新米冒険者⑭
「ごちそうさまでした。」
確かに美味しかった。
お肉も柔らかかったし、スープだって温かかった。
だけど、どこか物足りない食事だった。
きっと料理の問題じゃない。
これからは、この物足りなさにも慣れていかなければいけない。
私が選んだのは、そういう道なのだから。
食べ終えた食器をお盆に乗せ、部屋を出る。
扉を閉めて、鍵もしっかり掛ける。
そのまま一階へ降り、受付にいる女将さんのところまで向かった。
「女将さん、ごちそうさまでした。美味しかったです。」
美味しかったのは本当だ。
「あら、そうかい?」
女将さんはお盆を受け取りながら、私の顔をじっと見る。
「あんたみたいな新米冒険者は、たまに家恋しさに泣く子もいるんだけどねぇ。」
「えっ。」
図星を突かれて思わず固まる。
「あはは。あんたもしっかりしてるけど、そういうところはあるんだねぇ。」
女将さんが愉快そうに笑った。
「そ、そんなに顔に出てました?」
「さてねぇ。」
絶対に分かってる顔だ。
恥ずかしすぎて、自分でも顔が熱くなっているのが分かる。
「そ、それより! 桶と布を貸してください!」
慌てて話題を変える。
「あいよ。ちゃんと用意してあるよ。」
女将さんは笑いながら、受付の奥から桶と布を取り出した。
桶は、水をいっぱい入れても私一人で持ち運べそうな大きさだ。
「使用済みの水は、自分で処理しておくれ。」
「分かりました。」
桶と布を受け取り、宿の外にある井戸へ向かった。
水を汲み終え、桶を持って部屋まで戻る。
「ふぅ。」
床へ置いた桶の中に、軽く手を入れてみる。
「冷たっ。」
すぐに手を引っ込めた。
秋の井戸水は本当に冷たい。
実家では汲んだ水をしばらく置いて、少し温くなるのを待ってから使っていた。
だけど今日は、試してみたいことがある。
「せっかくウィザードになったんだしね。」
桶の上に手を翳す。
『ファイアアロー』を使う時の感覚を思い出し、火属性の魔力をほんの少しだけ手のひらへ集める。
攻撃魔法にするつもりはない。
必要なのは炎じゃなくて、熱だけ。
「ゆっくり、ゆっくり……。」
手のひらから伝わる熱で、桶の水を温めていく。
いきなり大量の魔力を流したら沸騰してしまうかもしれない。
魔力量を見誤らないよう、少しずつ慎重に。
時折、水へ指先を入れて温度を確認する。
「おお……。」
冷たかった井戸水が、少しずつ温かくなっていく。
前世のお風呂にあった追い焚きみたいだ。
「ウィザードのスキルって便利だなぁ。」
『ライト』は夜の明かりになる。
火属性の魔力を使えば、水を温められる。
夏になったら『アイスランス』の要領で氷を作って、冷たい飲み物だって飲めるかもしれない。
攻撃だけじゃない。
使い方次第で、生活にもいくらでも応用できそうだ。
「やっぱりウィザードを選んで正解だったかも。」
可愛い服も着られるし。
うん、最高の職業選択である。
やがて井戸水が十分に温まり、程よいお湯になった。
「これくらいかな。」
まずは布をお湯に浸し、顔を拭く。
そのまま髪、耳の裏、首筋まで丁寧に洗っていく。
シャンプーやトリートメントなんて、当然ない。
そこはお湯洗いで我慢するしかない。
「次は体っと。」
ウィザードの服を脱ぐ。
その瞬間、部屋の冷たい空気が素肌に触れた。
「寒すぎ! 早く拭かないと!」
慌てて布をお湯へ浸す。
温かい布で肩から腕、胸、お腹、背中。
足先まで、体の隅々を丁寧に拭いていく。
全部拭き終える頃には、さっきまで冷えていた体もかなり温まっていた。
最後に乾いた布で残った水分を拭き取る。
「ふぅ……。」
さっぱりはした。
ちゃんと綺麗にもなったと思う。
だけど。
「お風呂に入りたい。」
思わず本音が漏れた。
こればっかりは、どうしても前世が恋しくなる。
肩まで温かいお湯に浸かって。
体を伸ばして。
一日の疲れを全部流す。
あの時間が恋しい。
この世界では動物性の食べ物や脂肪を摂取する機会が少ないためか、前世ほど皮脂の分泌は多くない。
それでも、毎日お風呂に入れない生活はやっぱり辛い。
「この世界で一番許せないことかもしれない……。」
私は真剣に頷いた。
「決めた。」
いつになるかは分からない。
冒険者としてどれくらい稼げるようになるかも、まだ分からない。
それでも将来は絶対に――。
「お風呂付きのマイホームを手に入れよう。」
新しい人生の目標が、一つ増えた。
使用済みのお湯を宿の外にある排水溝へ捨てる。
そのまま井戸で桶と布を綺麗に洗い、女将さんのところへ返しに行った。
「ありがとうございました。」
「あいよ。おやすみ、お嬢ちゃん。」
「おやすみなさい。」
女将さんに挨拶をして、そのまま自分の部屋へ戻る。
鍵を開けて中へ入り、すぐに扉を閉めて施錠する。
「うぅ、寒い。」
外を歩いていたせいか、せっかく温まった体がすっかり冷えてしまった。
そもそもお風呂に入ったわけではない。
温かい布で体を拭いただけなので、体の芯まで温まっていたわけじゃないのだ。
「やっぱり、お湯を少し付けたくらいじゃ物足りないなぁ。」
両手で自分の肩を抱きながら、ぶるっと体を震わせる。
このまま布団に入ってしまおうか。
そう考えたところで、ふと思いついた。
「そうだ。」
私は片手を前に出して魔力を集める。
さっき水を温めた時と同じように、火属性の魔力を利用すればいい。
ただし、今度は水を温めるわけじゃない。
狙うのは――。
「自家製魔力エアコン!」
もちろん本物のエアコンを作るわけじゃない。
部屋の空気を魔力で直接温めるだけだ。
感覚としては『ライト』と『ファイアアロー』の中間くらい。
『ライト』のように魔力を周囲へ広げながら、『ファイアアロー』のように熱を持たせる。
ただし、炎は絶対に出さない。
「これくらいかな……?」
手のひらへ集めた魔力に火属性の性質を持たせる。
じんわりと周囲の空気が温かくなった。
「おお、できてる。」
だけど、思っていたより難しい。
私は別に魔法の原理を理解してやっているわけじゃない。
転職した時に得た感覚と、レーヴァテインを使って練習してきた経験を頼りに調整しているだけだ。
少し魔力を強めれば火が生まれそうになる。
弱めすぎれば、ほとんど熱を感じない。
「慎重に、慎重に……。」
うっかり火でも出して宿を燃やしたら、女将さんに大迷惑を掛けてしまう。
それだけは絶対に避けたい。
魔力を広げて。
熱へ変えて。
火になりそうなら少し弱める。
それを何度も繰り返す。
「これ、意外と良い練習になるかも。」
攻撃魔法を撃つだけなら、狙った方向へ魔力を放てばいい。
だけど今回は、火を生み出さずに熱だけを維持しなければならない。
それも部屋全体を均等に温める必要がある。
かなり細かい魔力操作が必要だった。
しばらく続けていると、冷えていた部屋が少しずつ暖かくなっていく。
「ふぅ……。」
十分に温まったところで魔力を止めた。
「結構疲れた……。」
スキルと違ってマニュアルもない魔力操作だったため、思っていた以上にMPを使ってしまったようだ。
多分、かなり無駄なMPを消費している。
もっと上手く魔力を扱えるようになれば、少ないMPでも同じことができるのかもしれない。
「明日からも練習してみようかな。」
部屋も暖かくなる。
魔力のコントロールも上手くなる。
「一石二鳥かも。」
自分のために思いついたことが、思わぬ練習にも繋がった。
なんだか少し得をした気分だ。
「くぁぁ……。」
大きな欠伸が出た。
慣れない魔力操作で思った以上にMPを消費したせいか、一気に疲れが押し寄せてくる。
窓の外を見る。
もう日は完全に落ちていた。
遠くには酒場らしき建物の明かりが見える。
だけど、ここまで騒ぎ声は聞こえてこない。
宿の周りは静かなものだった。
「もう寝よう……。」
靴を脱ぎ、もぞもぞと布団へ潜り込む。
仰向けになって天井を見上げた。
「『ライト』、解除。」
部屋を照らしていた光が消える。
一瞬で真っ暗になった。
「…………。」
静かだ。
あまりにも静かだった。
耳を澄ましてみても、近くから誰の気配も感じない。
実家よりもずっと厚い宿の壁は、隣の部屋の生活音さえほとんど通さなかった。
いつもなら聞こえていた音がない。
パパの声も。
ママの声も。
誰かが歩く音も。
何も聞こえない。
初めて一人で迎える夜。
目を瞑ると、なぜかパパとママの顔が浮かんだ。
昨日は二人の間で手を繋いで眠ったのに。
今日は一人だ。
「……寂しくなって泣くなんて、女児すぎるでしょ。」
自分に呆れたように呟く。
前世まで合わせたら、とっくにいい大人なのに。
「…………。」
閉じた瞼の隙間から、一粒だけ涙が零れた。
それを拭うこともなく、布団の中で小さく丸くなる。
やがて寂しさも眠気に溶けていき。
静かな部屋には、小さな寝息だけが響いていた。




