第2話 魔力なし四男は静かに朝食を済ませたい
食堂へ向かうと、入口近くで聞き慣れた声がした。
「おいユキア、眠そうだな」
振り向くと、カシムがこちらを見てにやりと笑っていた。
次男のカシム。僕より四つ年上で、立ち回りがうまい。父の前ではそれなりに取り繕うが、下に見た相手には遠慮がない。
「魔力なしは朝も弱いのか?」
「おはようございます、カシム兄様」
僕はできるだけ穏やかに返す。
言い返して得する場面ではない。こういう時は、やわらかく流すのが一番だ。
すると、隣にいたザッカスがすぐに乗ってきた。
「ははは、魔力がないと起きるのも大変なんだろ」
ザッカスは三男で、カシムより一つ下。勢いで声を張るのは得意だが、基本的にはカシムの後ろにいる時に強い。
「ちゃんと起きられましたよ」
「ふん、どうだか」
「ユキアにいさまを悪く言うな!」
小さな声が、思ったより大きく響いた。
シリウスだった。
僕より一つ下の弟は、まだ幼さの残る顔を真っ赤にして、カシムとザッカスをにらんでいる。
「ユキアにいさまはすごいんです!」
シリウスは胸を張った。
「何がすごいんだよ」
「すごいからすごいんです!」
一瞬、場が止まった。
その言い分は、まったく理屈になっていない。
でも、シリウス本人は本気だった。
次に、ザッカスがぷっと吹き出す。
「ははっ、なんだよそれ。理由になってないぞ」
「シリウス、お前も大変だな。魔力なしをかばうなら、もう少しましな言い方を覚えた方がいいぞ」
カシムが肩をすくめる。
からかい半分、見下し半分。子どもの言葉にしては、嫌な混ざり方だった。
僕は、シリウスのあまりに真剣な顔に、少しだけ笑いそうになった。
それをこらえて、シリウスの肩に手を置く。
「ありがとう、シリウス。でも大丈夫だから」
「でもっ」
「カシム、ザッカス。そこまでにしておけ」
穏やかな声が割って入った。
長兄のヨハンだった。
ヨハンは僕より六つ上で、跡継ぎ候補として扱われている。穏やかで、真面目で、家の空気をよく見ている人だ。
「朝から弟をからかうものではない」
「冗談だよ、ヨハン兄上」
カシムは肩をすくめた。
さっきまでのにやついた表情を、慌てて取り繕った。
「そうそう、軽い冗談です」
ザッカスも慌てて続いた。
「冗談であっても、食堂の前で騒ぐのは見苦しいですわ」
今度はリーゼロッテの声がした。
姉のリーゼロッテは、きちんと整えた髪を揺らさずに、僕たちを見ている。
「ヴァンハルト家の子として、場をわきまえなさい」
「はいはい、分かってるよ、姉上」
カシムが面倒くさそうに息を吐く。
リーゼロッテの言葉に従う気はあるらしい。
ただし、反省する気まではなさそうだった。
「……はい」
ザッカスが肩を落とす。
リーゼロッテの言い方は冷たいが、父の前で騒ぐよりはずっとましだ。
こうして見ると、兄弟にもそれぞれ役割がある。
からかう者。便乗する者。止める者。礼儀で抑える者。怒る者。
そして僕は、できれば波風を立てずにその間を通り抜けたい者である。
平穏って、意外と難しい。
食堂に入ると、すでに母マリアンヌが席についていた。
柔らかい目で僕たちを見て、静かに微笑む。
「おはよう、みんな」
「おはようございます、母様」
僕たちがそれぞれ挨拶をして席につくと、ほどなく父アルノルトも入ってきた。
空気が少し締まる。
父はむやみに怒鳴る人ではない。けれど、その場にいるだけで背筋が伸びるような圧がある。
ヴァンハルト家当主。家のため、領地のため、結果を求める人。
「始めろ」
短い一言で、朝食が始まった。
並べられた料理は、十分に整っていた。
白めのパン。温かい野菜のスープ。卵料理。薄く切られた肉と腸詰め。小さな果物。
平民や使用人の食事と比べれば、かなり恵まれているのだと思う。
厨房の人たちが朝早くから動いてくれたから、こうして温かいものが食べられる。
不満を言える立場ではない。
それは分かっている。
それでも、前世の感覚が残っている僕には、どうしても少し物足りなかった。
パンは腹にたまる。
スープも温かい。
肉も、朝から出るだけで十分に贅沢だ。
でも、味の方向がどこか単調なのだ。
塩気と脂と、素材の味。
悪くはない。悪くはないのだけれど。
……米が食べたいなぁ。
ふと、前世の食卓を思い出す。
白いご飯。味噌汁。焼き魚。卵焼き。
あの、湯気の立つ白いご飯に、少し濃い味のおかずをのせる感じ。
それだけで朝がちゃんと始まる気がしていた。
この世界の食事は、決して貧しくはない。
けれど、僕の中のどこかが、別のものを欲しがっている。
米は別腹だと思う。
いや、別腹というか、心の故郷である。
「シリウス、スープは熱くない?」
母が、隣のシリウスへそっと声をかけた。
「だいじょうぶです、かあさま!」
シリウスは元気よく答えたあと、慌てて匙を持ち直す。
勢いのまま飲もうとしていたらしい。
「ゆっくりでいいのよ」
母は小さく笑い、それから僕にも視線を向けた。
「ユキアも、熱ければ無理をしないでね」
「はい、母様。大丈夫です」
母の声は柔らかい。
僕だけを特別に庇うわけではない。けれど、見ていないわけでもない。
そのくらいの距離が、今の僕にはありがたかった。
カシムとザッカスは父の前では大きく騒がない。
ヨハンは静かに食べ、リーゼロッテは姿勢を崩さない。
シリウスは僕に話しかけたそうに何度もこちらを見るが、食事中なので必死に我慢している。
がんばれ、シリウス。
あと少しだ。
朝食が終わりに近づいた頃、父が短く告げた。
「今日は客が来る」
それだけだった。
誰が来るのか。何の用なのか。
説明はない。
客の用向き自体は、たぶん僕たちに関係のあるものではない。
客の前で騒ぐな。
廊下を走るな。
ヴァンハルト家の子として、見苦しい振る舞いをするな。
要するに、そういう意味なのだと思う。
ヨハンが軽くうなずき、リーゼロッテが姿勢を正す。
カシムは興味を示したが、父がそれ以上話さないと分かると、すぐに黙った。
僕も深くは聞かなかった。
六歳の四男に関係のある客など、そうそう来ない。
来たら来たで、それはそれで少し怖い。
そう思って、僕は食後の茶をひと口飲んだ。




