06 深さ
五 深さ
近くにいれば分かる人と、近くにいるほど分からなくなる人がいる。
カダフィーは後者だった。
十年先のアフリカを話していた翌朝、朝食の一言で来週の予定を変える。会議では誰より長く黙り、全員が帰りかけたところで港の荷役能力を聞く。設計図の一ミリに文句をつけた翌日には、図面を一枚も見ずに工場建設を決める。
ライスは、もう一つの性格にまとめようとはしなかった。
ある夕方、彼女は天幕の小さなピアノを弾いていた。湿気で調律が少し狂い、低音が重い。
カダフィーは後ろの椅子で書類を読んでいた。
曲が終わると、顔を上げた。
「革命には向かない曲だ」
「音楽を革命に使わないで」
「国歌は音楽だ」
「これはブラームスよ」
「彼はどこの革命家だ」
「作曲家」
「革命をしなかったのか」
「人は誰でも革命する必要はないの」
「才能の無駄だ」
ライスは鍵盤から手を離した。
「あなた、自分がどれほど珍しい人間か分かってる?」
「世界で最も有名な男の一人だ」
「そういう意味じゃない」
「では、どういう意味だ」
「国家を一つ、頭の中へ入れたまま何十年も生きている人は、そんなにいないってこと」
「君もアメリカを頭に入れている」
「アメリカは一人の頭には入らないわ」
「だから時々壊れる」
「リビアも壊しかけたでしょう」
「今回は壊さない」
「ええ」
ライスは振り返った。
「だから、ここにいる」
カダフィーは返事をしなかった。
けれど、そのあとも書類を読むふりをして、彼女がもう一曲弾くまで席を立たなかった。
数週間後、ライスはスタンフォードの会議で四日間フロリダを離れた。
戻った日の夕食に、羊肉の煮込みが出た。
一口食べて、彼女はカダフィーを見た。
「料理人を替えたの?」
「替えていない」
「前より味が軽いわ」
「米国人は香辛料に弱い」
「私がいない間、食事を残していたそうね」
カダフィーは水を飲んだ。
「誰が報告した」
「サーレム上級曹長」
「武官部の機密管理に問題がある」
「食卓が静かだった?」
「会議が長かった」
「それ、答えになってない」
「君の質問が多いから、普段の食事が長くなる」
ライスは笑った。
「では、今日は長くしてあげる」
「四日分か」
「欲張らないの」
その夜、ライスがピアノを弾くと、カダフィーはいつもの椅子へ座った。
途中でページをめくる手が止まった。
ライスは気づいていたが、演奏をやめなかった。
曲が終わったあと、彼が言った。
「やはり、いる方がよい」
「何が?」
「ピアノだ」
「そういうことにしておくわ」
カダフィーは、今度は否定しなかった。




