08 スタンフォードのテント
七 スタンフォードのテント
講義の前日、サンフランシスコ国際空港には海から低い雲が流れ込んでいた。
機体が止まってから、カダフィーが姿を見せるまで十二分かかった。
先に警備担当者と外交官が降り、そのあとで焦げ茶色の長衣を着たカダフィーが現れた。
軍服ではない。
肩章も勲章もなく、襟と袖口に細い金糸の模様が入っている。肩には砂色の布。薄い色のサングラス。
タラップの下ではライスが待っていた。
濃紺のパンツスーツに小さなイヤリング。学生を迎える大学教授としては少し硬く、元国務長官が外国要人を迎えるには少し軽い。その中間くらいだった。
カダフィーは最後の三段を降りた。
「大学は私のテントを認めたか」
挨拶より先にそれだった。
「認めました」
「昨日は、まだ認めていなかった」
「消防署、大学施設部、警備部、保険会社が、それぞれ別の条件を出したの」
「大学には政府より役所が多い」
「あなたのテントに調理設備と発電機と通信機器があるからでしょう」
「国家指導者の住居だ」
「大学構内では臨時宿泊施設です」
カダフィーは振り返った。
「サーレム」
駐米リビア武官部のサーレム上級曹長は四十代半ばの小柄な男だった。肩書上は警備連絡と装備管理。実際にはカダフィーの衣服、薬、眼鏡、筆記具、通信機器の充電残量まで把握している。
「閣下、テントは設営済みです」
「大学は倒れないと言ったか」
「構造計算書を提出しました」
「テントに構造計算書を出したのか」
「風速条件を求められました」
カダフィーはライスを見た。
「私の国では、風が吹けば杭を増やす」
「ここでは書類を増やすの」
黒い車列は空港を出て南へ向かった。
カダフィーは車窓から、湾沿いの道路、湿地、倉庫、ホテル、住宅地を眺めていた。
「サンフランシスコではない」
「スタンフォードはパロアルトです」
「空港の名が大きすぎる」
「トリポリ空港から市内までだって距離があるでしょう」
「トリポリは国家の首都だ。ここは大学だ」
「大学も、ここでは小さな国家よ」
「軍はあるか」
「キャンパス警察なら」
「石油は」
「地下にはないけれど、寄付金はあるわ」
「それなら国家だ」
夕方、車列は大学構内へ入った。
指定された芝地には大小三張りのテントが並んでいた。中央に夫妻の寝室と応接室を兼ねた大きなテント、その隣に食事と打ち合わせ用、少し離れてサーレム上級曹長と警備要員用。
大学側は金属柵を置きたがったが、ライスが断った。代わりに芝地の外周へ私服警備員を配置した。
それでも歩道には学生が集まった。
携帯電話が一斉に上がった。
カダフィーは車から降りると、まずテントの外周を一周した。
杭を一本ずつ見て、張り綱を靴先で押し、発電機の排気方向を確認する。入り口の横には赤い消火器が二本。中には電池式の煙感知器まで付いていた。
「これを誰が付けた」
「大学の消防担当者です」とサーレム。
「私の頭の上に警報器を置いたのか」
「天井から九十センチ下げろと言われました」
「煙は上へ行く」
「私もそう申しました」
「それで」
「規則です、と」
カダフィーは警報器を見上げた。
「スタンフォードは煙の動きまで決めるのか」
ライスはもう中に入り、自分の鞄を机の横へ置いていた。
床にはリビアから運んだ絨毯。中央に低い机。壁際には二人分の寝台があり、その間に読書灯が一つだけ置かれていた。
ライスが見た。
「一つしかない」
「君は寝る前に資料を読む」
「あなたもでしょう」
「読む」
「人に読ませるの間違いね」
「君が読めば一つで足りる」
サーレム上級曹長が何も言わず、荷物の中から二つ目の読書灯を出した。
カダフィーは満足そうにうなずいた。
「上級曹長は君より私を理解している」
「仕事だからよ」
「君も妻だ」
「職務内容が違います」
「待遇改善を要求する」
「誰に?」
「妻に」
「却下します」
外から学生の声が聞こえた。
誰かがカダフィーの名を呼び、そのあとに別の学生がライス教授と叫んだ。警備員が歩道から下がるよう求めても、誰も帰る気配がない。
カダフィーは入り口の布を少し開けた。
「見せればよい」
「何を?」
「テントを」
「今から見学会を始めるの?」
「彼らはテントを見に来ている」
「あなたを見に来ているのよ」
「同じことだ」
彼は芝地の端まで歩き、最前列の学生へ尋ねた。
「何を学んでいる」
「機械工学です」
「なぜ政治家を見に来た」
「テントに発電機があると聞いたので」
カダフィーは後ろを指した。
「日本製だ」
「なぜリビア製ではないんですか」
「よい質問だ。明日来い」
学生たちが笑った。
別の学生が手を上げた。
「中を見てもいいですか」
「今日はだめだ。妻が荷物を広げている」
テントの中から声が飛んだ。
「広げているのはあなたの衣装でしょう」
カダフィーは学生たちへ肩をすくめ、戻ってきた。
「聞こえていたぞ」
「聞こえるように言ったの」
夕食は打ち合わせ用テントで取った。
平たいパン、羊肉と野菜の煮込み、オリーブ、白いチーズ、デーツ。大学側が用意したサラダと果物も並んでいる。
ライスは翌日の予定表を机へ置いた。
「開場は九時。私の紹介が五分。講義は五十分。質疑は六十分」
「質問は六十分で終わるのか」
「終わらなければ、あなたが短く答えるの」
「学生が悪い質問をすれば長くなる」
「悪い答えでも長くなるでしょう」
カダフィーはパンをちぎった。
「講義の題名は何になった」
「『革命、国家、そして生存――リビア、一九五一年から二〇一〇年』」
「長い」
「あなたが決めなかったから私が付けたの」
「私はリビアの話をすると言った」
「それでは掲示できないわ」
「聞いてから判断すればよい」
「それでは講義が終わっているでしょう」
サーレムが茶を注いだ。
「最初に何を話すの?」
「まだ決めていない」
「スライドは?」
「ない」
「地図は?」
「学生の頭になければ説明する」
「質問は事前に見ないのね」
「学生が明日何を考えるかを、今日決めるのか」
「安全上の確認はしています。内容は選別していません」
「よい」
「失礼な質問も出るでしょうね」
「失礼かどうかは、答えた後で分かる」
ライスは資料を閉じた。
「少し楽しみにしてるでしょう」
カダフィーは答えず、羊肉を取った。
ライスは笑った。
「その顔は楽しみにしてる顔よ」
「君は私の顔を勝手に解釈する」
「妻の職務です」
「さっき職務内容が違うと言った」
「必要に応じて変わります」
夜になると、湾から入った冷たい空気が大学構内まで下りてきた。
カダフィーは寝台へ入ってから毛布をもう一枚要求した。サーレムは何も言わず、最初から用意していた厚い毛布を渡した。
「砂漠より寒い」
「砂漠も夜は寒いでしょう」
ライスは反対側の寝台で本を開いていた。
「これは湿っている」
「海が近いからよ」
「フロリダとも違う」
「明日は室内です」
「学生は暖房を入れるか」
「冷房を入れるかもしれないわ」
「米国人は気候と戦いすぎる」
「あなたはテントを持ち歩いているでしょう」
しばらくして外の照明が消えた。歩道に残っていた学生の声も遠ざかった。
ライスは読書灯を消した。
暗闇の中でカダフィーが言った。
「明日、君は前に座るのか」
「司会席にいます」
「私の横か」
「少し離れます」
「なぜ」
「講師はあなたでしょう」
「遠すぎると、君が間違った顔をしても見えない」
「私の顔を見ながら答えるつもり?」
「必要なら」
「学生を見なさい」
数分たった。
ライスが聞いた。
「起きてる?」
返事がない。
さらに数分たってから、暗闇の向こうで声がした。
「ナセルの話をするかもしれない」
「そう」
「アラファトも」
「学生が聞けばね」
「聞かなくても話すかもしれない」
「好きにしなさい」
「スターリンは長くなる」
「明日は二時間しかありません」
「では、質問した学生が悪い」
「あなたが寝ないと、明日もっと長くなるわ」
少し間があった。
「コンドリーザ」
「何?」
「近くに座れ」
「講義で?」
「そうだ」
ライスは暗闇の中で笑った。
「考えておく」
「妻は夫を支援するものだ」
「講師は学生を見るものです」
今度こそ返事がなくなった。
翌朝、五時四十分に散水装置が動いた。
最初の水がテントの側面へ当たり、乾いた布を激しく叩いた。
カダフィーは寝台から跳ね起きた。
「攻撃か」
ライスは毛布の中から時計を見た。
「芝生の散水よ」
二度目の水が入り口の布へ当たった。
外でサーレムが何か叫び、テントの外周を走る。やがて水音が一つずつ止まった。
十分後、上級曹長が顔を出した。右肩から袖まで濡れている。
「閣下、停止しました」
「敵は」
「大学施設部の自動灌水装置です」
「昨夜の書類にはなかった」
「警備計画には記載されていませんでした」
ライスが毛布から顔だけ出して笑った。
「大学に勝てそう?」
「私の国なら責任者を呼ぶ」
「ここではオンラインで修理依頼を出します」
朝食は七時。
外気はまだ冷たかったが、東から差した光が濡れた芝を明るくしていた。
カダフィーは淡い黄土色の長衣に濃い褐色の外套。胸元には小さな金色の留め具だけで、勲章はない。頭には白い布を緩く巻き、サングラスは机の上へ置いていた。
ライスは灰色のスーツだった。
パン、蜂蜜、オリーブ、チーズ、ゆで卵、ヨーグルト、果物。大学側のオートミールもあった。
カダフィーは一口食べ、スプーンを置いた。
「これは食事か」
「学生は食べています」
「罰ではなく」
「健康によいそうよ」
カダフィーは皿をサーレムへ差し出した。
「上級曹長に健康になってもらう」
サーレムは受け取らなかった。
ライスは予定表を見た。
「講義のあと、学長との昼食があります」
「質問が終われば」
「終わらせます」
「学生が重要なことを聞いてもか」
「昼食にも学生を招いています」
「ならよい」
「最初の話は決めた?」
「王だ」
「イドリース国王から?」
「その前からだ。国がなかったところから始める」
「五十分よ」
「君は時間しか言わない」
「あなたが時間を無視するからです」
八時四十五分、二人は講義棟へ向かった。
車なら数分だったが、カダフィーが歩くと言った。
大学構内にはもう人が集まっていた。自転車を押したまま立ち止まる学生、授業へ向かいながら振り返る学生、写真を撮る職員。遠くにフーヴァー・タワーが見え、朝の光が赤い瓦屋根を照らしていた。
カダフィーは自転車置き場で足を止めた。
「全部、鍵が付いている」
「盗まれるからよ」
「大学でも盗むのか」
「知識のある人も自転車は盗むわ」
「リビアなら警備員を置く」
「自転車ごとに?」
「失業対策になる」
講義室には予定された座席数を超える学生が入っていた。階段にも後方の壁際にも人が座り、別室へ映像を送るカメラが二台置かれている。
壇上には演台、椅子二脚、水差し。
大型スクリーンには題目だけが表示されていた。
REVOLUTION, STATE, AND SURVIVAL
LIBYA, 1951-2010
カダフィーは文字を見上げた。
「やはり長い」
「もう印刷しました」
「次は短くする」
「次もあるの?」
「今日の質問による」
開始時刻になり、ライスが演台へ立った。
「おはようございます」
いつもの講義と同じ声だった。
「本日の講師は、ムアンマル・カダフィー大佐です」
カダフィーは椅子に座ったまま片手を上げた。
「一九六九年九月一日、若い将校たちとともにリビア王制を倒し、その後四十年以上、リビアの政治と外交の中心にいました。二〇〇八年九月、私は国務長官としてトリポリを訪れ、大佐と正式な会談を行いました」
横から声が入った。
「正式に会ったのは、だ」
ライスは彼を見た。
「その補足は必要?」
「学生は正確さを求める」
教室で笑いが起きた。
ライスは続けた。
「現在は、私の夫でもあります」
拍手と口笛が混じった。
カダフィーは平然としていたが、ライスには口元が少し動いたのが見えた。
「講義後に質疑時間を設けています。質問は一人一問。演説は禁止です」
カダフィーが立ち上がった。
「それは私にも適用されるのか」
「特にあなたに適用されます」
また笑いが起きた。
ライスは演台を離れた。
昨夜より少しだけ、カダフィーに近い椅子へ座った。
彼はそれに気づいたが、何も言わなかった。
原稿を持たずに演台へ立ち、しばらく教室を見渡した。
「皆さんは、私が昨夜テントで寝たことを知っている」
何人かが笑った。
「大学も知っている。消防署も知っている。保険会社も知っている。芝生の散水装置だけが知らなかった」
教室が大きく笑った。
「朝五時四十分、スタンフォード大学は私を水で攻撃した。米国空軍より正確だった」
ライスが額に手を当てた。
「しかし、今日は米国空軍の話から始めない。王の話から始める」
教室が静かになった。
「リビアは最初から一つの国だったわけではない。トリポリタニア、キレナイカ、フェザーン。それぞれ外との結び付きも、支配の経験も、部族の関係も違った」
「一九五一年十二月二十四日、リビアは独立した。イドリース国王は、王冠をかぶった一人の男というだけではなかった。東部の宗教的権威であり、部族間の仲介者であり、英国と話のできる人物だった」
「一九五四年、米国はウィーラス基地を使う協定を結んだ。英国にも基地があった。独立国の土地に外国軍がいる。国王側には金と安全保障が必要だった。米国側には地中海の訓練基地が必要だった。どちらにも理由はあった」
「一九五九年、石油が見つかった。数年後には国家予算の意味が変わった。しかし、石油が出れば国家が強くなるとは限らない。金が中央へ集まれば、誰が配るかという争いも中央へ集まる」
「一九六三年、連邦制は廃止され、リビアは単一国家になった。地図の線は消せても、東部と西部の記憶は消えない」
「一九六九年九月一日、国王は国外にいた。私たちは放送局、軍施設、通信を押さえた。王制は倒れた。私は若かった。悪い部分を壊して新しいものを建てれば、国家は直ると思っていた」
「一九七〇年六月十一日、米国はウィーラス基地をリビアへ引き渡した。英国軍も去った。外国軍の旗が下り、リビアの旗が上がる。若い革命家には非常に分かりやすい成功だった」
彼は少し間を置いた。
「その次から、難しくなった」
教室のどこかで笑いが起きた。
「外国軍を追い出すには、相手と期限を決めればよい。学校を全国へ作るには、教師を育てなければならない。病院を無料にするには、医師、看護師、薬、電気、水、道路、冷蔵設備が必要になる。国王を追い出すのは一日でできる。行政は四十年でも終わらない」
カダフィーは一九七七年三月二日の人民主権宣言、人民会議、人民委員会について話した。
「紙の上では、私は国家元首ではなくなった。人民が決め、委員会が実施する」
前列の学生が友人を見た。
カダフィーは見逃さなかった。
「今、疑ったな」
教室に笑いが起きた。
「正しい。疑うべきだ。人民会議が決めても、部族が反対すれば実行できない。委員会が決めても、予算を持つ者が動かなければ道路はできない。軍の指揮官も、外国の大統領も、最後には私へ電話した。公式には権力を持たない者へ、全員が決定を求めた」
「一九八六年四月、米国はトリポリとベンガジを空爆した。私は、自分の家の近くに爆弾が落ちる音を聞いた。米国はテロへの対抗措置だと言い、私は侵略だと言った。同じ爆発に二つの国家が二つの名前を付けた」
「一九九二年と一九九三年、国連制裁が強化された。航空、武器、外交、資産。国家は地図から消えなくても、空路から消えることがある」
「一九九九年四月、ロッカビー事件の容疑者二人をオランダへ移送し、制裁停止への道が開いた」
「二〇〇三年十二月十九日、大量破壊兵器計画を公表し、廃棄すると発表した。遠心分離機、六フッ化ウラン、ミサイル関連装置、化学兵器用弾薬。隠していたものを見せ、国外へ出し、壊した」
「二〇〇六年、米国との完全な外交関係が戻った。二〇〇八年九月五日、ライス国務長官がトリポリへ来た」
ライスが顔を上げた。
「その話は短くして」
「まだ何も話していない」
「それが心配なの」
教室から笑いが起きた。
「彼女とはアフリカ、米軍アフリカ軍、テロ対策、投資、両国関係について話した。具体的な話だった」
「そのとおりです」
「夕食も取った」
「講義を続けて」
「学生は歴史の細部を知りたい」
「献立は歴史ではありません」
「外交は食卓でも動く」
ライスは時計を指した。
カダフィーは演台へ戻った。
「皆さんが知りたいことを聞けばよい。答えられることには答える。答えられないことは、そう言う」
ライスが立った。
「予定より四分長いですが、質疑に入ります」
一斉に手が上がった。
最初に指された学生が聞いた。
「なぜ大佐なんですか」
教室が少しざわめいた。
「四十年も指導者だったなら、将軍や元帥になれたはずです。それに、ナセルも大佐と呼ばれていました。意識したのですか」
カダフィーは演台の横に立った。
「一九六九年の革命時、私は大尉だった。革命指導評議会の議長となり、大佐になった。将軍は軍隊の中の階級だ。私は軍隊だけを指揮する者ではなくなった。だから将軍になる必要がなかった」
「でも、大佐も軍の階級ですよね」
「そうだ」
「矛盾しませんか」
「政治には完全な記号がない。大佐なら軍人だと分かる。元帥ほど王に見えない」
「ナセルの影響は?」
「一九五二年七月二十三日の革命時、ナセルは中佐だった。後に大佐と呼ばれ、大統領になった。若いアラブ将校で、ナセルを意識しなかった者を探す方が難しい」
「では、まねた?」
「階級だけをまねたなら簡単だった。彼が外国軍を追い出し、スエズ運河を取り戻し、アラブ世界へ自分の声を届けたことを見ていた」
「実際には王より長く統治しました」
カダフィーは質問者を見た。
「よい。次に質問するときは、最後の一文を最初に言え」
笑いと小さな拍手が起きた。
次の学生が立った。
「なぜテントなんですか」
「どの理由が聞きたい」
「全部です」
「一人一問よ」とライス。
「では、一番本当の理由を」
「一番本当というものはない。私は砂漠で育った。テントは自分の場所だ。外国の宮殿やホテルへ入ると、その国の主人の客になる。自分のテントにいれば、半分は自分の領土だ」
「外交上の演出ですか」
「演出でもある。警備でもある。ホテルの部屋には、前に誰が入り、何を置いたか分からない。テントは自分たちで組み立てる」
「ホテルのベッドが嫌いだからでは?」
「それもある」
「冷房は?」
「信用していない」
ライスが言った。
「昨夜は毛布を追加しました」
教室が笑った。
「夫の宿泊情報を公開するのか」
「大学の芝生で寝ている時点で公開されています」
次に指された学生は印刷した資料を持っていた。
「一九八六年四月九日、レーガン大統領はあなたを『中東の狂犬』と呼びました。どう受け止めましたか」
カダフィーは少し笑った。
「その言葉をレーガンが最初に作ったわけではない。記者が使った言葉を、彼が気に入って使ったと、同じ記者会見で話している」
「怒りませんでしたか」
「私は米国を帝国主義者と呼び、敵をシオニストの手先と呼んだ。政治家は相手を短い言葉へ押し込む。短い言葉は、軍事作戦の説明より安い」
「実際に予測不能だったのでは?」
「政策を変えた。アラブ統一からアフリカへ軸を移し、イスラエルの消滅を語った後に、イスラエルとパレスチナを一つの国家へ入れる案を出した。変化には理由があった」
「全部ですか」
「全部ではない。感情で変えたこともある。四十年統治して、一度も感情で決めなかったと言う者がいれば、その者の記録を調べろ」
教室は静かだった。
「狂犬という言葉は、相手を考えなくてよいものにする。だが、私を理解すれば好きになる、という意味ではない。考えなくてよい相手ではなかった、というだけだ」
核工学を専攻する大学院生が立った。
「二〇〇三年の大量破壊兵器放棄について伺います。イラク戦争を見て恐れたからですか」
「恐れなかったと言えば嘘になる」
教室が静かになった。
「国家を動かす者が恐れを計算に入れなければ、その国は長く残らない。ただし二〇〇三年だけを見れば間違える。一九八六年に空爆された。一九九一年にソ連が消えた。一九九二年から制裁を受けた。一九九九年に制裁停止への道を作った。二〇〇一年九月十一日の後、米国の安全保障政策は変わった。二〇〇三年のイラク侵攻は、最後の数字を表へ書き込んだ」
「サダム・フセインが倒されなければ、放棄しなかった?」
「交渉は遅れたかもしれない。しかし、遠心分離機を回し、弾頭を設計し、運搬手段を作り、秘密を守り続ける国力がどれほど必要か、私は知っていた。設計図を買うことと、運用できる核戦力を持つことは違う」
「放棄を後悔しましたか」
「兵器を完成させていれば安全だった、とは言えない。完成前に攻撃される。事故が起きる。技術が売られる。軍の一部が奪う。国家は兵器一つで安全にならない」
「同じ条件なら、また捨てますか」
「捨てる」
答えは短かった。
「条件は?」
「査察、投資、外交関係、安全保障上の利益を同じ時刻に動かす。約束を順番にすると、最後の約束だけ履行されない」
次の学生が立った。
「スターリンと比較されたら、どう答えますか」
カダフィーは水を飲んだ。
「まず、スターリンという一語で七十年のソ連を説明してはいけない」
「あなたも、カダフィーという一語で四十年のリビアを説明されたくない?」
「そうだ」
「スターリンは一九二四年にレーニンが死んだ後、党書記長の位置を使い、人事と組織を握った。一九二八年に第一次五カ年計画を始め、農業集団化を進めた。一九三二年から三三年には各地で大きな飢餓が起きた。一九三六年から三八年には公開裁判、党内粛清、軍幹部の処刑、強制収容所への大量移送が続いた」
「一九四一年六月二十二日、ドイツがソ連へ侵攻した。スターリンの国家は最初に大きく崩れながら、工場を東へ移し、兵士を補充し、一九四五年にベルリンまで進んだ。一九五三年三月にスターリンが死んでも、党、軍、秘密警察、計画経済、共和国の機構は残った」
「彼は制度を自分のために強くした。私は政党と官僚機構を疑った。政党を置かず、人民会議を作り、委員会を入れ替えた」
別の学生が口を挟んだ。
「それなら、あなたの方が民主的だった?」
ライスがその学生を見た。
「次の質問として扱います。続けて」
学生は立った。
「制度を壊した結果、すべての判断があなたへ集中したのではありませんか」
「そうなった」
あまりに短い答えで、学生の方が一瞬止まった。
「スターリンは、命令が自分から下へ流れる国家を作った。私は、人民会議、部族、軍、革命委員会、行政機関から話が上へ来て、最後に私が調整する国家を作った。形は反対に見える。しかし最後に一人が必要になる点では似ていた」
「どちらが強い制度ですか」
「スターリンの方だ」
教室が少し動いた。
「彼の制度は、彼が死んだ後も動いた。よい方向に動いたと言っているのではない。動いたと言っている。私の制度は、私がいないと、人々が互いに『誰が決めるのか』と聞き始めた」
東欧史を専攻する学生が立った。
「では、チトーとはどう違いますか」
「チトーはスターリンより私に近い」
「一九四五年に社会主義ユーゴスラビアを作り、一九四八年にスターリンと決裂した。重要なのは、ユーゴスラビアの党とパルチザンが、ソ連軍だけによって政権を与えられた組織ではなかったことだ。チトー自身の軍と党があった」
「西側から援助も受けました」
「受けた。米国と西欧は、ユーゴスラビアをソ連圏へ戻さないために食料、信用、技術を与えた。チトーは西側の同盟国にはならず、ソ連の衛星国にも戻らなかった」
「一九六一年、ベオグラードで最初の非同盟諸国首脳会議が開かれた。チトー、ナセル、ネルー、スカルノ、ンクルマ。東にも西にも完全には入らない場所を作ろうとした」
「一九七四年憲法では?」
「共和国と自治州へ大きな権限を与え、集団的な大統領制を整えた。一九八〇年五月四日にチトーが死んだ後も、国家は翌日に崩れなかった。だが、一九九一年から九二年にかけて解体へ進んだ。経済、債務、民族主義、東欧の変化、共産主義体制の終わりが重なった」
「あなたはチトーより制度作りに失敗した?」
「同じ試験を受けていない。チトーは連邦、党、軍、共和国政府を残した。私は人民会議、行政、石油収入、軍、部族間の均衡を残した。似ているのは、本人が制度より大きくなったことだ」
「チトー本人に聞けば、違う答えを出しただろう」
次の学生が立った。
「ナセルについて、もう少し聞かせてください。あなたは彼の後継者になろうとしたのですか」
カダフィーは椅子へ座った。
「若い頃、そう考えなかったと言えば嘘になる」
「一九五二年の自由将校団革命、そして一九五六年七月二十六日のスエズ運河国有化。十月二十九日にイスラエル軍がシナイへ入り、三十一日に英国とフランスが攻撃した。軍事的にはエジプトが苦しかったが、十一月には停戦し、英仏軍は撤退した。アラブの若者には、ナセルが帝国を退かせたように見えた」
「一九六七年六月の戦争で、エジプト、シリア、ヨルダンは六日で敗れた。ナセルは辞任を表明し、群衆に引き止められた。私たちは勝ったナセルだけでなく、敗れたナセルも見た」
「あなたの革命は一九六九年九月一日です。ナセルは一九七〇年九月二十八日に亡くなりました」
「一年と二十七日だ」
「覚えているのですか」
「忘れると思うか」
「彼が死ぬ前、ヨルダン軍とパレスチナ武装組織の衝突を止めるため、カイロで仲介していた。会議の後に倒れた。彼がいなくなり、アラブ世界には大きな椅子だけが残った」
「そこへ座ろうとした?」
「座れると思った。椅子の脚が、エジプト、シリア、イラク、ヨルダン、パレスチナ、湾岸諸国へ別々に伸びていることを、十分には見ていなかった」
別の学生が手を上げた。
「アラファトとは友人でしたか」
カダフィーは少し考えた。
「友人という言葉を、政治家同士に使うと長くなる」
「では、どんな関係でしたか」
「同じ目的を語り、違う道を選び、必要な時には会い、腹が立てば電話を切る関係だ」
笑いが起きた。
「PLOは一つの組織ではなかったのですか」
「一つの名称と代表機構はあった。だが中にはファタハ、パレスチナ解放人民戦線、民主解放人民戦線、ほかにも複数の組織があった。武器、資金、外国との関係、社会主義への考え、ヨルダンやシリアへの態度が違った」
「PLOは一九六四年に作られ、アラファトは一九六九年に議長になった。一九七〇年九月、ヨルダン軍とパレスチナ武装組織が戦った。ナセルは仲介し、その直後に死んだ」
「一九七四年十月二十八日、ラバトのアラブ首脳会議はPLOをパレスチナ人の唯一の正統な代表と認めた。同年十一月十三日、アラファトは国連総会で演説した。武装組織の指導者が、国際外交の壇上へ上がった」
「一九八二年、イスラエル軍がレバノンへ侵攻し、PLOはベイルートから退去した。一九九三年九月十三日、アラファトとラビンがワシントンで握手した。武装闘争と交渉は、同じ人間の中で順番に現れた」
「あなたはオスロ合意を支持しましたか」
「十分ではないと思った。小さな自治を国家への入口と見る者と、出口のない囲いと見る者がいた。私は後に、イスラエル人とパレスチナ人を一つの国家へ入れる『イスラティン』を語った」
「現実的ですか」
「二国家案が何十年も完成しない現実と比べれば、非現実の種類が違う」
「アラファトを革命家と見ましたか、国家元首と見ましたか」
「両方になろうとした人間だ。革命家は妥協すれば裏切り者と呼ばれ、国家元首は妥協しなければ国家を作れない。彼はその間を歩いた」
次の学生は歴史専攻だった。
「ムッソリーニ、ヒトラー、ガンジーと比較されたら?」
「三人を一つの質問へ入れるのは乱暴だ」
「時間がないので」
ライスが言った。
「質問者も時間を使うようになりました」
教室が笑った。
カダフィーは答えた。
「ムッソリーニは一九二二年のローマ進軍で政権へ入り、リビアでは植民地支配を強めた。オマル・ムフタールは一九三一年に処刑された。私にとってムッソリーニは、演説の技術より先に、リビアを支配した側の人物だ」
「ヒトラーは一九三三年に首相となり、一九三五年のニュルンベルク法で人間を血統によって分類し、一九三九年に戦争を始めた。国家の目的に、集団の排除と消滅を組み込んだ。私と同じ一語でまとめれば、違いを見失う」
「ガンジーは一九三〇年の塩の行進、一九四二年のインド退去運動を通じ、英国支配へ別の圧力を作った。インドは一九四七年に独立した。私は二十七歳で、軍の通信と兵舎を握れば王制を一晩で倒せると考えた。実際、倒せた」
「非暴力を考えなかった?」
「十分には考えなかった。速く終わることを、被害が少ないことと同じに考えた」
「間違いでしたか」
「請求書は後から届く」
次に立ったのはリビア系の学生だった。
「あなたにしか分からないことを聞きたいです。トリポリとベンガジの対立を、法律や公式の人民会議ではなく、日常の国家運営で何によって抑えていたのですか」
「道路だ」
学生は少し驚いた。
「道路ですか」
「道路、大学、病院、軍の人事、石油会社の事務所、航空路線、港の予算。東部の者が、国家はトリポリのものだと思えば終わる。西部の者が、石油は東部から出るから東部だけが富を持つと思っても終わる」
「部族間の交渉は?」
「毎日だ」
「誰が交渉したんですか」
「知事、軍人、宗教指導者、家族、商人、私の使者。公式の役職を持たない老人が、閣僚より強いこともある」
「金を配った?」
「配った」
教室が少しざわめいた。
「公共事業、奨学金、補助金として配る。時には武器を置く条件として配る。国家予算とは、数字に名前を付けたものだ」
「脅迫も使いましたか」
「使った」
「逮捕も?」
「使った」
ライスは口を挟まなかった。
「それで国家を保った?」
「それだけでは保てない。恐怖だけなら、恐怖が弱くなった日に離れる。利益だけなら、もっと金を出す者へ行く。学校、病院、家、仕事、部族の安全、宗教、国旗、外国軍がいないこと。人によって国家へ残る理由は違う」
次の学生は、質問を口にする前から笑っていた。
「個人的な質問でもいいですか」
「既に何人もしている」
「ライス教授を愛していますか」
会場が一気に騒がしくなった。拍手と口笛が飛ぶ。
ライスは質問者を見て、それから夫へ視線を移した。
カダフィーは学生へ聞いた。
「なぜそれを知りたい」
「二人が普通の夫婦には見えないので」
「普通の夫婦を何組知っている」
「両親と、友人の両親くらいです」
「少なすぎる」
笑いが広がった。
学生は引かなかった。
「では、愛していますか」
カダフィーはライスを見た。
ライスは時計を見なかった。
待っていた。
「愛している」
会場が沸いた。
カダフィーはまだライスを見ていた。
「非常に、愛している」
二度目は、教室より彼女へ言った。
ライスは一瞬だけ目を伏せた。
その反応を見てから、カダフィーは学生へ向き直った。
「彼女は私の話を途中で止める。私の服を勝手に減らす。重要な会議の前に医師の予約を入れる。私が正しい時にも、すぐには認めない」
ライスが言った。
「最後の一つは事実ではありません」
「今も認めていない」
「それはあなたが正しくないからでしょう」
笑いがしばらく収まらなかった。
質問した学生がさらに聞いた。
「どちらが先に結婚を言い出したんですか」
ライスが手を上げた。
「一人一問です」
「教授、それは答えたくないからですか」
「授業の規則です」
カダフィーが言った。
「彼女だ」
ライスは即座に彼を見た。
「フロリダへ来ないかと言っただけです」
「私はそれを結婚の提案として理解した」
「あなたが勝手に拡大解釈したの」
「外交文書では、曖昧な表現を有利に解釈する」
また拍手が起きた。
ライスは小声で言った。
「あとで覚えてなさい」
「妻が愛を告白した記録として残る」
「記録を改ざんしないで」
最後の質問を選ぶ時間になった。
まだ多くの手が上がっていた。
ライスは後方の学生を指した。
「四十年間、国を率いた人に聞きます。国家を運営する上で、一番重要だった情報は何ですか。石油価格、軍の報告、外国の情報ですか」
カダフィーはすぐには答えなかった。
水差しから自分で水を注いだ。
「朝、パンが届いたかどうかだ」
学生が首を傾げた。
「パンですか」
「首都の店にパンがあるか。病院に酸素があるか。発電所に燃料があるか。兵士の給料が予定日に出たか。南部の道路をトラックが通れるか。港で荷物が何日止まっているか」
「もっと大きな情報ではなく?」
「大きな情報は会議で届く。小さな情報は、届かなくなった時には遅い」
「外国の情報機関の分析は?」
「彼らは、私が明日何を言うかを知りたがった。私は、明日どこの変圧器が壊れるかを知りたかった」
教室の前方で、電気工学の学生が笑った。
「国家は演説で見える。しかし止まる時は、ポンプ、電線、給与台帳、道路から止まる。四十年のうち、外国との戦争を考えた日は多い。毎日考えたのは、水と電気と食料だ」
学生は立ったまま頷いた。
カダフィーは付け加えた。
「それでも、朝五時四十分の散水装置は知らなかった」
教室全体が笑った。
ライスが立ち上がった。
「時間です」
まだ手は上がっていたが、学生たちはゆっくり下ろした。
「カダフィー大佐、ありがとうございました」
カダフィーも立った。
最初の拍手は前列から起きた。
すぐに左右へ広がった。後方の学生が立ち、階段に座っていた学生も、壁際にいた者も手を叩いた。
カダフィーは一度、教室全体を見渡した。
隣へ来たライスの耳元で言った。
「近くに座ったな」
拍手が大きく、周囲には聞こえない。
「講師が迷子にならないようにね」
「愛している」
「さっき聞いたわ」
「これは学生への回答ではない」
ライスは一瞬だけ彼を見た。
「私もよ」
二人は並んで壇上を降りた。
拍手は、側面の扉が閉じるまで続いた。




