第33話 四男は採掘現場の空気を見る
翌朝、滞在場所の前には、前回よりも多くの案内役が集まっていた。
今日は、採掘現場を見学する日だ。
前回と同じ道は使わない。
見学する範囲も、安全確認が済んだ区画だけ。
グレンとミロスも、いつもより近い位置で周囲を見ている。
それだけで、前回と同じではないのだと分かる。
「リズさんとニコさんは、今回も滞在場所で待機でお願いします」
出発前、エーベルトがそう告げた。
「採掘現場は、足元も音も普段の町中とは違います。今回は、見学者と護衛を絞らせていただければと……」
「分かりました」
僕は頷いた。
リズは、水筒と布、それから戻った後の着替えを整えていた手を、少しだけ止めた。
「……はい。お戻りになった時に、すぐ休めるようにしておきます」
「うん。お願い」
グレンは僕の少し前に立ち、出発前の確認を終えていた。
ミロスはその横で、周囲を見ている。
エーベルトは、こちらを見て小さく息を吐いた。
「では、お願いいたします。天候、道の状態、作業状況のいずれかに問題が出た場合は、その場で中止いたします」
「はい。現地の判断に従います」
◇
採掘現場へ向かう道は、前回とは違っていた。
前回使ったのは、荷車の流れを妨げないための、関係者が使う道だったらしい。
今回は少し遠回りになる代わりに、町へ魔石を運び出す荷車も通る、踏み固められた道を進む。
坑口近くの荷下ろし場で馬車を降りると、グレンは僕の前方を確かめ、ミロスは少し後ろから左右を見た。
いつもより、二人との距離が近い。
少し落ち着かない。
けれど、嫌ではなかった。
坑口へ近づくと、金属を打つ音と、人の声が聞こえてきた。
土と石の匂いに、汗と油の匂いが混じる。
屋敷とも、加工場とも違う。
ここは、石を掘り出す場所なのだと、音だけで分かった。
入口の近くで、ひとりの男がこちらへ歩いてくる。
中肉中背で、手には、板に紐で綴じた書きつけを持っていた。
「本日の案内を担当いたします。鉱山管理補助のマイスです」
マイスは、深くなりすぎない程度に頭を下げた。
「ユキアです。よろしくお願いします」
「ご案内するのは、安全確認済みの範囲に限ります。足元や作業状況に変化があれば、その場で見学を止めます」
「はい。現地の判断に従います」
僕がそう答えると、マイスの目が一瞬だけ動いた。
驚いたのか、確認したのかは分からない。
少し離れた場所では、鉱夫たちがこちらを見ていた。
すぐに視線を外す人もいれば、手を止めたまま硬い顔をしている人もいる。
領主家の子息が来たうえに、前回は採掘現場へ向かう途中で事故が起きた。
しかも、その前にここへ来たのは、僕の兄であるカシムだ。
町で聞いた限り、カシムの評判はあまりいいものではなかった。
そう考えれば、この空気は当然なのかもしれない。
僕が何かをしたわけではなくても、僕はヴァンハルト家の子だ。
ここで働く人たちから見れば、ただの子どもでは済まない。
「鉱夫頭のボルクです」
低い声がした。
マイスの後ろから、がっしりした体格の男が近づいてくる。
手は大きく、腕には作業でついた細かな傷がいくつもあった。
「坑道は見物の場所じゃありません。入るなら、こちらの言う通りにしてもらいます」
「はい。お願いします」
ボルクは、短く頷いた。
歓迎されているわけではない。
けれど、追い返されているわけでもない。
このくらいの距離感の方が、今は自然だと思った。
◇
坑口の近くまで進んだところで、マイスが一度足を止めた。
「この先が、見学予定区画へ続く通路です。まずは外側の作業状況を見てから、短時間だけ中へ入ります」
説明を聞きながら、僕は横木と支柱に目を向けた。
坑道の入口近くに、いくつか補強用の木材が積まれている。
その先の支柱の一本には、古い傷と、墨で引かれたような印がついていた。
今すぐ崩れそう、というわけではない。
ただ、誰かがそこを気にして、目印を残したのかもしれない。
ボルクの視線も、一瞬そこへ向いた。
「すみません。あの支柱に傷みがあるようですけど、危なくないんでしょうか」
僕が言うと、マイスがわずかに言葉を止めた。
ボルクもこちらを見る。
「見学が終わってからでも間に合います」
ボルクの声は低い。
ただ、怒っているというより、作業順を崩したくないように聞こえた。
「明らかに危険な状態ではない、ということでしょうか」
「そうです。ただ、補修予定ではあります」
マイスが答える。
僕は支柱と、そこを通る人たちの足元を見た。
もし自分が見学に来たせいで、本来なら先に直すはずだった場所が後回しになっているのなら、それは嫌だ。
「僕の見学より、ここを毎日使う人たちの方が大事だと思います」
ボルクが黙る。
僕は続けた。
「僕たちは待ちます。先に済ませられるなら、補修を優先してください」
命令ではない。
少なくとも、そう聞こえるように言葉を選んだつもりだ。
ボルクは、しばらく支柱を見てから、マイスへ視線を向けた。
「長くはかからん」
「では、先に補修を入れます」
マイスが書きつけに何かを記す。
ボルクは近くの作業員へ短く指示を出した。
すぐに数人が動き、積んであった木材を運び始める。
その動きは早い。
そして、慣れている。
補修は特別な大ごとではなく、現場では日々の作業の一部なのだろう。
だからこそ、予定に入っているなら、余計に後回しにしたくなかった。
「ユキア様、補修が終わるまで、坑口横の休憩場でお待ちください」
「分かりました」
グレンが僕の進行方向を確認する。
ミロスは、少しだけ肩をすくめた。
「坊ちゃん、よく気づきましたね」
「たまたま目に入っただけだよ」
「たまたまでも、聞けるのは大事っすよ」
まっすぐ褒められたようで、少しだけ落ち着かない。
僕は返事の代わりに小さくうなずき、坑口横の休憩場へ向かった。
休憩場は、坑口の横に作られた屋根つきの場所だった。
木の長椅子と水桶があり、壁際には布や簡単な道具が置かれている。
鉱夫や運搬係たちが腰を下ろし、水を飲んだり、額の汗を拭ったりしていた。
僕たちが近づくと、何人かが慌てて立ち上がろうとする。
その動きが、少しだけ痛々しく見えた。
「休憩中なら、そのままでお願いします」
僕が言うと、立ち上がりかけていた鉱夫が止まった。
マイスも少し迷うようにこちらを見る。
「ですが、ユキア様がいらしているのに――」
「僕たちは補修を待っているだけです。休む時間を削らせるつもりはありません」
休憩場に、妙な沈黙が落ちた。
僕は言い方を間違えたかと思ったけれど、ボルクが低く言った。
「座っていろ。休憩時間だ」
その一言で、鉱夫たちはおそるおそる腰を下ろした。
ただ、完全に気を抜いたわけではない。
背中が少し伸びていて、水を飲む手も遠慮がちだ。
以前のこともあって、領主家の子息の前で気を抜くのは難しいのだろう。
「休むのも、仕事のうちだと思います」
僕は小さく付け足した。
ボルクは一度だけうなずき、休憩場へ視線を戻した。
その横顔はまだ硬い。
けれど、さっきよりは、こちらを測るような気配が薄れた気がした。
その時、休憩場の端で、ひとりだけ落ち着きなく動いている少年が目に入った。
犬系獣人らしい耳が、周囲の音に合わせるように小さく動いている。
彼は籠を重ね直し、道具を壁際へ寄せ、また別の籠を覗き込んでいる。
「あの人は?」
「鉱山付きの奴隷で、バウルですね」
「休憩中ではないんですか?」
「休めとは言っているんですが……あいつは、止まっている方が落ち着かないようでして」
休めと言われても動いてしまう。
その落ち着かなさが、少し気になった。
「少し、話してもいいですか」
僕が聞くと、マイスはボルクへ視線を向けた。
ボルクは短くうなずく。
「長くならなければ」
ボルクの許可を受けて、僕はバウルに近づいた。
「こんにちは」
バウルは籠を抱えたまま振り向いた。
「君、誰だい。子どもがこんなところに来たら危ないよ」
君も十分、子どもだと思うけど。
「見学させていただいています。気をつけますね」
「見学……?」
バウルが、そこでようやく僕の後ろにいるグレンたちを見た。
ハッと何かに気づいたかのように、背筋を伸ばす。
「こ、この度はお日柄もよく、お足元の悪い中、こんな採掘現場までお越しいただき、誠にありがとうございます! カシム様におかれましては――」
そこから先も、バウルの口は止まらなかった。
たぶん、覚えた挨拶を最後まで言い切ろうとしているのだと思う。
けれど、問題はそこではない。
「僕、カシム兄様じゃないですよ」
「……え?」
「ユキアです」
「……ユキア様?」
「はい」
「なんだぁ……」
「なんだぁ?」
「あっ、いえ! なんだぁ、ではなく! すみません! 僕、てっきり、前に来たすごい子息様かと!」
周りの鉱夫たちが、笑いをこらえるように顔をそむけた。
「バウル、休憩だ」
ボルクが声を飛ばす。
少年が振り向いた。
「はい。これだけ置いたら休みます」
「それを毎回言っているだろう」
「……はい」
バウルは、抱えていた籠をそっと下ろした。
僕はバウルをもう一度見た。
「真面目そうですね」
僕がそう言うと、マイスが少し困ったように視線を落とした。
「真面目ではあります。逃げも怠けもしません」
答えたのは、ボルクだった。
「ただ、真面目ならそれで十分、という仕事でもない」
「採掘や運搬でも、ですか」
「そこは同じです。力があればいいというわけではありません。魔石が近いところでは、強すぎても困ります」
ボルクは坑口の方を見る。
「力を入れるだけなら、壊す方が早い。だが、魔石を壊せば意味がない」
「加減が必要なんですね」
「魔力をうまく扱えない者は、兵や精密な職人仕事には回りにくい。採掘や運搬、下働きに来ることもある。だが、ここでも加減は要る」
ボルクの声は低い。
「バウルは、力が弱く、加減も苦手です。真面目ではありますが、採掘の主力には回せません」
その言い方には、バウルを切り捨てるような響きはなかった。
ただ、真面目だからこそ、現場でどう使えばいいのか困っているように聞こえた。
バウル本人は、少し離れた場所で休憩用の水を飲んでいる。
けれど、座っていても足先が落ち着かない。
動いている方が好きなのだろう。
それなのに、動く仕事で成果を出しきれていない。
好きなのに、うまく役に立てない。
そのもどかしさは、僕にとって他人事ではなかった。




