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第二十二章 選択

風が、

砂を運んでいく。


乾いた音が、

遠くで鳴っている。


母は、

相変わらず腹をさすっていた。


ゆっくり。

同じ速さ。

同じ軌道。


止まらない。


ユリは、

一歩、前に出た。


喉が、

ひどく渇いている。


唾を飲み込むと、

音が、やけに大きく聞こえた。


――吸う。

――吐く。


呼吸を、

意識しないと、

崩れてしまいそうだった。


「……」


何か言おうとして、

やめる。


言葉は、

ここでは、

意味を持たない。


母は、

腹をさする。


変わらない。


その手の動きだけが、

世界の中心みたいに、

続いている。


ユリは、

もう一度、息を吸った。


肺が、

痛むほど深く。


胸が、

上下する。


「……」


レイが、

少し後ろに立っている。


何も言わない。

止めもしない。


リオナは、

両手を強く握りしめている。


指先が、

白くなっている。


エリカは、

視線を逸らしていない。


瞬きすら、

忘れている。


――吸う。

――吐く。


心臓の音が、

耳の内側で鳴る。


どくん。

どくん。


ユリは、

自分の指を見た。


噛めば、

血が出る。


それだけのこと。


それなのに、

指が、

うまく動かない。


「……」


母の手が、

腹をなぞる。


ゆっくり。

一定。


まるで、

そこにしか、

時間が流れていないみたいに。


ユリは、

目を閉じた。


――これ以上、

――生まれないように。


――これ以上、

――行き先を失わないように。


――これ以上、

――泣かせないように。


息を吸う。


肺が、

いっぱいになる。


吐く。


震えが、

指先に伝わる。


それでも、

目を開けた。


「……」


ユリは、

自分の指を、

口に運んだ。


歯が、

皮膚に触れる。


一瞬、

ためらい。


その間にも、

母の手は、

腹をさすっている。


変わらない。


ユリは、

歯を、

噛みしめた。


血が、出た。


鉄の味。


温かい。


一滴、

指先から落ちる。


砂に、

吸われる。


ユリは、

ゆっくりと歩み寄った。


足音が、

砂に沈む。


母は、

こちらを見ない。


腹をさする。


ユリは、

膝をついた。


目線が、

同じ高さになる。


呼吸が、

荒くなる。


吸う。

吐く。


震える手で、

指を差し出す。


「……」


言葉は、

最後まで、

出なかった。


母の唇に、

血を触れさせる。


一瞬。


母の手が、

止まった。


腹をさする動作が、

初めて、

途切れる。


血が、

口の中に入る。


次の瞬間。


衝撃。


音は、

遅れてきた。


どん、

という、

腹の底を叩くような振動。


母の身体が、

大きく揺れる。


ユリは、

反射的に、

目を見開いた。


腹部が、

膨らむ。


呼吸が、

止まる。


母の顔が、

ゆっくりと上がる。


初めて。


笑った。


口角が、

わずかに上がる。


嬉しいとも、

悲しいとも、

言えない笑み。


――解放。


次の瞬間。


爆発。


音が、

世界を引き裂く。


赤い光が、

視界を埋める。


砂が、

舞い上がる。


母の腹が、

裂け、

血が、

四方へ飛び散る。


ユリは、

後ろに吹き飛ばされた。


呼吸が、

一瞬、

完全に止まる。


「……っ!」


背中が、

砂に叩きつけられる。


息を吸おうとして、

咳き込む。


――吸う。

――吐く。


目を、

必死に開く。


母は、

もう動かない。


崩れ落ちた身体。


血に染まった砂。


風が、

赤を広げていく。


リオナは、

声を出せなかった。


エリカは、

唇を噛み、

涙を流さなかった。


レイは、

ただ、立っていた。


ユリは、

砂の上で、

仰向けのまま、

空を見ていた。


呼吸が、

整わない。


吸っても、

肺が足りない。


吐いても、

胸が苦しい。


それでも。


生きている。


「……終わった……」


声が、

かすれる。


誰も、

答えない。


砂丘の向こうで、

風が、

いつも通り吹いている。


もう、

腹をさする動作は、

存在しない。


新しい命が、

生まれることはない。


その事実だけが、

静かに、

そこに残っていた。


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