第21話 四男は町の食事処に入る
声の方を向くと、大柄な獣人が、こちらへ向かって片手を上げていた。
外套を羽織っていても分かる、分厚い肩と大きな身体。
その隣には、ラウガと比べるとずいぶん小柄に見える二人が立っている。
「ラウガさん?」
「なんだ、お前、こんなところで何をしてやがる」
ラウガが、泥の道を気にも留めない様子で近づいてくる。
「それは僕が聞きたいです。どうしてドリスタに?」
「仕事だ、仕事。近くで少し用があってな。ちょうど片付いたところだ」
「そうだったんですね。僕は、昨日こちらへ着いたばかりなんです」
「ほう。何の用事だ?」
「父様から、こちらの仕事を見て学ぶように言われました。でも今日は雨で、採掘現場へ行けなくなってしまって」
「がはは! そりゃあ残念だったな」
ラウガの大きな笑い声を聞くと、知らない町の中に馴染みのある場所ができたように感じた。
「ユキア様、お知り合いですか?」
グレンが、警戒を解かないまま尋ねる。
「はい。エルヴィンの家で、何度か会っている方です」
「ラウガだ」
その言葉に、グレンはすぐ警戒を解いたわけではなかったけれど、剣呑な空気は少し薄れた。
「ラウガさんたちは、これから夕食ですか?」
「おう。そのつもりだ。連れとどこかで腹に入れようと思ってな」
ラウガが、親指で後ろを示した。
少し離れた場所にいた二人が、何の話だろうという顔でこちらを見ている。
「でしたら、僕たちもご一緒していいですか?」
「ほう。坊主が俺たちと飯か?」
「今日は、町の食事処で夕食を取ってみたいと思っていたんです。でも、僕たちだけでは、どの店がいいのか分からなくて」
そう言ってから、僕はグレンへ目を向けた。
「ラウガさんに案内してもらって、グレンも同行するなら、問題ありませんか?」
グレンは、ラウガと、その後ろの二人へ順に視線を向けた。
「店を確認した上で、私も同席するのであれば」
「だそうです」
「がはは! 護衛殿は堅いな。まあ、当然か」
「分かった。案内してやる。ただ、今日はいつもの店はやめておくか」
「いつもの店では、だめなんですか?」
「お前が気にしなくても、周りが気にするんだよ。領主様んところの坊主を連れて、騒がしい店へ入るわけにもいかんだろ」
ラウガはそう言ってから、離れた場所にいる二人の方を振り返った。
「おい、フィン、ミレア! こいつらも一緒に飯を食うぞ!」
ラウガが声を張ると、二人は揃ってこちらを見た。
小柄な男は一瞬きょとんとしたあと、すぐに呆れたような顔になり、若い女性とともにこちらへ歩いてきた。
「ちょっと待て、ラウガ」
近くまで来たところで、男が口を開いた。
「なぜ君は、こっちへ相談する前に話を決めるんだい?」
「一緒に飯を食うくらい、別に構わねえだろ」
「そういう問題じゃないんだよ」
近くで見ると、男は尖った耳を持つエルフだった。
成人の男性としては小柄で、ラウガの隣に立つと余計にその差が目につく。
隣の女性も小柄で、杖を抱えるように持ちながら、どこか落ち着かなさそうに視線を揺らしていた。
「こいつらは、今一緒に動いてる連中だ。小せえ方がフィン。もっと小せえ方がミレアだ」
「紹介がひどいね、ラウガ」
軽い声で返したのは、小柄なエルフの男性だった。
外套の下に弓を携えているが、物々しい感じはない。
ただ、僕たちへ顔を向けながらも、足元や通りの人の流れを自然に見ているようだった。
「フィンだよ。よろしくね、坊や」
「ユキアです。よろしくお願いします」
「礼儀正しいね。ラウガの知り合いにしては珍しい」
「おい、それはどういう意味だ」
「そのままの意味だけど?」
フィンが笑いながら返す。
もう一人は、小柄な人間の女性だった。
外套の留め具も荷物もきちんと整えられているのに、こちらへ向く視線は少し落ち着かない。
「あ、あの、ミレアです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします、ミレアさん」
僕が答えると、ミレアはほっとしたように小さく息を吐いた。
まだ僕を、ラウガの知り合いの子どもだと思っているのだろう。
こうして僕たちは、ラウガに案内されて、初めての町の食事処へ向かうことになった。
◇
ラウガが選んだ食事処は、通りに面した二階建ての木造の建物だった。
派手な看板はない。
けれど、入口の軒は深く、扉の脇には雨に濡れた外套を掛ける場所が整えられている。
窓から漏れる灯りも、通りに並ぶ店の中では落ち着いて見えた。
扉を開けると、雨の湿った空気の代わりに、温かな湯気と料理の匂いが流れてくる。
店の中は静かすぎるわけではないけれど、誰かの声が響き渡るような騒がしさもない。
奥の卓では、商人らしい男たちが帳面を閉じ、温かな皿に手を伸ばしていた。
壁際には仕事帰りらしい男たちもいたが、酒場のように騒ぐ者はいない。
貴族の屋敷で食べる食事とは、空気がずいぶん違う。
それでも、乱雑ではなかった。
皿を運ぶ足音も、卓の上で交わされる声も近いのに、不思議と落ち着いている。
「七人だ。入れるか?」
ラウガが店の者へ声をかける。
店の者は僕たちに一度視線を向けたあと、奥の大きめの卓を示した。
「あちらをお使いください」
「おう、助かる」
ラウガに続いて席へ向かう。
グレンは一度だけ店内へ視線を巡らせ、それから僕の近くの席へ座った。
護衛だからといって立ったままでいられる方が、かえって落ち着かないので助かる。
やがて運ばれてきた温かな煮込みから、白い湯気が上がった。
パンをちぎって一口食べ、続けて煮込みを口に運ぶ。
味そのものなら、屋敷で食べる料理の方が手が込んでいるのかもしれない。
けれど、周囲の話し声を聞きながら、町の店で食べる温かな煮込みは、思っていたよりずっと楽しかった。
「おいしいですね」
「だろ。気取った店じゃねえが、飯は悪くない」
ラウガはすでに僕の何倍もありそうな量を、豪快に食べ始めている。
「ラウガ、それ、味わってる? 流し込んでない?」
「腹に入れば同じだ」
「料理を出してくれた人の前では、せめてもう少し良いことを言いなよ」
フィンは呆れたように言いながら、自分の皿の料理を丁寧に食べ進めている。
ミレアはまだ少し緊張しているのか、小さな動きで匙を持っていた。
「しかし、ラウガの知り合いにしては、ずいぶん礼儀正しい坊やだね」
フィンが僕を見て、軽く笑う。
「身なりもきちんとしているし、どこかの商家の若様かな。それとも、町のお偉いさんの家の子かい?」
「お前は一言多いな。そりゃ礼儀くらいあるだろ。こいつはヴァンハルト家の四男だからな」
ラウガが、煮込みを食べる合間のような気軽さで言った。
その瞬間、フィンの手が止まった。
ミレアの匙も、皿の上でぴたりと止まる。
近くの卓から聞こえていた話し声まで、一拍だけ止まった気がした。
「……ラウガ」
「なんだ」
「そういう大事なことは、僕が坊やって呼ぶ前に教えてくれないかな?」
「別に坊やで間違ってねえだろ」
「年齢の問題じゃないよ。知っていたら、もう少し失礼の少ない挨拶を選べたって話だよ」
フィンは小声で抗議しているものの、その声には、まだ軽さが残っている。
一方で、ミレアはすっかり固まっていた。
「ラ、ラウガさん……本当に、大丈夫なんですか……? わたし、普通にご挨拶してしまって……」
「挨拶されて困ることはありませんよ」
僕がそう答えると、ミレアはさらに背筋を伸ばしてしまった。
「そ、そういう意味ではなくて……!」
「大丈夫だ。こいつは坊主だ」
「その説明で安心できるのは、たぶんラウガだけだよ」
フィンがため息混じりに言う。
そのやり取りに、途切れかけていた近くの会話も少しずつ戻ってきた。
けれど、ミレアが小さく「ヴァンハルト家……」と呟いた時、その表情には、ただ貴族子息へ失礼をしたという焦りだけではないものが混じっていた。
その固さには、覚えがある。
昨夜、リズたちから聞いた言葉と、どこか同じ方向を向いているように感じた。
「……兄が、以前こちらへ来たことは聞いています」
僕は匙を置き、姿勢を正した。
「もし、そのことで不快な思いをされた方がいるのであれば、申し訳ありません」
「ち、違います!」
ミレアは慌てて首を振った。
「ユキア様に何かされたわけではありませんし、その……ユキア様が謝られるようなことでは……」
「なら、よかったです」
よかった、と言い切っていいかは分からない。
けれど、ここで何があったのかを問い詰めるつもりもなかった。
「まあ、偉い家の人間と関わってりゃ、話が通じねえ奴に当たることもある」
ラウガが、まるで天気の話でもするように言った。
「ラウガさん、それを今、ユキア様の前で言って大丈夫なんですか……?」
「相手が貴族だろうが商人だろうが同じだ。好かれるために仕事してるわけじゃねえ。嫌われようが、困った時に真っ先に名が上がる。それが腕ってもんだ」
「それを言えてしまうのが、ラウガの困るところだよね」
フィンが苦笑し、それから僕へ向き直った。
「ただ、ここの当主殿は、好き嫌いで仕事相手を選ぶ方ではないと聞いているよ。役に立つかどうかを見る方だって」
「……それは、たしかに父様らしいですね」
褒められているのかどうかは微妙だった。
けれど、父にとっては役に立つかどうかがすべてだと言われても、僕には強く否定できないだろう。
僕がそう答えると、フィンは目を丸くした後、ふっと笑った。
「君、思ったより話しやすいね」
「そう言っていただけると助かります」
「ほらな。坊主は坊主だろうが」
「ラウガの説明の雑さが許されたわけではないからね」
卓の空気が、少しずつ柔らかくなっていった。
リズも、隣で小さく息を吐いたようだった。
「そういえば、坊主。爺さんのところでの稽古はどうだ」
食事が半ばまで進んだ頃、ラウガは唐突にそんなことを尋ねてきた。




