスが、目を輝かせた。
「坊ちゃん、また変なこと考えてるっすね」
「変かどうかは、まだ分からないよ」
「その言い方の時は、だいたい変なんすよ」
グレンが低く咳払いをした。
ミロスは、すぐに背筋を伸ばす。
「失礼しました」
その様子に、肩の力が抜けた。
その夜、僕は簡単な図を描いた。
上から水を落とす管。
空気を巻き込ませるところ。
下で水を受ける箱。
そこから別の管で空気を逃がす。
何度描いても、頼りない図にしかならない。
でも、これ以上は僕の記憶にはなかった。
前世で読んだ知識は、万能の道具ではない。
それでも、誰かが形にするきっかけにはなるかもしれない。
それにしても、絵が下手だ。
これで分かってもらえるのだろうか。
僕は机の上の図を見下ろし、明日それを見せる時のことを考えて、少し笑った。




