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第120話 敗北者は舞い戻った

「臭い……」


マナエルの城壁外から内へと通じる、北の汚水排水口。


ここは私が八年前にマナエルに潜入した時と変わらない。


ここの匂いと光景は私がかつて働いていた場末の酒場のスライム浄化槽を彷彿とさせる。


私は敗北し、またこの汚物の流れる空間へと舞い戻ってしまった。


そう、来る日も来る日も汚物の酷い匂いの中、果てしない清掃を繰り返した日々。


決して戻るまいと決心し、必死でもがいて、もがいて、ようやく抜け出したあの空間へと――


私は再び舞い戻ってしまったのだ。



裁判の被告人席についたその時は、単なる絶望では言い表せない、深い絶望の淵へと沈み込んだ。


しかし、そのどん底で、魔王様の温かいお言葉と慈悲深い判決を受けた。


魔王様はこんな私を助けようとしてくださっていた。


そして、潜入任務の遂行を通して、私に魔王軍への復帰のチャンスをくださった。


じわじわと、魔王様の温情が私に染み込み、私は目が覚めた。


これは、知り得た脅威を、知ろうとしなかった私の罪。


誰のせいでもない、この罪の故に私は敗北したのだ。


私は決心した。


この受けた温情を必ずお返しすると。


この任務を必ず成し遂げ、再び私は魔王様の元へと帰るのだと。


確かに今、私は汚水に塗れている。


しかし、以前とは明確に違うものがある。


かつての私は、ただひたすらこの空間から逃れるためにあがいていた。


でも、私は今、大きな目標に到達するために、この空間を切り開いているのだ。


だから耐えることができる。


過去のトラウマを乗り越えることができる。


この空間の先に、魔王様への忠誠の道が繋がっているのだ。



私は裁判後、最低限の荷物が入ったマジックバッグを渡され、魔王城の転移陣からゴブリンダンジョンへと飛ばされた。


ゴブリンダンジョンはマナエルの南側にあり、当初私はマナエルの南側から侵入することを試みた。


しかし、少し進んで分かったことがあった。


マナエルの南側は広い範囲に聖法力が漂っていて、近付くことができない状態だったのだ。


東の大地でなぜこんな広範囲な聖法力のエリアが広がっているのか分からないけれど、確かにこんなエリアが広がればスライムなんて弱い魔物は生存できなくなってしまう。


あの特異点の正体、それはこの聖法力の発生源だったに違いない。


シャドウオウルが何度も未帰還だったのも、おそらくこの聖法力のエリアのせいだったのだろう。


私はそんな空間に何度もシャドウオウルを飛ばし続けていたのだ。


今さらながら、自分の愚かさが良くわかった。


私は南側からの侵入を諦め、東の草原の戦場跡を経由して北側に回り込むことにした。


幸い、人間どもは戦勝祝いでみな城内で騒いでいるらしく、東の草原には誰もいなかった。


種族的に私は夜目が利くため、戦場跡の状態を確認することができた。


大きな穴がいくつも大地に穿たれ、また、小型種、中型種の陸亀トータスの遺骸が陣地内に残されていた。


よく見ると、小型種の陸亀の遺骸は防壁として使われており、この防壁で中型種の攻撃を防ぎつつ、陣地内に誘い込まれて討たれたことがわかった。


私はこの情報も必ず持ち帰らなければと、簡単なスケッチを描いて記録に残した。


人間どもはこのような知恵を使って戦術を組み立てて勝利したのだ。


裁判の時に見た映像だけではよく分からなかった情報だ。


我々は単に個体能力頼りの力任せの戦い方、一方、人間どもは知恵と創意工夫の戦術を駆使して戦う。


端から勝てるはずがなかったのだ。


私は東の草原での情報収集の後、北側へと急いだ。


城壁沿には野営テントが多数見受けられたので、近づきすぎないよう注意して進んだ。


北側の城壁沿い、城門近くにはワイバーンの遺骸が残されていた。


周辺を警戒しつつ近づくと、ワイバーンは大型の弓矢のようなもので撃ち抜かれており、その矢によって絶命したことが分かった。


私はこの光景もスケッチで残した。


情報収集しつつマナエルの外周を大回りしたため、東の空が白み始めていた。


さすがに夜が明けると人間どもが城外に出てくる。


私は八年前に侵入した排水口に急いだ。


少し進むと程なく排水口に到着し、私はそこから侵入することができた。


このようにして私は、この空間に舞い戻ってきたのだ。



「これからの時間では、街中に侵入するのは無理ね……夜までここでやり過ごすか……」


私は危険な時間をやり過ごすために、夜まで下水道内にとどまることを決めた。


私はマジックバッグに手を入れ、中にあった硬いパンと水筒を取り出し、食事をすることにした。


裁判後から飲まず食わずだったので、周りの匂いは酷かったが、それに耐えて食事をすることができた。


私はその後、周辺の状況を調べ始めた。


「ここにはスライムが生き残ってたわね……」


その結果、諜報用のスライムが生き残っていることが分かった。


私は下水道内にいるスライムたちを使って、情報収集を開始した。


どうやら、あの聖法力のエリアはここまでは届いていないようで、スライムたちは自由に移動できた。


そしてしばらく後、人の声を感知した。


その感知した場所は、私のいる所からさほど遠くない位置、それは私がかつてあの女、マナエル公爵婦人を殺害した場所だった。


私はスライムを通じてその声を聞き取るため集中した。


声の主は女だった。


『お母様、ごきげんよう。本当はお墓の方へご報告に行こうかと思ったのですが、お母様に呼ばれた気がして、今日はここに参りましたの――』


私はその声を聞いて目を見開いた。


(この女、今『お母様』と言った……それはあの公爵夫人のことだ! そして今、そこにいるのは公爵令嬢!?)


『お母様、私たちトータスダンジョンのスタンピードに勝利できましたの。みんな頑張りましたのよ。お母様に紹介したい人たちがたくさんいますの――』


私は彼女の声を聞きつつ、移動した。


(これはチャンスだわ! 城壁内はおそらく、あの聖法力のエリアが広がっていて侵入は困難。でも、もし私がこの女を捕らえて連れ帰れば、マナエルの現状をこの女から聞くことができる!)


私は八年前、公爵夫人に襲いかかった時に隠れた下水の分岐路に身を隠し、彼女の様子をうかがった。


もう、この距離ならスライムを通じてでなくても彼女の声が聞こえる。


「お母様、私たちは誰一人欠けることなくマナエルを守り切りましたわ。そして、これからも守り通しますわ。この街を、愛する民を――」


彼女は私に背を向けて、手には大きな花束を持っている。


武器は所持していない。


格好としては法術師の服装のようだ。


(法術師なら身体強化はない。私でも格闘で倒せるはず……)


私は魔王軍に入った時、格闘教練で優秀な成績を収めた。


(大丈夫……息を整えて……)


「お母様、私たち、お母様の無念を晴らせましたでしょうか? ―――」


私は彼女の声を聞きながら、襲いかかるために身構えた。


しかし、次の言葉を聞いて一瞬で凍りついた。


「―――ねえ、そこに隠れている方、あなたはどう思われますか?」


(バ、バレてた! どうする!?)


「いつまで隠れておられるのですか? そろそろ、お顔を拝見したいですわ」


(逃げるか!? ……いや、無理だ! ここから逃げたとしても、すぐに追っ手をかけられて捕縛される! ならば!)


「ごきげんよう。私の名はリリス、お名前をうかがってもよろしいですか?」


私は下水の分岐から出て、彼女の前に進み出た。


(まずは、この女の素性を調べること! そして、隙を生み出し格闘で無力化する!)


「あら、珍しい。まさか、魔族の方が隠れているとは思いませんでしたわ。私の名はキャサリンですわ」


(キャサリン! 間違いない公爵令嬢だ! どうやって隙を生み出す?)


「ひょっとしてマナエル公爵令嬢のキャサリン様ですか? 私はあなたのお母様と面識があります」


(母親の情報を出して、激昂させ、隙を作ろう!)


「あら、お母様とあなたに何の面識がありますの? ――敵同士なのに……」


(怒気が強まった!)


「私は八年前、ここであなたのお母様に会いました。そして、私はプレゼントを渡しました」


(彼女の目が細まった! 私の素性を察し始めた!)


「プレゼント? どんなプレゼントですの?」


私は密かに足元まで誘導していたスライムを拾った。


そして、それを彼女の前に突きつけて、


「スライムを差し上げました」


と言い放った。


その瞬間、彼女の怒気は最高に高まり、彼女の視線は私を射抜いた。


(今だ!)


私は膝を沈め、一気に彼女の懐へと飛びかかろうとした。


だが、その瞬間――何かが私の視界を完全に塞いだ。


それは、彼女が先ほどまで胸に抱えていた、あの大きな花束だった。


「なっ!」


私の動きはその花束によって止められてしまった。


そして次の瞬間、その花束は目の前から落ち、下の水路へと水音を立てて落ちた。


「がっ!!?」


私は急に息ができなくなった。


目を前に向けると公爵令嬢はおらず、私の首は彼女の腕によって絞め上げられていた。


(い、息が……できな……い)


私の視界は白い靄がかかり始めた。


(ま、魔王……様。申し訳……ございませ……ん)


薄れゆく意識の中で、私は背後の公爵令嬢から、震えるような声を聞いた。


「お母様、ありがとうございます。これでお母様の名誉を回復できますわ。でも、申し訳ございません。私……あなたの仇を討てませんでしたわ……」


私の肩に温かい水の雫がひたたり落ちていた。


それが私が感じた最後の感覚だった。



【おしらせ】

母との幼き頃の思い出と無念の死を胸に、密かに刃を研ぎ澄ました、キャサリンの学生時代のイメージソングができました。楽曲としても普通にお楽しみいただけるかと思います。ぜひ一度お聞きください。ミオ、シルビアのイメージソングも公開中。こちらもよろしくお願いします。


【キャサリンのイメージソング:想いはまだ見ぬ故郷へ】

https://youtu.be/wgmskcBoWYw?si=5pMXzt_bRvkFloCf

サビのショート動画

https://youtube.com/shorts/EmA2IYJjmzQ?si=jpWa4EzU_LFLyKIp


【ミオのイメージソング:君の笑顔が戻るまで】

https://youtu.be/l-oznzCxZr8?si=nyLbF2UyR2D0xMj0

サビのショート動画

https://youtube.com/shorts/MO1k5GbANwU?si=iCb0yZU19thdnc-I


【シルビアのイメージソング:Secret Glasses】

https://youtu.be/QFSVpzDZsjU?si=xNK6MMjQdscZ99EP

サビのショート動画

https://youtube.com/shorts/aNrWPGbyeP4?si=lj6nO_xU_iF2QD8o


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