5:旅立ち
馬貸家にて前金を払い、栗毛の馬を一頭借りる。
王宮にいる馬を連れてくるか迷ったが、チェルレアーン地方は流浪の民が集う場所だ。彼らの中に入るには、見るからに金を持っていると思わせない方がいい。
(チェルレアーンに入る前に返却し、そこから徒歩か移動定期便だな……)
「――よろしくなあ、相棒」
ジェイスは馬に声をかけて挨拶し、相手が慣れてきたところで慣らし乗りをした。
なかなか賢い馬だ、悪くない。
今夜はこのまま休ませて、明日の朝からの出発にするつもりだった。
ジェイスは柵の外に出て香煙草の箱を取り出した。
残りはいよいよ一本となっていた。
『そういくつも買えやしないけど、2箱程度なら大丈夫』
――厳しい家計の中、こうして値の張る嗜好品を買ってくれた。
気は強いが心優しい少女だった。
点火して、ゆっくりと味わいながらジェイスは少女の父親の事を考える。
自分のせいで汚名を被り、警邏の処刑により殺されたロイス・べガレット。最後まで口を割らなかったと聞いた。
自分が彼の娘にしてやれることは、今はあれが精一杯だ。
だがいつの日か。そう、いつの日か。
それは遠い日の話ではない。
期日はシルヴィアの戴冠日。そこで決着をつける。
そうして、全てが終わったその時こそは、あの少女――チュリカ・べガレットには弟と共に然るべき良い環境を与え、幸せにしてやろう。
彼女は磨けばどこまでも光り輝く原石なのだから。
『――金剛血審石の神秘を目の当たりにした瞬間、私は魂が震え、畏怖しました。
気高く緋色に輝く様は、まさに建国聖霊の力を具現化したかのようでした』
教鞭を取ってくれていたロイスの言葉は、今でもはっきりと覚えている。
『チュリカ』。
古語で『緋色』と、そう名付けたロイスの真意は彼にしか分からない。
けれど、きっとその名に見合う美しく気高い娘になるのだろう――。
つらつらと思いにふけりながらジェイスが煙草をもみ消していると。
「たぁ~いちょおおおお~ぅ!」
遠く後方から聞き覚えのある声が届いた。ぎょっとしてジェイスが振り向くと。
部下の一人であるアスクが、旅装束の格好で息をきらしながら走ってくるのが遠くに見えた。
すぐ後ろには男装したレイアまでいる。
「なぁーんでバレんだよ……」
ジェイスはげんなり顔で呟くと、急いで柵に入り、馬にまたがった。
「大将ッ! じゃ、さっそく今から借りてくぜぇッ!」
「えっえっ」
腰から鞭を取り出し、バシイッと柵に絡めるようにして打ち当てる。
衝撃で開いたその入り口を、
「行くぞッ!」
と馬に激を飛ばして、ジェイスは走り出した。
「ちょちょちょちょっとぉ~、お客さぁああん!」
慌てた店主の声を後ろに、ジェライスはそのまま公道を駆け抜けてゆく。
「げっ、やっべ間に合わねえ!」
「店主! すまないがこれでよしとしてくれ。必ず馬は返す!」
過分に前金を払ったのだろう、店主の罵声はそれ以上聞こえなかった。
(アイツら、なんでそこまでして付いてくんだよ……)
げんなりしつつも、ジェイスはそのまま馬の速度をぐんぐんと早める。
「たい……ちょぉー……」
「おとも……てくださ……」
部下達の声が遠くなり、やがて耳に届かなくなった。
ジェイスは馬上でにやりと笑う。
この調子で、暫くは一人旅を楽しませてもらおう。
心配せずとも、どうせそのうち見つかるのだ。
そう、いつものように。
(しっかし、あいつらのしつこさときたら……本当に何なんだ)
はあっと大きくため息をつき、
「ちったぁ、『おっさん』のままでいさせてくれよー……」
ぶつぶつとぼやきながらも、それでもジェイスの顔は曇らない。
ダーナンの国を、本気で共に守ろうとする仲間がいる。
だから自分は、安心して逃げ出すフリができるのだ。
「――ま、次の監査地まではゆっくりさせてもらうさ」
にやりと笑うと、ぼさぼさ頭の中年はそのまま公道を逸れて脇道に入り、のんびりと馬を走らせていったのだった。
<了>
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
一旦ここで「おしまい」となったダーナン国の物語ですが、実はもう一話だけ続きがあります。
こちらも前々から考えていたエピソードでして、もう一人のヒロインとジェイスの物語を描けたらと思っています。
ダーナン国の行く末とシルヴィア達の恋と運命に決着がつく予定です。
できましたら、次回予定の
「ダーナンの旅人たち ―ガラスの瞳のサーカス少女―」
でもお会いできますように。
稚拙ながら、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。