第22話 四男と冒険者とエルヴィン
急な問いに、僕は匙を持つ手を止めた。
「どう、と言われても……少しずつ、です。まだ思ったようにはいきませんけど」
「打ち込みは?」
「続けています。ニコ相手の時は、基礎を見てもらっているだけです」
「おう、ニコ。こいつの足運び、少しはましになったか」
急に話を振られ、ニコが口の中のものを慌てて飲み込んだ。
「え、ええと……僕が判断できるほどではありませんが、以前より受けにくいと感じる時はあります」
「ほう。なら上等だ」
ラウガは、なぜか自分のことのように満足そうに頷いた。
「……ありがとうございます。ラウガさんに見てもらったことも、無駄にはなっていないと思います」
「おう。分かってるじゃねえか」
「そこで自分から胸を張られると、少し言わなければよかった気もします」
「がはは! 遠慮すんな、もっと褒めろ!」
まったく遠慮のない人だ。
けれど、こうして僕の前進を喜んでくれることは、思っていたよりありがたかった。
「え……あの」
それまで会話を聞いていたミレアが、遠慮がちに口を開いた。
「爺さん、というのは……あの?」
「ああ。エルヴィンの爺さんだ」
ラウガが、いつもの調子で答えた。
「こいつは、爺さんが見てる坊主でな。魔力の扱いだの、身体の動かし方だの、いろいろ面倒を見てもらってる」
「エルヴィン様が、ですか!?」
さっきまで、僕に話しかけるだけでも緊張していたミレアが、突然、卓の上へ身を乗り出した。
その目は、明らかにさっきまでと違っていた。
「ど、どのようなことを教わっているんですか? 魔法ですか? 魔石の扱いですか? それとも、古い術の読み方を……?」
「落ち着いて、ミレア」
フィンが苦笑しながら止める。
「で、で、でも、エルヴィン様が直接見ておられる方なんですよね?」
「直接、というか……僕が通わせてもらっているだけです。魔石について教えていただいたり、訓練を見ていただいたりしています」
「では、どんな魔法を……」
期待を向けられると、答えに詰まる。
「すみません。僕はまだ、まともな魔法を使えるほどではないんです」
「え……?」
ミレアの目が瞬いた。
興奮が消えたわけではない。
ただ、その表情は、急に魔法使いらしい真剣さへ変わっていた。
彼女は、じっと僕を見る。
視線で何かを探るような、そんな目だった。
「……本当に、魔力の気配が……薄い、というより……感じられない、ような……」
その言葉に、リズとニコが揃ってこちらを見た。
初めてエルヴィンに言われた時ほどではない。
けれど、他の魔法使いにもそう見えるのだと思うと、胸の奥が、かすかにざわついた。
「こいつはな、魔力を扱うのが、とんでもなく下手なんだ」
ラウガが、ためらいもなく言い切った。
「……ラウガさん。もう少し言い方はなかったんですか」
「事実だろ」
「否定はできませんけど」
僕は、苦笑するしかなかった。
ミレアは、驚いたように目を丸くしていた。
やがて小さく息を吸い、もう一度、ラウガへ顔を向けた。
「それで、エルヴィン様が見ておられるのですか?」
「まあ、そういうことだ。爺さんも、最初はずいぶん妙な顔してたからな」
「そう、なんですね……」
ミレアはまだ納得しきれていないようだった。
それでも、さっきまでの緊張とは違う。
魔法使いとして、分からないものを前にした時の顔に見えた。
「ミレア、さっきまでの緊張はどこへ行ったんだい?」
フィンが、呆れたように笑った。
「あ……!」
ミレアは自分が身を乗り出していたことに気づき、慌てて椅子に座り直した。
「も、申し訳ありません……!」
「いえ。僕も、魔力のことは知りたいと思っているので」
「ユキア様も、ですか?」
「はい。まだ分からないことばかりですけど」
「……それでも、エルヴィン様が見ておられるなら、気になります」
小さな声だったけれど、そこだけは妙にはっきりしていた。
さっきまでのおどおどした様子とは、少し違う。
魔法に関わることになると、緊張するより先に、知りたい気持ちが出る人なのかもしれない。
なんとなく、親近感が湧いた。
僕も、魔石のことになると似たような顔をしている気がする。
「ユキア様、少し嬉しそうですね」
隣で、リズが小声で言った。
「そう見える?」
「はい。魔石のお話ができる方に会えたからでしょうか」
「……たぶん、そうかも」
僕が答えると、リズは納得したように微笑んだ。
その後も、食卓は賑やかだった。
ラウガは相変わらず大雑把で、フィンはそのたびに呆れたように笑っていた。
ミレアはまだ緊張を残しながらも、エルヴィンの話になると、また小さく身を乗り出しそうになっていた。
雨で採掘現場へは行けなかった。
けれど、今日ここへ出てこなければ、ラウガたちとこうして食卓を囲むこともなかっただろう。
◇
食事処を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
雨はまだ細く降っているものの、軒先から落ちる雫の音は、来た時よりずっと静かになっている。
「では、僕たちは戻ります」
「おう。また会うこともあるだろう」
ラウガが大きく手を上げる。
「明日、現場へ行けたとしても、浮かれすぎて転ぶんじゃねえぞ」
「転びません」
「そういう奴ほど危ねえんだ」
「最後までそれですか」
フィンが小さく笑った。
「今日は失礼したね、ユキア様。ラウガが先に教えてくれていれば、もう少しまともにご挨拶できたんだけど」
「俺のせいにするな」
「君のせいだよ」
「あ、あの……」
ミレアが、ためらいながら口を開いた。
「またお会いできましたら、エルヴィン様のお話を伺ってもよいでしょうか」
「僕に分かる範囲でよければ」
「ありがとうございます」
ミレアは、嬉しそうに頭を下げた。
「ユキア様、そろそろ戻りましょう」
グレンの声に、僕は頷く。
「はい。それでは、また」
僕たちは三人と別れ、滞在場所への道を戻った。
濡れた町並みには、まだいくつもの灯りが残っていた。
昨日は、雨の向こうに見えただけの町だった。
けれど今は、その灯りの一つ一つが、少しだけ近く感じられた。
◇
翌朝、目を覚ますと、雨音が消えていた。
昨日まで聞こえていた音がない。
それだけで、朝の空気が少し軽くなったように感じる。
僕は寝台から降り、窓へ向かった。
屋根も道も、まだ濡れている。
通りの窪みには水が残り、軒先からも時折しずくが落ちていた。
けれど、空は明るい。
雲の切れ間から差した光が、濡れた屋根の上を淡く照らしている。
「晴れたんだ」
自然と、口元が緩んだ。
その時、扉が軽く叩かれた。
「ユキア様、お目覚めですか?」
「起きてるよ、リズ」
扉が開き、リズが入ってくる。
その表情も、昨日の朝より明るく見えた。
「先ほど、エーベルト様からご連絡がありました。運搬路と、見学予定の採掘区画の安全確認が済んだそうです。本日は、採掘現場から見学を始められるとのことでした」
「そうなんだ。ようやく見られるんだね」
昨日、紙の上で辿った流れの始まり。
魔石が、地中から掘り出される場所。
雨で一日延びた分、少しだけ待たされた気はする。
それでも、その待ち時間も今日で終わりだ。
「支度するよ。朝食のあとに出発だよね」
「はい。グレンさんも、出発の支度を進めておられます」
「分かった」
僕はもう一度、窓の外を見た。
濡れた町は、差し込む光の中で、昨日よりくっきり見える。
今日、僕はその先へ行く。
ドリスタという町の奥にある、魔石の始まりの場所へ。




