表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ずれた四男の異世界暮らし ~僕の当たり前は、魔力社会の盲点でした~  作者: ただのゆきや
第2章 魔石鉱山町ドリスタ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/72

第26話 四男は治癒魔法を受ける

 水の音がしない。


 最初にそう思った。


 耳に届くのは、川の流れではなく、布が擦れるような小さな音だった。

 どこかで、薪が小さく爆ぜる音がした。火の音だろうか。

 鼻の奥には、湿った土ではなく、温まった布の匂いと、薬草に似た匂いがあった。


 僕は、ゆっくりと目を開けた。


 見えたのは、木の天井だった。

 枝葉の隙間から差す光でも、濡れた地面でもない。

 そこにあるのは、整えられた梁と、薄暗い部屋の中で揺れる灯りだった。


 ……部屋?


 ぼんやりした頭でそう考えた瞬間、左腕の奥が、ずきりと熱を持った。


「っ……」


 息を吸い込む。

 動かそうとしたわけではない。ただ意識を向けただけで、肘の少し下から手首にかけて、重く引きつるような感覚が走った。


 そこでようやく、記憶が戻ってきた。


 川。

 濡れた森。

 魔獣。

 左腕を裂かれた痛み。


 水属性魔石で傷を洗い、布を巻き、聞き覚えのある大声を聞いたところで、意識が途切れた。


「……ラウガ、さん」


 声は、思ったよりかすれていた。

 その声に反応するように、寝台のそばで椅子が小さく鳴った。


「ユキア様」


 名前を呼ぶリズの声が、ほんの少しだけ震えていた。


 顔を向けると、リズが寝台の横に座っていた。

 髪はいつもより少し乱れ、目元にも疲れが残っている。

 両手を膝の上で握り、こちらを見る姿勢は、むしろ無理にでも崩れまいとしているように見えた。


「……リズ?」


「はい。ここにいます」


 その言葉を聞いて、胸の奥から、ふっと力が抜けた。


 助かったのか。

 いや、助けられた。


 そう思った途端、身体中の重さを思い出した。

 腕だけではない。肩も背中も、脚も、どこかへ打ちつけられた後のように鈍く痛む。


「ここは……ドリスタの、部屋?」


「はい。滞在場所のお部屋です。ラウガさんたちが、ユキア様を連れ帰ってくださいました」


「ラウガさんたち……」


 そこまで言ったところで、部屋の奥から別の声がした。


「目が覚めましたか」


 ミレアだった。


「ユキア様。左腕へ、魔力を巡らせられますか」


「……今、ですか」


 頭が、まだ状況に追いついていなかった。

 目を覚ましたばかりで、ここがどこなのかも、誰がいるのかも、まだはっきりしない。

 そのまま魔力を巡らせるよう言われても、すぐには反応できなかった。


 ミレアは唇を引き結んだ。


「はい。今でないと、傷に治癒魔法が届きません」


「治癒魔法……」


「説明はあとだ」


 部屋の壁際から、低い声がした。


 ラウガが腕を組んで立っていた。

 靴やズボンの裾には乾ききらない泥が残っている。

 森の中を歩き回ってきたことだけはすぐに分かった。


「坊主、今は言われた通りにしろ。寝ぼけた頭で考えてる暇はねえ」


「……はい」


 返事をしながら、僕は左腕を見下ろした。


 けれど今は、感覚がつかみにくかった。

 身体が重い。

 眠い。

 傷の奥が熱く、そこだけが自分の身体ではないように感じる。


 それでも、やらなければ治らないらしい。


 僕は深く息を吸い、左腕へ意識を向けた。

 痛みのせいで感覚はひどく乱れている。

 それでも、ほどけそうになる魔力の流れを、傷のある場所へゆっくり通していった。


「っ……」


 魔力が傷の近くへ触れた瞬間、腕の奥が強く引きつった。


 痛い。


 けれど、通らないわけではない。

 途中でほどけそうになる感覚を、息を止めるようにして押さえる。

 細い流れが、左腕の内側へ届いた。


「……通りました」


 ミレアが小さく息を呑んだ。


「このまま、少しだけ保ってください」


 彼女の手が、僕の左腕の上へかざされる。


 何かが外から強く押し込まれる感覚ではなかった。

 むしろ、左腕の内側に通した細い魔力へ、温かいものがそっと重なる。

 傷の奥で固まっていた痛みが、ゆっくりほどけていくようだった。


 ふと、右手に温かいものが触れた。


 見ると、リズが僕の右手に、そっと指先を添えていた。

 目を伏せ、何かを祈るように。

 けれど、治療を妨げないよう、触れているだけの弱い力だった。


 その手は、わずかに震えている。


「……速い」


 ミレアの声が、ほとんど息のように漏れた。


「さっきまで、細かったのに……」


 次の瞬間、彼女ははっとしたように口を閉じる。


「ユキア様、そのままです。もう少しだけ」


「はい……」


 頷こうとして、頭が揺れた。

 思った以上に疲れている。

 左腕へ魔力を保つだけで、全身から力が抜けていくようだった。


 けれど、傷の痛みは少しずつ形を変えていた。

 鋭く裂かれた痛みではなく、引きつるような違和感へ変わっていく。


 ミレアが布をほどくと、その下から幅の広い葉のようなものが見えた。

 葉は乾いているのに、傷口の周りへぴたりと張りついている。普通の薬草にも、包帯にも見えない。


「……この葉は?」


 思わずそう尋ねると、ラウガが呆れたように鼻を鳴らした。


「こんな時でも、そこが気になるのかよ」


 フィンが近くから覗き込み、軽く肩をすくめた。


「僕が魔力を通して少し固めた葉っぱだよ。止血にはなるけど、治せるわけじゃないからね」


「十分です。あれがなかったら、町まで戻る間にもっと悪くなっていました」


 フィンは少し得意げに笑う。


「ほら、役に立ったでしょ。僕、こう見えても仕事はできるんだよ」


「お前は、黙ってりゃ頼れるんだがな」


「君がそれを言うかな」


 二人のやり取りは軽い。

 けれど、その軽さに、少し救われた。


 部屋の中の空気は、まだ張りつめている。

 リズもミレアも、部屋の隅に控えている見慣れない使用人たちも、静かに息を詰めているようだった。


 それだけ、自分は危なかったのだろう。


 そう考えたところで、ミレアの手が離れた。


「出血は止まりました。傷も塞がっています」


「治ったんですか」


「はい。ただ、まだ違和感は残ると思いますので、あまり左腕を使わないでください」


 言われて、僕は指先を動かした。


 動く。

 けれど、強く握ろうとすると、腕の奥がきゅっと引きつった。


「……たしかに、少し変な感じがします」


「無理はしないでください。……それにしても、効きが早いですね」


 ミレアは小さく言ってから、慌てて首を振った。


「あ、いえ。すみません。今は、休んでください」


「ミレアさん」


「はい」


「ありがとうございます」


 僕がそう言うと、ミレアは一瞬だけ目を見開いた。

 それから、少し困ったように視線を落とす。


「わたし一人の力ではありません。フィンさんの処置も、ラウガさんが急いで運んでくれたことも大きくて……」


「坊主、もう寝ろ」


 ラウガが短く言う。


「聞きたいことはあるだろうが、その顔で話を聞いても半分も覚えちゃいねえ」


「……そう、ですね」


 本当は、聞きたいことはいくらでもあった。


 グレンは無事なのか。

 案内役はどうなったのか。

 あの魔獣は何だったのか。

 左目に古傷のある、大きな獣はどうなったのか。


 けれど、まぶたが重い。

 考えようとすると、頭の中に霧がかかったようになる。


「ユキア様。お休みください」


 リズが静かに言った。

 その声は、いつもより近く聞こえた。


「……うん」


 僕は返事をしたつもりだった。

 けれど、声になったかどうかは分からない。


 リズの気配と、部屋の灯りの温かさを感じながら、僕の意識はまたゆっくりと沈んでいった。


          ◇


 次に目を覚ました時、部屋はさらに静かになっていた。


 窓の外は暗い。


 左腕の痛みは、もうなくなっていた。

 ただ、腕を動かそうとすると、皮膚の下に、薄く突っ張るような違和感が残っている


 僕はそっと息を吐いた。


 生きている。


 それを、今さらのように実感した。


 その時、扉が静かに開いた。


 薄く開いた隙間から、リズがそっと中を覗く。

 替えの布を手にしていた。起こさないようにしているのか、足音もほとんど聞こえない。


 けれど、僕と目が合った瞬間、リズは小さく息を呑んだ。


「……ユキア様。起きていらしたんですか」


 髪は整え直されていたけれど、目元の疲れは隠せていなかった。

 頬の色も、いつもより薄く見える。


「リズ、寝てないよね」


「少し、休みました」


 少し、という言い方が、まったく休めていない時のそれだった。


「夜遅いし、もう寝ていいよ。僕は大丈夫だから」


「はい。……でも、眠れないので、大丈夫です」


「それは、大丈夫とは言わないと思う」


 そう言うと、リズは困ったように目を伏せた。


 責めたいわけではない。

 ただ、彼女はこういう時、自分の疲れを後回しにしすぎる。


「今は、少し側にいさせてください」


 声は控えめだった。

 けれど、いつものようにただ遠慮しているだけの声ではなかった。


 僕は迷った末に、小さく頷いた。


「……少しだけだよ」


「はい。ありがとうございます」


 リズが寝台のそばへ静かに近づく。


 その気配は、森で聞いた川の音よりずっと静かで、ずっと温かかった。


 僕はその気配を感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ