第20話 四男は雨の町を歩く
目を覚まして最初に聞こえたのは、昨日と同じ雨音だった。
とん、とん、と軒先を叩く音が、まだ薄暗い部屋の中に響いている。
到着した時ほど激しい雨ではないようだが、窓の向こうに見える屋根も道も、すっかり濡れたままだった。
「……まだ、降ってる」
僕は寝台の上で身を起こし、思わず呟いた。
今日は、採掘現場へ案内してもらえるかもしれない。
昨日、エーベルトたちからそう聞いた時から、ずっと楽しみにしていたのだ。
魔石が、地中から掘り出されるところ。
僕の手元に届く前の、一番最初の場所。
そこへ行けると思っていた分、窓の外の雨は少し恨めしい。
「ユキア様、お目覚めですか?」
扉の方から、リズの声がした。
「うん。入って大丈夫だよ」
「失礼いたします」
リズが部屋へ入り、窓の外を見て、眉を下げた。
腕には、今日羽織るための外套が丁寧に掛けられている。
「雨、続いてしまいましたね」
「うん。今日は採掘現場へ行くのは難しいかもしれないね」
「まだご連絡はありませんが……ニコさんが、案内の方が来られていないか、確認してくださっています」
その言葉のすぐ後に、控えめなノックが響いた。
「ユキア様、失礼します」
入ってきたニコは、いつもより少し申し訳なさそうな顔をしていた。
その表情だけで、なんとなく答えが分かってしまう。
「今日の予定、変更になりそう?」
「はい。朝食の後、エーベルト様から直接ご説明があるそうです」
「そっか」
残念ではある。
でも、理由が理由だ。
「分かった。まずは話を聞こう」
「はい」
ニコが小さく頷いた。
その反応を見て、昨夜聞いた言葉が、ふと頭をよぎる。
――違う方なら、少しは話が通じるといいんだがな。
朝からそればかり考えていても仕方がない。
けれど、僕が何気なく言う一言を、相手がどんな気持ちで受け取るのかは、忘れない方がいいだろう。
焦って兄とは違うところを見せようとするより、まずは、教えてもらうことをきちんと聞く。
それが、今日の僕にできることだ。
◇
朝食を終えた後、僕は昨日と同じ説明用の部屋へ案内された。
机の向こうには、エーベルトとオスカーが待っている。
エーベルトは僕の顔を見るなり、立ち上がって頭を下げた。
「ユキア様。本日は、その……大変申し上げにくいのですが……」
「採掘現場への案内は難しい、ということですよね」
「は、はい。雨で坑道周辺と運搬路の確認が必要になっておりまして。万が一にも、足場の悪い場所へご案内するわけには……」
エーベルトは、そこで言葉を切った。
断ること自体を、ひどく申し訳なく思っているらしい。
「安全確認が済んでいないなら、行かない方がいいと思います」
「……ありがとうございます」
「加工場や工房の方は、どうでしょうか」
「そちらも、雨で搬入の段取りが変わっておりまして。本日の見学は難しいとのことです」
「それなら、無理にお願いすることではありませんね」
「……ご理解いただけて、助かります」
答えながら、エーベルトは本当にほっとした顔をした。
昨日から気を遣う人だとは思っていたけれど、どうやら想像以上らしい。
その横で、オスカーが静かに書類を開いた。
「本日は、私から鉱山事業全体の流れについてご説明いたします。実際の現場については、安全と作業状況を確認した上で、後日それぞれの担当から説明を受けていただく形がよろしいかと」
「お願いします」
採掘現場へ行けなくなったのは残念だけれど、何も教えてもらえないわけではない。
僕は机の上の書類へ視線を落とした。
午前中、オスカーは、ドリスタで魔石がどう扱われているのかを順に説明してくれた。
魔石は、掘り出されれば終わりではない。
坑道から運び出され、加工され、使える品かどうかを確かめられ、倉庫へ収められ、それから町の外へ送り出される。
採掘する人。運ぶ人。加工する人。品質を確かめる人。そして、保管や出荷を担う人。
また、運搬路の安全確認や、町の周辺で問題が起きた時には、冒険者へ依頼を出すこともあるらしい。
昨日、雨の中で動いていた荷車や人たちは、そのどこかに関わっていたのだろう。
「実際の仕事については、明日以降、案内可能な場所からご覧いただきます」
「はい。楽しみにしています」
僕は頷きながら、もう一度、書類へ目を落とした。
◇
昼食を終えても、雨は止まなかった。
雨脚は、朝より弱まっている。
窓の外では、雨除けの外套をまとった人たちが、通りを行き来していた。
午後の予定は、明日の見学順が決まるまで特に入っていない。
部屋で書類を読み返すこともできる。それだけでは、せっかく町まで来た実感が薄い。
昨日、馬車の中から見えたのは、荷車と倉庫と、雨の中で働く人たちだった。
なら、自分の足で歩けば、また違うものが見えるかもしれない。
「リズ、ニコ。午後、少し町を歩いてみたいんだ。それで、できれば夕食も町の店で取ってみたいと思うんだけど」
僕が言うと、リズが窓の外へ目を向けた。
「町へ、ですか?」
「うん。昨日は馬車の中から見ただけだったし、町の店で食事をしたこともないから」
「でしたら、エーベルト様とグレンさんへお伺いする必要があると思います」
「そうだね。聞いてみよう」
エーベルトへ申し出ると、彼はやはり困ったように両手を組んだ。
「町を……歩かれるのでございますか?」
「はい。昨日は馬車の中から見ただけでしたから、人が暮らしている通りを、見てみたいんです」
「それは、その……もちろん、町へお出になることを禁ずる理由はございませんが、雨で道も悪く、人通りも普段とは異なりますので……」
「護衛は私が同行いたします」
そばに控えていたグレンが、簡潔に言った。
「作業場に不用意に近づかず、人の多すぎる場所を避けるのであれば、町歩きそのものに問題はないかと」
「そ、そうですね。グレン殿が同行されるのであれば……」
エーベルトは、それでもまだ不安そうに僕を見た。
「それと、できれば夕食は、町の食事処で取ってみたいんです」
「食事処、でございますか」
今度は、本当に返事が止まった。
「僕、町の店で食事をしたことがないんです。この町で働いている人たちが、どんな場所で食事を取るのか、見てみたくて」
もちろん、それだけではない。
せっかく初めて来た町なのだ。外の店で食事をしてみたい、という単純な興味もあった。
ただ、エーベルトはすぐには答えなかった。
昨日までなら、僕が何を言い出すか警戒しているのだと思ったかもしれない。
今は、その警戒に加えて、少しだけ戸惑っているように見える。
「……承知いたしました」
やがて、エーベルトはゆっくり頷いた。
「グレン殿と、リズ殿、ニコ殿が同行されること。足元の悪い場所や、荷車の出入りが多い場所には近づかれませんよう。それから、夕食につきましては、なるべく落ち着いた食事処をお選びいただければと」
「分かりました。ありがとうございます」
「い、いえ。ただ、その……雨脚が強くなりましたら、すぐにお戻りください」
「はい。気をつけます」
どうやら、許可をもらった後も、エーベルトの心配は尽きないらしい。
◇
昼食の後に外出の許可をもらい、雨脚がもう少し弱まるのを待った。
実際に外へ出た頃には、午後もだいぶ過ぎていた。
空は相変わらず灰色だけれど、昨日のように視界を遮るほどではない。
軒先から落ちる水が、通りのあちこちに小さな水たまりを作っている。
馬車の窓からでは、見えなかった店がいくつもある。
入口の内側に、深い青や赤茶の布地を積み重ねた店。
厚手の外套や、形の整った革靴を並べた店。
小さな髪留めや、外套を留める金具を木箱へ並べた店。
ある雑貨屋の戸口には、木を削って作ったらしい、小さな動物の人形も並んでいた。
それを見て、部屋の机に置いてきた、シリウスのフォルフの人形を思い出す。
シリウスは、僕が帰ったら、きっとドリスタの話を根掘り葉掘り聞いてくるだろう。
帰る前に、あいつが喜びそうなものを一つ探してみてもいいかもしれない。
雨に濡れた通りは灰色なのに、店先には思っていたよりずっと多くの色があった。
夕方が近づき、店先に灯りがともり始めると、濡れた道のあちこちに柔らかな光が落ちる。
僕は歩く速さを少し落として、その一つ一つへ目を向けた。
食事処の扉が開くたび、温かな料理の匂いが通りへ流れてくる。
気づけば、夕食にはちょうどよい頃合いになっていた。
どの店に入るのがよいだろう。
そう思って、通りの先へ目を向けた時だった。
「おう、坊主!」
雨の中、聞き覚えのある大声が響いた。




