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行ってきます!⑥

「アイラ、そろそろご飯ができるよ。」

大きな手が私の肩を優しく揺らす。

この手を知っている。

小さい頃から、いつも私を起こしてくれる手だ。

「んぅ……。」

寝ぼけながら、ゆっくりと上半身を起こす。

まだ開かない瞼の向こうから、朝日の明るさを感じた。

「あらあら、成人したのにまだ子供のままなのかしら?」

居間から、愉快そうなママの声が聞こえてくる。


成人?

ああ、そっか。今日は……。

ゆっくりと瞼を開く。

窓から差し込む黄金色の朝日が視界に映った。

十二年間、幾度となく見てきた光景。

なのに今日は、いつもより少しだけ綺麗に見えた。

「う~~~ん。」

両腕を上げて、体を大きく伸ばす。

寝起きで固まっていた体がほぐれ、少しずつ頭も目を覚ましていく。

ベッドから降りて靴を履く。


「……おはよう。」

「おはよう、アイラ。」

「おはよう。よく眠れた?」

居間へ向かって挨拶すると、パパとママもいつもと変わらない笑顔で返してくれた。

「顔、洗ってらっしゃい。」

「はぁい。」

まだ完全には目が覚めていない。

ふらふらとした足取りで家を出る。


「おはよう、アイラちゃん。」

「おはようございます……。」

「今日は随分眠そうだねぇ。」

「いつものことです……。」

すでに起きて活動している近所の人たちと挨拶を交わしながら、いつもの井戸へ向かう。

これも毎朝の光景だ。


井戸の前までたどり着くと、備え付けの釣瓶を中へ落とす。

水を十分に掬ったところで紐を引き、ゆっくりと引き上げた。

「よいしょ。」

冷たい水を両手で掬い、そのまま顔へ。

パシャ。パシャ。

「冷たぁ~い……。」

秋の早朝。

井戸水の冷たさが寝起きの顔に突き刺さる。

思わず泣きそうになりながらも、もう一度。

パシャ。

「うぅ……。」

でも、おかげですっかり目が覚めた。


雨の日を除けば、毎朝繰り返してきたこと。

顔を洗って。近所の人に挨拶をして。

家に戻れば、パパとママと朝ご飯を食べる。

何でもない、いつもの朝。だけど。

「これも、今日でお終いなんだよね。」

濡れた手を軽く振りながら、井戸を見つめる。

明日からは、目を覚ましてもここへ顔を洗いに来ることはない。

そう思うと、冷たくて嫌だったはずの井戸水まで少し名残惜しく感じた。


「……今までありがとう。」

昨日のベンチに続いて、今度は井戸にまでお礼を言ってしまった。

我ながら変なことをしていると思う。

「ふふっ。」

でも、今日くらいはいいよね。

十二年間の『いつも』に別れを告げながら、私は家へと戻った。


「お待たせ。」

家に戻ると、朝食の並んだテーブルにパパとママが着いていた。

私もいつもの席に座る。

誰が先にというわけでもなく、三人揃って手を合わせた。

「「「いただきます。」」」

彩りの少ないサラダに、お芋のスープ。

そのままでは噛み切れないほど固いパン。

幾度となく食べてきた、我が家のいつもの朝食。

昨日のご馳走とは大違いだ。

だけど、これが私にとって一番馴染みのある味だった。


でもいつもと違うところが一つだけある。

珍しく、誰も喋ろうとしない。

いつもなら食事中は、今日の予定や仕事の話。

近所であった出来事なんかを三人で楽しく話しているはずなのに。

今日は誰も口を開かなかった。

私も何を話せばいいのか分からない。

パンをスープに浸して柔らかくする。

少しずつ口に運んで、ゆっくり、ゆっくり味わって食べる。

何度も食べてきた味を、忘れないように。

――ごくん。

最後に残ったスープを飲み干す。

結局、食事が終わるまで誰も一言も喋らなかった。


静かな時間を最初に終わらせたのは、ママだった。

「食器は片付けておくから、着替えてきなさい。今日はパパもママもお休みだから、ゆっくりでいいわよ。」

「うん。」

いつもなら朝食を食べた後、仕事へ向かうパパを見送る。

だけど今日は、私の門出に合わせて二人とも仕事を休んでくれたらしい。

きっと見送りに来てくれるつもりなんだろう。

嬉しい。

すごく嬉しいんだけど……。

――見送りの時、泣いちゃいそうだなぁ。

少しだけ複雑な気持ちを抱えながら、私は寝室へ向かった。


部屋の隅に置いてある箱を開ける。

中に入っているのは、今日のために用意しておいた服と装備。

一つずつ取り出して、ベッドの上へ並べていく。

「よし。」

寝間着を脱ぎ、まずは黒茶色のショートパンツを履く。

次に白い半袖のシャツへ袖を通した。

腰には擦れを防ぐための布を巻き、その上からしっかりとベルトを締める。

そこへ小物を入れるためのレザー製ウエストポーチ。

胸には急所を守る鉄製のプロテクターを取り付ける。

そしてママから受け継いだ青い宝石のネックレス。

首に掛けると、小さな青い宝石が胸元で揺れた。


「……うん。」

指先でそっと触れる。

これも今日から、私と一緒に旅をする。

白い靴下を履いて、大きめのレザーグローブを両手にはめる。

最後にレザーシューズをしっかりと履けば――。

「完成!」

姿見なんてないので、自分の格好を上から順番に確認する。

うん。間違いない。

ネームレスオンラインで、まだ職業に就いていない『無職』のキャラクターが身に着けていた初心者装備。

ようやく私も、この格好をする日が来たんだ。

少しだけ胸を張って居間へ戻る。


「どう?」

二人の前で両手を広げてみせる。

「立派になったわね。」

「似合ってるぞ。」

「えへへ。」

いっぱい褒めてもらえたのが嬉しくて、その場でくるりと一回転。

もう一回。

「どう?」

「今日も可愛いよ。」

パパが笑う。

すると、ママが私の髪を見て何かに気付いた。

「少し髪が邪魔そうね。結んであげる。」

「うん。」

ママは赤いリボンを持って私の後ろへ回る。

慣れた手つきで銀色の髪を掬い、後ろでまとめていく。

髪を引かれないよう優しく整えて、最後に赤いリボンを結んだ。

「はい、できた。」

後頭部に触れてみる。

この結び方はハーフアップだ。

見えなくても分かる。これは絶対可愛い。

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