第12話 魔力なし四男は獣人に問う
獣人の男――ラウガは、部屋に入ってからも遠慮らしい遠慮をほとんど見せなかった。
古い小宅の床板が、ぎしり、と小さく鳴る。
それだけで、さっきまで冷たい魔石を見つめていた空気が、少し違うものになった。
「爺さん、茶はあるか」
「来て早々それか」
「遠くから来た客には茶くらい出すもんだろ」
「客らしく扉を叩けるようになってから言え」
「壊してねえからいいだろ」
「壊れなければよいというものではないわ」
エルヴィンは面倒くさそうに杖を手に取り、椅子へ戻る。
ラウガは遠慮のない足取りで部屋の中へ入り、壁際に置かれていた椅子を引いた。
椅子が、少し不安そうな音を立てた。
……その椅子、大丈夫だろうか。
獣人の男は、まるで気にした様子もなく部屋を見回す。
壁際に積まれた本。
机の上の紙束。
棚に並んだ古い魔石や、用途の分からない道具。
「新しい家でも、結局これか。爺さん、本に埋もれるのが好きだな」
「本は静かでよい。お前と違ってな」
「俺も静かにできるぞ」
「できてから言え」
即答だった。
獣人の男は、がはは、と笑った。
それから、ようやく僕の方へ視線を向ける。
「で、この坊主は何なんだ?」
「こやつはユキア。ヴァンハルト家の四男じゃ」
「貴族の坊主か。魔法談義でもしてたのか?」
魔法談義。
そう聞くと、なんだか少し格好いい。
「魔法以前の話じゃ」
エルヴィンは、何でもないことのように言った。
「魔力を巡らせられんようじゃ」
付け足すように、エルヴィンが言う。
僕は思わず肩に力が入った。
魔力を巡らせられない。
その言葉は、屋敷で聞き慣れた別の言い方にすぐ結びつく。
魔力なし。
魔力足らず。
そういう言葉を聞いた時、人はだいたい二通りの反応をする。
心配するか。
見下すか。
どちらも慣れているつもりだった。
慣れてはいるけれど、好きなわけではない。
ラウガは僕をもう一度見た。
肩から腕、顔、足元。
それから、首を傾げる。
「魔力足らずか? そうは見えねえけどな」
その声には、心配も軽蔑もなかった。
ただ、聞いたことをそのまま飲み込むには、少し引っかかると言っているような声だった。
「そう見えませんか」
「ああ。なんとなくだがな」
「なんとなく、ですか」
「おう。うまく言えねえ。そう見えたってだけだ」
ラウガは椅子の背に身体を預け、豪快に笑った。
「まあ、すぐ倒れそうな坊主って感じじゃねえ」
「……ありがとうございます」
褒められたのかどうか、少し判断に困る。
でも、たぶん悪い意味ではない。
エルヴィンは、そんな僕たちのやり取りを横目で見ていた。
それから、顎でラウガを示す。
「身体の動かし方なら、儂よりこやつに聞け」
「おい爺さん、俺に子どもの先生をしろってのか」
「先生など上等なものではなかろう」
「それはそれで腹立つな」
ラウガは文句を言いながらも、本気で嫌がっているようには見えなかった。
エルヴィンも、ラウガの扱いに慣れている。
古い知り合い、という感じがした。
口は悪いけれど、言葉の端に変な棘はない。
エルヴィンは本や魔石、魔力の話になると、こちらの分からないところを鋭く突いてくる。
対してラウガは、部屋に入ってきた時から、身体の厚みや動きの軽さで目を引いた。
昔やったゲームなら、エルヴィンは後衛の魔法職。
ラウガは前衛の戦士職。
そんな雑な分け方をしたくなるくらい、二人の雰囲気は違っていた。
……本人たちに言ったら、二人そろって変な顔をしそうなので、口には出さないけれど。
「聞けと言われましても」
僕はラウガを見上げた。
何を聞けばいいのか。
魔力のことなら、エルヴィンに聞いても、僕には分からないことばかりだった。
身体のことなら、自分で動かしているはずなのに、もっと分からない。
けれど、力を込める時、筋肉に力が入る感覚は何となくあった。
この世界の人は、身体を動かす時に魔力も自然に使っているらしい。
なら、僕が筋肉に力を入れるように、ラウガの中にも魔力を使う時の手がかりが、どこかにあるのではないだろうか。
少し考えてから、僕は口を開いた。
「ラウガさんは、戦うのは得意なんですか」
「まあな」
「どうやって戦うんですか?」
「近づいて、ぶん殴る」
とても分かりやすい答えだった。
「魔法は使わないんですか」
「そっちはあんま得意じゃねえな」
「殴る時、何か意識しているものはありますか」
「あ?」
「力を込める時です。どこを使っている感じがするのか知りたいんです」
ラウガは、きょとんとした顔になった。
「……変なことを聞く坊主だな」
ラウガはそう言って、拳を握った。
「殴る時は、こうだ」
ぶん、と空気が鳴った。
いや、たぶん本当に鳴った。
僕の目の前ではない。
ラウガは、何もない空間へ軽く拳を出しただけだ。
けれど、その拳は僕の目にはほとんど追えなかった。
「速っ……」
思わず声が漏れる。
「おい、家を壊すなよ」
「壊してねえだろ」
「壊さなかったことを褒める気はないぞ」
「爺さんは相変わらず細けえな」
「お前が雑すぎるんじゃ」
二人はそんなやり取りをしてから、何事もなかったようにこちらを見た。
「で、何を意識してるかだったな」
ラウガは自分の腹を軽く叩いた。
「この辺だ。腹の奥、って言えばいいのか」
「腹の奥……」
「腕だけで殴ると軽い。強くやる時は、そこから始まる感じだな」
「そこから、始まる?」
「おう。腹の奥が先に動いて、腕はあとからついてくる。そんな感じだ」
ラウガは顔をしかめた。
「うまく言えねえ。俺はそうやって動いてるってだけだ」
説明としては曖昧だ。
エルヴィンが理屈として聞けば、眉をひそめるような言葉なのだと思う。
でも、僕には引っかかった。
腹の奥。
そこから腕へつながる感覚。
分かるわけではない。
むしろ、まだ何も分からない。
けれど、前にエルヴィンから「どうやって身体を動かしておる」と聞かれた時とは、少し違う。
何もないところを探しているのではなく、どこかに手をかける場所ができたような気がした。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことは言ってねえぞ」
「それでも、考える材料にはなりました」
「変な坊主だな」
ラウガはそう言って、がはは、と笑った。
変な坊主。
最近、似たような扱いを受けることが増えた気がする。
まあ、魔力なし扱いの僕が、元冒険者の老人の家で、獣人に身体の動かし方を聞いている。変と言えば変なのかもしれない。




