第32話 四男は仲間の当たり前を見直す
「まずは、立ったまま試してみたい。腹の奥を意識して、外へ広がっているものを身体の真ん中へ戻すように、できないかな」
「俺たちも、ですか」
ミロスが木剣を肩に担ぎかけ、すぐに戻した。
「うん。ミロスとグレンには、実際に試してほしい。ニコは無理にやらなくていい」
「見て覚えます。できそうなら、少しだけ試します」
ニコはそう答えて、一歩下がった。
ミロスとグレンが、木杭から少し離れて並ぶ。
「息をゆっくり吐いて。力を抜くんじゃなくて、身体の内側にしまっておく……そんな感じだと思う。僕も、まだうまく言えないけど」
広場が静かになる。
すぐには、何も起きなかった。
吐く息の音だけが、しばらく続く。
最初に変化したのは、ミロスだった。
「……あ」
ミロスが目を開く。
その直後、手から木剣が滑り落ちた。
乾いた音がして、木剣が地面に転がる。
「ミロスさん?」
ニコが驚いて声を上げた。
ミロスは自分の手を見下ろして、何度か指を握ったり開いたりした。
「……今の、魔力が切れた時に似てたっす」
「魔力切れ?」
「はい。身体に力が入らなくなった感じです。力の入れ方が、一瞬分からなくなりました」
ミロスは地面に落ちた木剣を拾い上げると、いつもより慎重に握り直した。
「俺、普段こんなに魔力に助けられてたんすね」
ミロスは息を吐き、木剣を握り直した。
「もう一回試します」
ミロスはすぐに構え直した。
軽い言い方はしても、やると決めたら動きは早い。
グレンは目を閉じない。
前を見たまま呼吸を整え、身体の軸を保つように立っている。
「短い時間なら、できなくはありません」
グレンはそう言って、木剣を構えた。
そこから一歩踏み込んで、木剣を振る。
けれど、振り終えたグレンは眉を寄せた。
「動こうとすると、魔力が戻ります」
「抑えられなくなる?」
「はい。抑えることに意識を向けると、身体が固まります。動こうとすると、今度は抑えが利きません」
グレンは木剣を下ろした。
「戦闘中に使えるものではありませんね。少なくとも、今のままでは」
「うん。僕もそう思う」
そこで無理に使えると言わないところが、グレンらしい。
魔力を抑える感覚を掴むことと、そのまま動くことは別だ。
さらに、護衛や戦闘の中で使うとなれば、もっと難しくなる。
「まずは、止まった状態で抑える。それができたら、短い動き。次に、歩く。いきなり戦闘に使うものじゃなくて、身体の使い方を知る練習だと思う」
「地味っすけど、必要な気がするっすね」
ミロスが、木剣を握り直しながら言った。
「少なくとも、魔力が乱れた時に慌てにくくなるかもしれません」
今度はグレンが静かに言った。
成功ではない。
けれど、反応はある。
「次は、もっと単純な動きで試したい」
僕は木剣を置いた。
その場で、ゆっくり膝を曲げる。
深く沈みすぎず、背中を丸めすぎず、自分の重さが足に乗るところで止めた。
「勢いで動くんじゃなくて、自分の身体の重さを感じるくらいでいいと思う。どこに重さが乗っているかを確かめる感じ」
前世の言葉なら、自重を使う訓練になる。
ただ立って、膝を曲げて、戻す。
それだけでも、魔力でごまかさずにやると、脚や腰の内側にじわっと響く。
「最初は回数を増やさなくていい。自分の重さを感じられなくなったら、そこで止めよう。たぶん、その時は魔力で動きを助けてしまっているから」
「……それなら、広い場所も道具もいりませんね」
グレンが言った。
「うん。だから、日課にしやすいかもしれない」
グレンが先に試した。
魔力を抑えようとしながら膝を曲げると、動きが少し重くなる。
数回で止め、感覚を確かめるように足元を見た。
「普段の訓練とは違います。身体を支える場所が、はっきりする気がします」
「続けられそう?」
「短時間なら。ただし、任務前にやりすぎるべきではありません」
「それはそうだね」
鍛えるために、護衛の動きが鈍ったら意味がない。
日課にするとしても、時間と量を考える必要がある。
ミロスも試した。
最初は軽そうに動いていたが、魔力を抑えるよう意識した途端、膝の動きが遅くなる。
「……これは、思ったよりきついっすね」
ニコが、少し迷ってから同じ動きを真似した。
一回目は普通にできた。
二回目で、眉が寄る。
三回目で、動きが遅くなった。
「……たしかに、変な感じがします」
「ニコは、無理に続けなくていいよ」
「はい。今日は見て覚えます」
ニコは素直に引いた。
従者見習いとして、護衛と同じだけ鍛える必要はない。
僕の訓練相手をしてくれるなら、この感覚を知っているだけでも違うと思う。
その後、僕は思いつく範囲で、素の身体を鍛える動きをいくつか教えた。
前世でいう、腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットのやり方だ。
こちらの言葉ではうまく説明しにくいけれど、道具を使わず、自分の身体の重さで身体を鍛える練習だ。
どれも前世では、特別なものではない。
身体を鍛えるための、ごく基本的な練習だった。
けれど、この世界では違う。
ミロス、グレン、ニコ。
同じことをしても、反応は少しずつ違う。
それが、僕には面白かった。
うまくいったからではない。
人によって違うなら、そこに手がかりがあるかもしれないと思えたからだ。
みんなが試している間、僕はリズの方を向いた。
リズは水の入った杯を用意していたが、僕の視線に気づくと、静かに手を止めた。
「リズも、少し試してみる?」
「わたしも、ですか」
「うん。前にエルヴィンに言われたこと。魔力が外へにじんでいるかもしれないって話」
リズは胸元に手を当てた。
「抑え込む、ということでしょうか」
「たぶん、ただ抑え込むだけだと動きにくくなると思う。ミロスも、魔力を引っ込めすぎた時に身体が重くなっていたし」
「はい……」
「だから、どこまで抑えると身体が重くなるのか。どのくらいなら、動きやすいまま留められるのか。そのあたりを探せないかなと思って」
正解が分かっているわけではない。
リズの魔力が本当に外へにじんでいるのか。
それを内側に留めれば楽になるのか。
僕には、まだ判断できない。
ただ、何もしないよりは、少しでも確かめる方がいい。
「疲れるようなら、すぐやめていいから」
「……はい。少しだけ、試してみます」
リズは目を伏せ、ゆっくり息を吐いた。
しばらくして、眉が少し寄る。
「……重い感じがします」
「抑えすぎた?」
「たぶん、そうだと思います」
「じゃあ、そこまでは抑えすぎなんだと思う。もう少し楽に動けるところがあるか、探していこう」
「はい。疲れない範囲で、試してみます」
リズは胸元に置いた手を少し緩め、小さく息を吐いた。
うまくできたわけではない。
どこから重くなるのかは分かった。
それだけでも、今は手がかりになる。
頃合いを見て、広場での試しを切り上げることにした。
「ユキア様」
片づけの途中で、グレンが声をかけてきた。
「今回の訓練が、実戦で役に立つかは分かりません」
「うん」
「ですが、普段、自分がどれだけ魔力に頼って動いているのか。それを知る意味はあったと思います」
「試す価値はある?」
「はい。少なくとも、すぐに捨てる話ではないかと」
納得した、というほど強い言い方ではない。
けれど、頭から否定する声でもなかった。
それだけで、今は十分だった。
「僕も、まだよく分かっていないよ」
グレンが顔を上げる。
「だから、一緒に試してくれると助かる」
「承知しました。任務に支障が出ない範囲で、続けてみます」
その声は、昨日よりも落ち着いていた。
ミロスが木剣をまとめながら、軽く肩をすくめる。
「グレンさんがやるなら、俺も付き合いますよ」
「ミロスも?」
「はい。さっきの感覚、ちょっと嫌だったんで。自分の身体なのに、急に扱いにくくなるって、面白くないっす」
ミロスは笑っている。
けれど、言っていることは真面目だった。
事故の後、みんなが変わり始めている。
リズは僕の様子をよく見るようになった。
ニコは周囲を見る回数が増えた。
グレンは、自分の役目を見直そうとしている。
ミロスは軽い声のまま、その場の重さを和らげてくれる。
僕も、前と同じではいられない。
◇
その日の夕方、エーベルトが滞在場所へやって来た。
「ユキア様。採掘現場見学についてですが……その、明日、再開できる見込みとなりました」
僕が返事をするより先に、グレンが姿勢を正した。
「経路は前回と同じでしょうか」
「いえ。前回と同じ経路は使いません。安全確認済みの別経路を使います。現地側の案内も増やし、護衛配置も改めて調整しております」
エーベルトの声は弱々しい。
けれど、内容は慎重だった。
「天候や道の状態に問題が出た場合は、その場で中止いたします。そこは、現地の判断に従っていただければと……」
「承知しました」
グレンが短く答える。
その返事を聞いてから、僕も頷いた。
「僕も、現地の判断に従います」
「はい。それでお願いいたします」
エーベルトは、ほっとしたように頭を下げた。
ミロスは、書類を見ながら軽く頷いている。
リズは小さく息を吐き、ニコは肩の力を抜いた。
前回と同じではない。
道も、案内も、護衛の動きも見直されている。
僕たちも、前と同じ気持ちで向かうわけではない。
それでも、何かが起きないとは言えない。
どれだけ準備しても、全部を避けられるわけではない。
今度は、みんなで無事に戻ってこれるといいなぁ……。




