一人前の冒険者⑧
朝ご飯を食べ終えて、三人で食器を片付ける。
いつもなら何でもない朝の時間。
だけど今日は、この後また冒険に出る。
そう思うと、一つ一つの時間が少しだけ名残惜しく感じた。
「それじゃあ、俺はそろそろ行ってくるか。」
パパが仕事道具を確認しながら立ち上がる。
今日もこれから森へ向かうみたいだ。
私も冒険者になった今なら分かる。
森へ入るということは、思っていたよりずっと大変なことだった。
今までずっと当たり前のように見送っていたけど、パパは毎日そういう場所で働いている。
「パパ。」
「ん?」
私はパパの前まで歩いて、少しだけ両手を広げる。
「行ってらっしゃい。」
「……おう。」
一か月ぶりのハグ。
パパの大きな体に抱きしめられる。
「むぎゅ。」
苦しいけど嫌じゃない。
昔から何度もこうして抱きしめてもらった。
冒険者になって一人で旅をして大人になったつもりだけど。
それでも、こうして抱きしめられると私はパパの娘なんだなって思う。
「アイラ。」
「なに?」
「無茶するなよ。」
「うん。」
「危ないと思ったら逃げるんだぞ。」
「うん。」
「知らない男について行ったら――」
「それは昨日も聞いたよ。」
「あ、そうだったか?」
思わず笑ってしまった。
全くもう。昨日は一人前になったって認めてくれたのに。
やっぱりパパの中では、私はいつまで経っても子供なのかもしれない。
「大丈夫だよ。」
少しだけ体を離して、パパの顔を見る。
「私、ちゃんと気を付けるから。」
「……そうか。」
パパは少しだけ寂しそうだ。
それから私の頭に大きな手を置く。
ぽん、といつものように優しく頭を叩かれた。
「それじゃあ、行ってきます。」
「あぁ、行ってきます。」
パパが笑う。
「アイラも、いってらっしゃい。」
「……うん!」
その言葉が何だか嬉しかった。
冒険者になる前は、いつも私がパパを見送る側だった。
でも今は違う。パパは森へ、私は遠くの街へ。お互いの仕事へと向かう。
「いってらっしゃーい!」
家の前まで出て、大きく手を振る。
パパも何度か振り返りながら手を振ってくれた。
その姿が小さくなって。
曲がり角の向こうに見えなくなる。
「……よし。」
ちゃんとお見送りできた。
昨日できなかった分まで、今日はいっぱいできた気がする。
これで心残りはない。
私は一度家へ戻ると、自分の部屋へ向かった。
寝間着を脱いで、ウィザードの服に袖を通す。
一か月前。初めてこの服を着た時は、足が見えすぎて恥ずかしかったなぁ。
今ではすっかり慣れてしまったけど。
「パパが見たら、また何か言いそう。」
昨日みたいに。
思い出したらちょっと笑ってしまった。
荷物も確認。着替え、布、旅に必要な日用品とお金。
余計な物はこっそりと《Storage》の中に。
「忘れ物なし。」
部屋の中をもう一度見回す。
生まれてから十二年間使ってきた自分の部屋。
一か月前に旅立った時ほど不安はない。
今度はもう、ちゃんと帰ってこられると知っているから。
「また来月ね。」
自分の部屋に言うのも変だけど小さくそう言ってから扉を閉めた。
「ママ、お待たせ。」
台所へ戻ると、ママはとっくにマーチャントの服へ着替えていた。
商売道具も準備済み。
「忘れ物はない?」
「大丈夫。」
「本当に?」
「確認したよ。」
「お金は?」
「持った。」
「着替えは?」
「持った。」
「何かあった時のための――」
「ママ。」
「なに?」
「パパみたいになってる。」
「……。」
ママが黙った。
それから二人で顔を見合わせる。
「ふふっ。」
「あはは。」
結局、二人して笑ってしまった。
「それじゃあ、途中まで一緒に行きましょうか。」
「うん!」
ママは仕事へ。私は転送屋へ。
目的地は違うけど、途中までは同じ道だ。
二人並んで家を出た。
朝のサジタリウスをママと一緒に歩く。
一か月前にも見た景色。
だけど、一度離れてから見ると少し違って見えた。
井戸の周りでは、さっきの子供たちがまだ楽しそうに話している。
「あ、アイラお姉ちゃん!」
「もう行っちゃうのー?」
「うん。また帰ってくるからね。」
「今度もお湯作って!」
「それは考えておきます。」
毎朝頼まれるようになったら大変だから約束はしません。
手を振りながら通り過ぎる。
少し進めば、顔見知りのおじさん。その先には昔から知っている露店。
すれ違う人たちから、
「もう行くのかい?」
「気を付けてな。」
「次帰ってきたら冒険の話を聞かせておくれ。」
そんな言葉をたくさん掛けてもらった。
ママが少しだけ歩く速度を緩めた。
「皆、アイラが元気に帰ってきたことを喜んでたわね。」
「……うん。」
私も嬉しい。
帰ってきた時に、『お帰り』と言ってくれる人がこんなにいる。
冒険を始める前は、それがどれだけ幸せなことなのか分かっていなかった。
一人旅をして知らない街で暮らして初めて分かったことかもしれない。
歩いているうちに、転送屋が見えてきた。
ここでママとはお別れ。
「それじゃあアイラ、気を付けてね。」
「うん。」
「風邪も引かないようにね。」
「うん。」
「ご飯もちゃんと食べるのよ。」
「うん。」
「危険な場所には一人で行かないで。」
「……うん。」
「それから、怪しい人には――」
「長いよ!」
思わず突っ込んでしまった。
「大丈夫だから!」
「だって心配なのよ。」
ママが困ったように笑う。
「昨日はパパのこと心配しすぎって言ってたのに。」
「それとこれとは別でしょう?」
「同じこと言ってる!」
やっぱり夫婦だ。二人とも似ている。
でも、こんなに心配してくれることが、嫌なわけじゃない。
だから今日くらいは、ちゃんと言っておこう。
「ママ。」
「なに?」
「心配してくれてありがとう。」
ママが少しだけ目を丸くする。
「ちゃんとご飯食べるし、寒かったら魔法で温まるし、危なくなったら逃げるから。」
「……ええ。」
「それに一か月したら、また帰ってくる。」
「そうね。」
「だから大丈夫。」
少し背伸びをして、ママに抱きつく。
ママもすぐに私の背中へ腕を回してくれた。
「いってらっしゃい、アイラ。」
「うん。」
ぎゅっと一度だけ強く抱きしめてもらってから離れる。
「行ってきます。」
「それじゃあ、ママも気を付けてね~!」
「ええ。アイラもね。」
今度は私がママを見送る。
ママは何度か振り返って、その度に手を振ってくれた。
私も負けじと手を振り返す。
「いってらっしゃーい!」
やがて人混みの中にママの姿が消えた。
「……。」
少しだけ寂しい。昨日帰ってきたばかりなのに。
一か月ぶりに三人で過ごしてしまったから、余計にそう感じるのかもしれない。でも、
「また来月帰ってくるもんね。」
今度こそ寝坊しないようにしよう。
……いや、起こしてもらえばいいか。
「よし。」
気持ちを切り替える。
振り返れば、そこには見慣れた転送屋。
「お婆ちゃん、お待たせしました。」
「あいよ。」
いつものお婆ちゃんが私を見る。
「もう行くのかい?」
「うん。昨日帰ってきたばっかりだけどね。」
「若い子は元気だねぇ。」
「えへへ。」
「それで、今日はどこまでだい?」
聞かれて、私は少しだけ胸を張った。
今度の目的地は魔導都市レオじゃない。
まだ一度も冒険したことのない場所。
新しい街、新しい景色、新しいモンスター。
そこでどんな人たちと出会えるんだろう。
どんな冒険が待っているんだろう。
考えるだけで、さっきまで感じていた寂しさが少しずつ期待に変わっていく。
私はお婆ちゃんに行き先を告げた。
「『防衛都市ジェミニ』までお願いします。」
「ジェミニかい。分かったよ。」
お婆ちゃんが転送の準備を始める。
足元に魔法陣が広がっていく。
その光を眺めながら、私は故郷の方をもう一度だけ振り返った。
「サジタリウスのみんな。」
次に帰ってくる時には、今よりもっと成長していたい。
もっと色んなものを見て、色んな人と出会って、いっぱい冒険して。
また二人に話したいことをたくさん持って帰ってこよう。
「行ってきます。」
魔法陣の中に飛び込んだ。
次の瞬間、私の視界は青白い光に包まれた。
目指すは『防衛都市ジェミニ』。
まだ見ぬ新しい街へ。
私の冒険は、これからも続いていく。
最終回ではありません。
もうちっとだけ続きます。




