第27話 四男は護衛に謝罪される
僕は、ゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井、というほどではない。
けれど、昨日目を覚ました時と同じ木の梁が見えたことで、ここが森でも川岸でもないことは分かった。
そう理解した途端、身体のあちこちが遅れて存在を主張し始めた。
「……重い」
声に出すと、喉が少し掠れた。
左腕の痛みはない。
けれど、身体はまだ重かった。
肩も背中も、脚も、どこかへぶつけた後のように鈍い痛みが残っている。
昨日、川に流され、森を歩き、魔獣に襲われたことを思えば当然なのだけれど、寝台の上で息をしているだけでも疲れている気がした。
起き上がろうとして、途中で諦める。
今の身体で無理に動くのは、あまり賢い選択ではなさそうだ。
その時、扉が控えめに叩かれた。
少し間を置いてから、扉が静かに開く。
入ってきたのはリズだった。
手には水差しと清潔な布を持っている。
髪は整えられているけれど、わずかに乱れが残っていた。目元には薄い疲れが見える。
「……ユキア様。お目覚めでしたか」
「うん。起きてるよ」
リズはほっとしたように、小さく息を吐いた。
本人は普段通りに振る舞おうとしているのだろう。
けれど、動きの端々に疲れがにじんでいた。
「お身体の具合は、いかがですか」
「左腕に痛みはないよ。ただ、身体は少し重いかな」
リズは水差しを小さな台へ置き、僕の顔色を確かめるように身を屈めた。
その仕草は丁寧だった。けれど、目の下の疲れまでは隠せていない。
「リズ、眠れた?」
「はい。少しだけ、休みました」
「その言い方、夜も聞いた気がする」
そう言うと、リズは視線を落とした。
「看てくれて、ありがとう。目を覚ました時、リズがいてくれて安心した」
「いえ。わたしは……」
「でも、今は少し落ち着いてるから。僕のことは、少しくらい放っておいても大丈夫だよ」
そう言うと、リズは困ったように眉を下げた。
「リズが疲れたままだと、僕も落ち着いて休めないよ」
「……それは、困ります」
責めたいわけではない。
リズが気にかけてくれたことは、ちゃんと分かっている。
だからこそ、今はリズにも休んでほしかった。
僕がそう思っていると、廊下の方から低い声が聞こえた。
「そこで突っ立って、何してるんだ」
ラウガの声だった。
リズの肩が、わずかに強張る。
僕も扉の方へ視線を向けた。
「……ラウガ殿」
返ってきた声は、グレンのものだった。
「入らねえのか?」
「ユキア様は病み上がりです。今は控えるべきかと……」
「控えるって面かよ。さっきから部屋の前で気配を固めてりゃ、中にいるやつも気づくだろうが」
扉が開いた。
「おう、坊主。起きてるか」
ラウガが、いつものように大きな体を屈めて入ってくる。
その後ろに、グレンが立っていた。
グレンの顔色は良くなかった。
服は整えられているけれど、目元には眠れていない人の色がある。
いつもの護衛らしい静かな姿勢は残っていたが、肩のあたりに力が入りすぎているように見えた。
「はい。ラウガさん、昨日はありがとうございました」
「仕事として受けたんだ、礼は別にいい」
「それでも、助けていただいたことに変わりはありません」
「それと、部屋の前で固まってるやつも拾ってきた」
ラウガは顎でグレンを示した。
グレンは一歩前へ出ると、その場で深く頭を下げた。
「ユキア様。申し訳ございませんでした」
声が、かすかに震えていた。
「私が、守りきれなかったばかりに……ユキア様が川へ落ちるのを止められませんでした」
「グレン」
「はい」
「グレンが無事で、よかったです」
グレンは、頭を下げたまま動きを止めた。
「……ユキア様」
「落ちる前、声が聞こえました。助けようとしてくれたことも、分かっています」
あの時、傾いた馬車は崖側へ滑り落ちかけていた。
グレンが止めてくれなければ、僕はもっと早く外へ投げ出されていたかもしれない。
そのまま落ちていたら、もっと悪い状況になっていたかもしれない。
無事だった、とは簡単に言えない。
けれど、こうして戻ってこられたのは、グレンがあの場で動いてくれたからでもある。
それだけは、僕が覚えている。
「怪我はしましたし、無事だったとは言えないかもしれません。でも、こうして戻ってこられました」
グレンが、わずかに顔を上げる。
「だから、グレンがあの時動いてくれたことは、ちゃんと意味があったんだと思います」
「……ありがとうございます」
グレンの声は、まだ重かった。
わずかに救われたようにも見えるけれど、それで全部が終わった顔ではない。
その沈黙を破ったのは、ラウガだった。
「まあ、守れなかったのは事実だがな」
「ラウガさん」
思わず名前を呼ぶと、ラウガは僕へちらりと視線を向けた。
「坊主、そこで甘くすんな。こいつは護衛だ。守れなかったことは、ちゃんと背負わせろ」
言い方は厳しい。
グレンは反論しなかった。
ラウガは腕を組み、グレンへ向き直る。
「お前が何もしなかったとは言わねえ。馬車が落ちるのを止めようとしてたんだろ。そいつは聞いた」
「……はい」
「お前がいなけりゃ、もっと悪くなってた可能性もある。そこは間違いねえ」
グレンの肩が、わずかに揺れた。
「だが、足りなかった。単純に弱かった」
部屋の空気が、すっと冷えた。
リズが息を詰める気配がした。
けれどラウガは、そこで言葉を緩めなかった。
「俺なら助けられた。馬車ごと持ち上げてでもな」
グレンは唇を引き結んだ。
悔しさを堪えている顔だった。
「強けりゃ、選べる手は増える。弱けりゃ、見えてても届かねえ」
その言葉に、胸の奥が小さく重くなった。
森で魔獣と向き合った時の感覚が、かすかによみがえる。
ラウガの話はまだ終わっていなかった。
「本物の護衛は、強い奴がなるんじゃねえ」
ラウガはグレンをまっすぐ見た。
「守ると決めて、そのために強くなる奴がなるんだ。悔しいなら、次は届くようになれ」
グレンは深く息を吸った。
それから、もう一度、僕へ頭を下げる。
「ユキア様。今の私に、許しをいただく資格はございません。ですが、次に同じことが起きた時、今より多くの手を取れるよう努めます」
「うん。お願いします」
僕がそう言うと、グレンは顔を上げた。
その目には、まだ重さが残っていた。
でも、さっきよりは前を向こうとしているように見えた。




